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平和があるところ

わたしの大学での授業テーマは大きく分けて「多様性」「異文化理解」である。
クラスの一つに、留学生と日本人学生がお互いの異文化理解を目的としたものがあって、去年の学生は日本人学生に加え、アメリカ人、ベトナム人、インドネシア人、中国人、総勢約24名のクラスだった。

学生からは「さまざまな価値観に触れ、視野の広がり、知見の深化を実感できる」という感想が多く、満足度が高い授業という評価を得てとても嬉しい。
さらにアンケートを見ると、印象に残った授業回は「デイベート回」がいつもトップだ。

ディベートは対立する二つの意見のどちらかに立脚した主張をし、
相手の納得を得る、交渉型コミュニケーション技法で(と思っている)
多くの授業で取り入れられているものだが、私のクラスも発言数、意見の内容、反論の妥当性などをチェックし、どれだけ成果のあるデイベートができかたを評価している。(だからチェック側も大変💦)

昨年は「表現の自由のもと、宗教の冒涜は許されるのか」をテーマとした。

題材は
①「シャルリ・エブド事件」
2015年、風刺新聞シャルリ・エブドのパリ本社がイスラム過激派によって襲撃され編集長や記者、漫画家など10名以上が殺害された。
②「サミュエル・パティ事件」
2020年に、この事件を社会科の授業で扱った教師を、その生徒の関係者であるイスラム過激派が殺害するという負の連鎖ともいえるような事件があった。

この授業では初回にいかなる差別を許さず政治的思想、国の体制の違い、宗教観、民族的思想について非難することはルールとしてアウトである旨のコンセンサスを得ている。(同意できない者は履修できない)

そのため、他の学生への心配はなかったが、懸念したのはイスラム信者であるインドネシア人学生たちのことだった。
デリケートな宗教観を扱うため、まずこのテーマを扱って良いかを尋ね
もし彼らが「嫌だ」と言ったら違うテーマにしようと思っていた。

ところが彼らは「やってみたい」と、そして「自分は敢えて『表現の自由で宗教への冒涜も許される』立場を取りたい」と言う。

彼らの同意を得、デイベート回への準備が始まった。
2週間前に全学生に読み込み資料の配布、調査の指示。そして自分が立脚する立場での戦略を立て、問答のシミュレーション。

そうやって臨んだ学生ディベート(60分)は白熱した。

一番の成果は「話せばわかってもらえる可能性」を身をもって知ったことだと思う。
もちろん真っ向逆なことを言う相手を100%理解し、受け入れることは難しい。
でも0%の理解から3%の理解に変わったなら、これは進歩というにふさわしい成果だ。

もっといえば、今理解できなくてもいい。理解できなくても「相手のことを理解しようとする姿勢」これだけでも十分だと思っている。

今の世の中「相手を理解しようとする姿勢」すらみつけるのが難しく絶望的な気持ちになることがある。

でもわたしには幸い、授業の中で大いなる平和の図を見られる。

つくづくラッキーだと思う。






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