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「条件」で恋愛・婚活する大人たちへ。『ラヴ上等』から学ぶ直感恋愛

「年収は〇〇万円以上の人と結婚したい」
「彼の家族はどんな人たちなんだろう」

アラサーになってからの恋愛は「好き」という気持ちだけでなく、相手の肩書きや属性をセットで考えてしまうのは、あるあるだろうか。

インスタで結婚指輪が並んだ投稿を見ても、街中で同世代のママパパを見かけても、「世帯年収はどれくらいなんだろう」「どんな仕事をして、どんな家に住んでいるんだろう」など、考えたくもないのに頭に浮かんできてしまう。

SNSで毎週のように婚約・結婚報告の投稿を見かけては、隣の芝生を想像してしまうアラサーの日々。そんなとき、Xのタイムラインで見かけた『ラヴ上等』。「ヤンキーが集団生活で恋をする」という前代未聞の恋愛リアリティーショーに、私は知らない世界を覗き込むかのようにどハマりした。

ヤンキーたちの剥き出しの恋。Netflixが贈る恋リア『ラヴ上等』

画像:シネマトゥデイより引用(https://www.cinematoday.jp/page/A0009663

この番組は、単なる恋愛リアリティショーではない。「ヤンキー」を主役にした初の恋リアである。配信されるやいなや、日本や韓国を中心にアジア各国で話題を呼び、シーズン1の放送終了直後にシーズン2の制作が確定するという、Netflixでも異例の成功をおさめた。

番組では「ヤンキー」として生きる男女が、14日間の共同生活を送る。興味深いのは、単に恋愛をするだけでなく、子ども食堂の活動を通して地域社会と関わり、みずからの生き方を見つめ直していく点にある。

その様子を見守るMC陣も異色だ。プロデューサーのMEGUMI、お笑い芸人の永野、そして彼らヤンキーのマインドを深く理解するラッパーのAK-69。出演者たちのなりふり構わない言動に対し、ときに厳しく、ときに深い慈愛を持って放たれる言葉の一つひとつが、視聴者の胸に深く突き刺さる。

わずか2週間という短い時間。その限られた猶予のなかでまっすぐに、そして全力でそれぞれの「恋」をする彼ら。そんな彼らの姿を見て、ひとつの問いが自分のなかに生まれた。

「人は、相手のどんなところに惹かれて恋に落ちるだろうか」

『ラヴ上等』を観て、ヤンキーだけでなく一般人の私たちが持つ「恋の判断軸」が何なのかを考えてみた。

「今を生きる」まっすぐなヤンキーたちが恋に落ちる理由とは

『ラヴ上等』のメンバーたちが、番組のなかで「好みのタイプ」や「相手を好きになった理由」を語るシーンがいくつかあった。その内容があまりに正直で、人によってバラバラだったのが印象に残っている。

たとえば、元暴走族総長のつーちゃん。「顔が10割」と言い切る彼の潔さは、もはや清々しい。施設出身の過去を抱えたbabyことユリアに恋をしたつーちゃんだが、恋がはじまったのは、“babyがキレた瞬間”だという。顔が一番大事といいつつも、実際は「気の強い女性が好き」と、性格を知ったうえで恋に落ちたのかもしれない。

恋に落ちがちな女性、てかりんも可愛いらしかった。「ありがとう」と感謝の言葉を述べられるたびに、「ありがとう言えるやつええやん」と、すぐにときめいてしまうピュアさが際立っていた。

バーを経営するモテ男・二世に片想いしていたおとさんが、二世の好きなところを本人に伝えるシーンも忘れられない。顔や素直なところに加えて「汚い髪の毛」を挙げた彼女の視点には驚かされた。「汚い髪の毛」という、欠点のようなものさえも愛おしいと思える。相手の不完全なところもひっくるめてすべて愛おしく思えるのが恋だと、おとさんの姿を見て思った。

『ラヴ上等』は、婚活リアリティショーではない。将来を共にするパートナーを見定めるというより、衝動的な恋に身を任せていたメンバーも多いかもしれない。どちらにしても、たった2週間の短い時間のなかで、自分の心に嘘をつかずに「恋」と向き合った彼らは、リアルな大人の恋愛にはない真っ直ぐさがあって、なんだか眩しかった。

いつから私たちは「条件」で恋するようになったのだろう

私たちのリアルな恋愛はどうだろうか。

人生における「恋の判断軸」を振り返ると、年齢を重ねるごとに変化をつづけてきたように思う。

小学生男子といえば、「足の速さ」がモテる要因のナンバーワンといえるだろう。私も例外ではなくそのひとりだった。中学に入ると、私の場合「一軍」と称されるような目立ったグループにいる男子に惹かれがちだった。高校では、部活や勉強に打ち込む姿を見てキュンとしていた。

社会人になった途端、出会いの数が激減した。会社の異性は既婚者ばかりで、家とオフィスの往復では何の出会いも発生しない。今の時代、マッチングアプリが恋愛の主戦場となっている。

友人との恋バナにおいて「恋人の条件」の話題になることが多い。「大卒で年収は〇〇万円以上、身長は〇〇センチ以上で絞り込みしている」と、友人は淡々と語った。

マッチングアプリ婚が主流の今、パートナーを探す基準は、「アプリ上の検索設定をどうするか」とほぼイコールなのだ。むしろ、明確な軸がないと絞り込みができず、理想の出会いに辿り着くまで遠回りになってしまう。

結婚を真剣に見据えるほど、相手の肩書きが気になってしまうのも否めない。仕事、年収、居住地、家系、借金、金銭感覚、一人暮らしかどうか…。そして、彼氏としては100点でも、夫として、あるいは父親としてどうか。そんな冷徹な計算が、意識せずとも頭をもたげる。

私自身も、今のパートナーと結婚を考えたとき、無意識にそれらの項目をチェックしている自分に気づいた瞬間があった。

しかし、すべての項目をクリアした「100点満点の人間」など、この世に存在しない。

相手にパーフェクトを求めるのではなく、自分が「これだけは譲れない」ポイントが満たされているかどうか。それ以外の項目は捨てるくらいの勢いじゃないと、一生決断なんてできないのかも、とさえ思う。

マッチングアプリが主流となり、相手を「フィルタリング」しやすくなった恋愛市場において、私たちに必要なのは「ラベル」で相手を判断する審美眼よりも、もっと大切なことがあるのではないか――。

条件よりも心に素直に。ラヴ上等が思い出させてくれた「恋の原点」

こうして振り返ると、年齢を重ねるにつれて、恋の「時間軸」が変化したことを実感する。

学生時代は、もっと短期的な時間軸で恋をしていた。今この瞬間が幸せであればそれでよかった。たとえ相手のお金遣いが荒くても、自分のために高いアクセサリーをプレゼントしてくれたら、ただ純粋にうれしかった。でも今だったら、金銭的な計画性を疑ってしまうかもしれない。

当時は「将来、よい夫・よい父親になりそうか」なんて考えなかった。彼氏として魅力的だったら、それだけでよかった。あの頃の私はある意味、「今のその人」だけをまっすぐに見つめていたのかもしれない。

『ラヴ上等』に出演しているメンバーたちはみんな「今」を生きている。プロデューサーのMEGUMIさんもこう発言していた。「今生き、秒生き」だと。

いつから私たちは、恋愛を心ではなく「頭」で考えるようになってしまったのだろう。失敗したくない、傷つきたくない、遠回りしたくない……。条件面であれこれと考え、頭でっかちになっているアラサーの恋愛は、大切な何かを忘れてしまっているのかもしれない。

「顔」がタイプ。「汚い髪の毛」さえも好き。感情的になっている姿をみて恋に落ちる――。

『ラヴ上等』のヤンキーたちの恋は、合理的な判断とはいえないかもしれない。けれど、条件や肩書きではなく、目の前の人間をまっすぐ見つめる美しさがある。自分の心に素直に従うこと、相手をラベルで判断しないことの大切さを、『ラヴ上等』は思い出させてくれた。

誰かを好きになる理由は、本来ラベルで表現できるものではないはずだ。もっとそのときの直感、心や身体で感じた高鳴りを信じてもいいのではないか。たとえそれが将来の保証にはならないとしても、その瞬間に心が震えたという事実は、その後のパートナーシップにおける原動力になるだろう。

頭で考えるだけなく、心で感じること。自分の感情に素直になること。未来のことばかり考えて頭でっかちになるのではなく、今この瞬間を生きること。

ヤンキーたちの生き様から、大切なことを教えてもらった気がした。ライフイベントの度に「判断」に迫られるアラサーだけど、私ももっと、その瞬間の自分の心に素直に従ってみようかな。

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