1997年9月30日信越本線・横川ー軽井沢を想う
横軽と碓氷峠
多くの鉄道ファンにとて、9月30日は忘れられない日なのではないでしょうか。今から28年前のこの日、信越本線の横川駅(群馬県)と軽井沢駅(長野県)を結ぶ区間が、104年の歴史に幕を閉じました。
夜にもかかわらず横川駅には多くの鉄道ファンが集まり、長野行き最終の特急「あさま37号」を見送りました。ホームに集まった人たちに別れを告げる先頭車両に続き、後方のEF63形電気機関車が警笛を鳴らし続けながら闇の中へと消えていく姿を見て、「えっ、明日からこの姿が見られなくなるの?」と、まるでフィクションを目にしているような気持ちになったのを覚えています。
鉄道路線の廃止は全国に数多くありますが、横軽(ヨコカル)と呼ばれるこの区間は特別でした。というのも、この2つの駅の間に横たわる難所・碓氷峠を鉄道が克服してきた歴史が凝縮されているからです。
山の麓にある横川駅と山の上にある軽井沢駅との高低差は553メートル。駅を出るとすぐに登り坂となり、約11キロにわたって急勾配が続きます。最大66.7パーミル(1000メートル進むごとに66.7メートル上がる)の勾配を登らなければなりません。
その困難を克服するために、トンネルや変電所といったインフラが整備され、外国から導入されたアプト式の技術や専用電気機関車の開発など、まさに国を挙げて挑戦する日本の姿がありました。
建設が始まったのは1891年6月で完成は1892年12月とあります。たった1年半ほどでこの難区間に鉄道が建設されてしまったのです。いかに勢いがあったかが想像できます。その意味で、信越本線横軽区間は単なる鉄道路線ではなく、日本が近代社会へと脱皮しようとする姿を象徴しているように思えます。
EF63の雄姿と記憶
筆者が横軽について最初に知ったのは鉄道雑誌でした。インターネットのなかった時代、学校帰りに本屋へ寄って立ち読みするのが楽しみの一つでした。
ある雑誌で、特急電車に電気機関車を連結した写真を見たとき、最初はその姿が滑稽に思えました。電気機関車といえば、当時は客車をけん引するブルートレインというイメージが一般的だったからです。
しかし横軽の鉄道写真が繰り返し雑誌に掲載されているのを見るうちに、この場所ならではの光景があることを知りました。
実際の姿を見たいと思い、大学最後の年の休みに横川まで出かけました。1990年ごろのことです。駅に着くと、少し離れた車庫にEF63形電気機関車が何台か並んでいました。特急を見たかったのでしばらく待っていると、上野から来た特急「あさま」が入線してきました。
当時、国鉄は民営化されJRとなっていましたので、車両は鶯色と白の塗装でした。そこへEF63がブロワ音を響かせながらやってきて連結を済ませると、列車は発車していきます。
筆者もホームの端まで走って行き、カメラを構えると、EF63がすぐ横を通り過ぎていきます。はるか前方では、特急「あさま」の先頭車両が上へ向いているのが見えました。駅を出てすぐに勾配が始まっているためです。
ホームでは名物の峠の釜めしを売る人たちが、走り去る電車に向かって「ありがとうございました」と礼儀正しく何度もお辞儀をしてたのが印象的でした。

体感した横軽・トンネルの多さ
せっかく横川まで来たのですから、実際に横軽を体験しない手はないと思いましたので乗ってみることにしました。ただし当時の筆者の財布では特急には乗れませんので普通列車です。
驚いたのは、景色とトンネルの多さです。深い山の中をトンネルをいくつもいくつも抜けていくのです。坂にしてもトンネルにしても、ここに鉄道を敷くのにどれほどの苦労があったのかと想像せずにはいられませんでした。
廃線後の鉄道文化遺産
横軽が廃止になった後も、多くの場所でトンネル、橋梁、線路がそのまま残されています。かつてアプト式で急勾配を登るための歯車が設置されていた区間も残っています。
日本は世界でもまれに見るほど鉄道が発展を遂げた国です。現在では「廃線ウォーク」という形で、横川から軽井沢までの旧線をガイド付きで歩き、往時の鉄道文化遺産に触れる体験イベントも行われているようです。
筆者はまだ参加したことがありませんが、今度は歩いて見てみたいので、近い将来ぜひ参加してみようと思っています。
最後に鉄道唱歌・信越本線があったのでリンクを付けておきます。⤵
