僕と大阪とメガドライブと:始まりの春、サイバーシティで大学生は黄金の「16-BIT」の夢を見るか?の巻。
1991年。僕にとってその年は、人生の針が大きく、そして力強く進んだ1年でした。 中学、高校時代に住んでいた北海道の、どこまでも続く平原と厳しい冬の寒さを脱ぎ捨て、僕は一人、大阪へと向かう飛行機に乗りました。大学進学という大義名分を手に、田舎もんの僕が胸に抱いていたのは、未知の都会への期待と、少なからずの不安。そして、寮生活の堅苦しさから解き放たれて、何にも代えがたい「自由」への渇望でした。もうワクワクしかないやんけー!
大阪という街は、不思議な包容力を持っていました。さらに僕が生まれたのは大阪ではないのですが、比較的近い地域である関西の片田舎だったこともあって、話す言葉のイントネーションや、よしもと系のギャグ文化はすんなり体に行きわたりました(なじむ、実に!なじむぞ フハハハハハ by DIO)。衣食住のすべてが僕の肌に、ピタリと吸い付くように馴染んでいくような感覚でした。
新生活が落ち着き始めた5月、大阪に引っ越しして暖かさが増してきた頃のことです。メモに書き出しておいた生活用品を買い出ししよう!となり、僕はさっそうと地下鉄に乗り込んだのでした。
何故かでんでんタウンで「捕獲作戦」遂行!
さてここで問題です!夜のとばりが下りて、心地よい疲労感と共に帰宅した僕の両手にある紙袋、そこには一体何が入っていたでしょうか?正解は、シャンプー、洗剤、掃除用具、ルームライト、小洒落たアクセントラグ、そしてメガドライブです(分かるか!)。
セガのメガドライブにはたくさんの思い出があります。漆黒の本体で主張する「16‐BIT」の刻印(しかも金色ときたもんだ!)に魅了されたのは僕だけではないはず。任天堂のファミリーコンピュータが持つ親しみやすさとは一線を画す、どこか尖った、シックでインダストリアルな美学がたしかにあったのです。
メガドライブとの出会いを思い起こすと、実は発売から4年ほど経ってから本体を購入していることに気づきました。それがまさに1992年で、北海道に暮らしていた僕が大学進学を機に大阪に引っ越しをした時期とジャストミィィィートするのでした。
いやーさがしましたよ、でんでんタウン(サマルトリアの王子風に)。大阪日本橋に意図的に迷い込んだ僕は、想像以上の雑踏に満面の笑顔でほうほうの体になり、懐かしの谷町9丁目駅近くのソフマップにて、中古のメガドライブ本体に遭遇!然るべき対応としてゲームソフト2本と共に捕獲作戦を遂行したのでした!
捕獲対象に選ばれた「大魔界村」と「ストライダー飛竜」は、まさにその後のメガドライブ沼を決定づけるものでした。凄えぜ、カプコン!そして見事に移植したセガよ!画面から溢れ出すアーケードの熱狂。それを4畳半のボロアパートで独占できる贅沢に、僕は思わず男泣きです。
僕、時々サイバーシティー
その後は、買い物のたびに不可抗力的に大阪日本橋に足を伸ばすようになりました。1990年代当時のでんでんタウンは、田舎もんの僕にとって刺激だらけのサイバーシティー。たこ焼きを口に詰め込んで、まだ見ぬ名作、傑作、そして怪作(バカゲー)に思いを馳せて、嬉々としてとんでもない距離を歩いたものです。
あの頃の大阪日本橋には、混沌とした生命力があったと思います。路地裏のパーツ屋から流れる電子音、店頭でゲームのデモ映像を流すブラウン管モニター。僕はその雑多な風景の中を、宝探しをする子供のように歩き回ったのでした。
その後、すっかりメガドライブ沼の住人になった僕は、「武者アレスタ」「シャイニング&ザ・ダクネス」「レッスルボール」そしてあの「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」との邂逅を果たすことになるのです。ソニックはほんとクールでスカしてたなぁ。
大阪はいつも優しく微笑んでる
今、僕の部屋には「メガドライブミニ」と「メガドライブミニ2」が肩をそろえて鎮座しています。未だに結構な頻度でそれらを起動する度に、僕は大学時代の空気と、たくさんのゲームフリーク達が徘徊した、路面から蜃気楼が漂うでんでんタウンの熱気を思い出すのです(あとたこ焼きの味も)。
コントローラーを握り、スイッチを入れる。テレビ画面に映し出される「SEGA」のロゴ。 その瞬間、僕は1991年の大阪にタイムスリップしています。
あの漆黒の筐体に刻まれた「16‐BIT」の黄金の夢は、今も色褪せることなく、僕の心の中で輝いています。田舎もんの僕を優しく包んでくれた、少し騒がしい大阪の記憶と共に。
