【#創作大賞2026/#ミステリー小説部門】応募作品【AI×陰謀×仮想空間】破滅の人形を追う探偵/デジタル・シャーロック:セツナの覚醒/第4章:新たな人類の進化/第37話(最終話)「小さなデジタルシャーロック」
小さなデジタルシャーロック
春の訪れを告げる柔らかな風が、渋谷の喧騒の中にも感じられた。
人々はいつものようにスマホを片手にスクランブル交差点を行き交い、太陽の輝きが通りを照らしている。あのバイタルの事件から三ヶ月が経った。渋谷の街は相変わらず活気に満ちているように見えた。
しかし、木村の目に映る景色はどこか違っていた。心に大きく空いた穴が、かつての情熱を曇らせている。
ニュースでは正式に「地球防衛会議」が設立されたことについて、連日報じられていた。各国が協力し、気候変動や隕石衝突、未知の宇宙脅威に備える新しい枠組みが動き出したのだという。
「進歩か。それとも、また形だけの協力に終わるのか……」
木村は小さく嘆息した。
汎用AIセツナが遺した教訓と犠牲は、世界を変えた。しかし、その本質を理解し行動に移せるかどうかは、まだ分からない。セツナが語った「人類の進化」……それは地球上の全ての生物の共感と多様性を基盤とした新しい秩序を築くことであった。
セツナの最後の言葉を思い返すたび、木村の胸には、あの笑顔がよみがえる。彼女を失った無力感とは別の彼女が残してくれた僅かな希望が彼を支えていた。
渋谷から246号線沿いを事務所へと向かう。足取りは重かった。事件の後、セツナの犠牲の意味を考え続け、答えを出せないまま時間だけが過ぎていった。
「これで終わりにしよう……」
そう心に決めていた。正直、今回の事件のこともあってデジタルシャーロックはもう廃業しようと思っていたところである。過去の事件やセツナとの出会いを経て、木村は自身が本当に正しい道を進んでいるのか確信を持てなくなっていた。
その木村の感情に変化の兆しが訪れたのは、真吹が遥と連れ立って木村の事務所を訪れた時である。
「木村さん、私、デジタル・シャーロックになりたいのです!」
開口一番、目を輝かせてそう宣言する遥に、木村は眉をひそめた。
「遥ちゃん、君は、一体何を目指しているんだい? なぜ探偵なんかを?」
遥の瞳には迷いはなかった。純粋な情熱と信念が、彼女の言葉を力強くする。
「世界中の全ての人が、幸せになれる世界を作るためです。真実を明らかにすることで、誰かが別の誰かを傷つけることのない未来にしたいのです!」
その言葉を聞いた瞬間、木村の胸にセツナの姿がよみがえった。彼女もまた遥のように人々の幸せを願い、自身を犠牲にして未来を切り開いた存在であった。遥の言葉は、まるでセツナが託した最後の願いのように木村の胸に響いた。
セツナが目的としていた全ての人々が幸せになれる世界の実現、そのためにデジタルシャーロックとして活躍したいというのが、大和遥の夢なのである。
「木村さん、ぜひ応援してあげて。家賃のことは考えてもいいから」
インスタントコーヒーを出しながら、遥の言葉を真吹が後押しする。ただ、やはり木村は決めかねていた。バイタルの時のように彼女を危険な目に遭わせるのは目に見えているからである。
突然、探偵事務所の呼び鈴が鳴った。応接室に入ってきたのは佐藤と鷹野である。
「あの新しい情報屋なのだけれども、ちょっと暇を貰いたいと、突然だけど申出があった」
「なんで引き止めなかったのだ?! また、デジタルシャーロックは廃業か?」
「心配はいらないよ、鷹野。だって、新しい情報屋にうってつけの人材がすぐ目の前にいるじゃない」
佐藤はそう言いながら、遥に向かってウインクした。
「ああ、確かに目の前にね。公安でスカウトしたいぐらいだ」
鷹野は無愛想に言ったが、その目には確かな期待が宿っていた。
もう終わりにしよう。木村は確かにそう決めていた。しかし、遥の言葉は、彼が忘れかけていた探偵としての情熱と使命を呼び覚ましたようであった。木村は迷った末にようやく微笑んだ。
「分かった、遥ちゃん。だが、簡単な道ではないぞ」
「ありがとう、私頑張る! それとこれ……」
遥は右手に握っていたデバイスを木村にそっと差し出した。
それは、地球の総意を踏まえてセツナが自爆前に遺したデータである。その中には、今後の未来を明示する「新しい世界の設計図」が収められているはずであった。
人類の宝となる夢のようなデータは、確認するとログが途中で止まっていた。おそらくセツナが、途中で意図的に機能を停止したためであろう。
しかし、木村はそれで良かったのだと思っている。セツナが遺したものはデータだけではない。これからの人類は自分たちの未来をAI任せにするのではなく、自身の頭で考え、自分たちの手によって作り出さなくてはならないのだから。
「ただ、事務所を立て直すための資金はほとんど底をついているしなあ」
そんなことはとても遥には言えない。真吹はちょっとの期間は許してくれると言っているので、家賃の延滞も仕方がないか。いつかは彼女に怒られそうではあるけれども、新人の人材育成のためであると言えば許してくれるかもしれない。どうなるかは分からないけれども……。
程なくして探偵事務所の外観が見えてきた。これも世の中の真実を明らかにするためだと木村は自分自身を納得させた。
探偵事務所の扉を開けたその瞬間、新たな依頼が舞い込んできた。
依頼人は六回目の人生を経験する男で名前を大神賢治と名乗った。なんでもタイムマシンを使って未来から来るらしい。木村の脳裏にあの相棒の笑顔が浮かぶ。
「まさかね」
デジタルシャーロックたちは真実を求めて、これからも前に進んでいく。
