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エッセイ 現代アート

皆さん。こんばんわ。

芸術の秋と言われる季節も残すとこ
後1日となりましたね。
そんな最後に差し掛かる日に筆者は
東京の国立新美術館へ行ってきました。
そこで前から思ってた現代アートや展示に
ついてが今回の内容となります。

現在の展示。時代のプリズム

筆者は何度か美術館に行っては展示なんかを
見に行きますが今日で改めて思った事。

私には恐らく理解しようとしているけど
理解出来る事は絶対ないだろうと思ってます。
展示に存在する物が何の意図を持って作られるのかを。
表面的なもので見れば奇抜、綺麗、不思議なんかの言葉は出ますけど創作者の本質なんて分からないです。なので美術館に行っても妙なリアクションになります。
しかし高い入場料を払っているので
どうにも自分の中に何かを落とし込みたいので分かったようなフリをして自分の浅い解釈や写真撮影で気持ちを満足させているのですが、その程度なので残るものはアノ場所へ行ったという事実のみが残るだけとなります。

何かを得られる事がある人は
とても有意義な時間なのでしょう。
私にとっては少々プレッシャーみたいなのもを
感じてしまいます。子供の頃や学生の頃に
美術館へ行くと必ず感想を書かないと行けない
事がありました。何かを吐き出さなれければ
相手に伝わらないのですが、平凡な人間である私に一体、何を求めているのでしょうか?感性?素朴な答え?後者を答えたら連れて来た甲斐がないなんて言われそうです。
これはデートでも似たような感覚になったりします。展示を見て感想が面白かった。何が面白かった?あの建造物が何かカッコよくて面白かったよ!アレだけ?他には?いやーとりあえず
いつもと違う雰囲気感じれて良かったよ!
みたいな何か行ったのに右から左へ流れる
そんな答えになってしまったら嫌だなぁって
思われそうなのが嫌で自分の世界で言葉足らずでも人間が感じた見応えを魅せないと行けないプレッシャーがあります。

私が今回行った現代アートの感想として
常識とは違う所に居る人達の展示物の見学会でした。何を僕は見てるんだろう?みたいな写真や映像を観て意味が無いようなモノを意味のあるように魅せるのが上手いんだなぁと関心する次第です。特に適当な部屋の画像でもバックボーンに画家が昔泊まって創作活動をしてた部屋だったり、適当な部屋の写真をかき集めればソレっぽい統一感から何かを伝えたいんだろうなとメッセージ性を感じさせたり出来ますね。
何でも魅せ方で平凡な物がアートに変わる視点操作が不思議と自分にも出来そうで出来ない所でもあるんだなぁと思いました。何故なら僕は普段の日常と常識の沼に浸かりすぎて、明日から部屋で1日中シャボン玉を吹き続ける発想や行動に至れないのです。そんな頭に凝り固まった自由を解放した者たちの祭典、美術館に
繋がるのだと考えちゃう1日でしたね。

美術館にはカフェがあったりするのでケーキ食べるついでの有料景色散歩みたいな感じで行った筆者なんですけどね笑
けどオシャレでしたよ。美術館という建造物は独特だから好きです。ファンタジーみたいな非現実に足を踏み入れてる感覚になりますし来場者も学の高そうな人が多いので私も頭が良くなってる気にさせてくれる貴重な時間ですね。

オシャレなカフェから撮った写真

中々難しい現代アートですが
今生きている常識から外れてしまえば
もしかしたら私もアチラ側へ到達出来る?
といった淡い期待をさせてくれたりした
本日の現代アートについてでした。

明日は芸術の秋、最終日なので
アート何かを楽しむキッカケになったらと
思います。それでは、また次回の記事で
お会いしましょう。

ありがとうございました。

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