何度目かのApple Watch挑戦
Apple Watchには、これまで何度も挑戦してきたのである。そのたびに、最初は便利そうだと思い、健康管理にも使えそうだと思い、通知も手元で確認できるなら生活が少し変わるかもしれないと期待していたのである。しかし実際に使い始めると、充電の手間、通知の多さ、腕に何かを付け続ける違和感、バンドの締め付け、そして設定の細かさが気になり、結局は自分には合わないのではないかという結論に戻ってしまっていたのである。買っては試し、やはり違うと感じて返品する。その繰り返しであった。
それでも今回、またApple Watchを使ってみようと思ったのは、以前とは自分の状況が少し変わってきたからである。仕事に追われ、時間に余裕がなく、余計なものを身につけていること自体が面倒に感じていた頃とは違い、今は自分の体や生活リズムに目を向ける時間が少しずつ増えてきたのである。若い頃なら、多少無理をしても何とかなった。睡眠が浅くても、歩く量が少なくても、血圧や体調の変化に鈍感でも、気合いで乗り切れたような気がしていたのである。しかし年齢を重ねると、そういう雑な考え方ではいけないと感じる場面が増えてくるのである。
Apple Watchの価値は、腕時計としての便利さだけではないのである。通知を受ける、電話に気づく、歩数を見る、心拍を見る、睡眠を記録する。ひとつひとつは小さな機能である。しかし、それらが毎日積み重なることで、自分の体の状態をぼんやりではなく、少し客観的に見るきっかけになるのである。特に健康管理というものは、調子が悪くなってから慌てるものではなく、普段の生活の中で少しずつ気づいていくものだと思うのである。その意味では、Apple Watchは医療機器というより、生活の中に置く小さな注意喚起装置のような存在である。
もちろん、今回も最初から完璧に使いこなそうとは思っていないのである。過去に挫折した理由は、最初から多くを求めすぎたことにもある。すべての通知を受けようとし、すべてのアプリを試そうとし、睡眠も運動も決済も全部やろうとすると、便利さよりも管理されている感じが勝ってしまうのである。今回は違う。まずは通知と健康管理だけでよいのである。iPhoneをバッグに入れたままでも大事な連絡に気づけること。朝の散歩や日常の歩数を確認できること。睡眠の傾向をざっくり把握できること。この程度から始めれば十分なのである。
年齢的な問題という言葉には、少し寂しさもある。しかし、それは決して後ろ向きな意味だけではないのである。むしろ、自分の体にきちんと向き合う時期に入ったということである。体調を感覚だけで判断するのではなく、データも参考にする。疲れている日は無理をしない。歩けていない日は少しだけ歩く。睡眠が浅い日が続けば生活を見直す。そういう小さな調整を続けるための相棒としてなら、Apple Watchはかなり意味があるのではないかと思うのである。
今回も、使ってみなければ本当に合うかどうかはわからないのである。バンドが気になるかもしれないし、充電が面倒に感じるかもしれないし、やはり腕にデバイスを付ける生活に慣れないかもしれない。それでも、過去の返品を単なる失敗とは思わないのである。何度も試したからこそ、自分に必要な機能と不要な機能が見えてきたのである。今回の挑戦は、最新ガジェットを試すというより、自分の生活に合う距離感を探す作業である。
Apple Watchを使い続けるかどうかは、派手な機能ではなく、日々の小さな納得感で決まるのである。腕を見るだけで歩数や心拍がわかる。通知に気づける。睡眠を振り返れる。こうした小さな便利さが、面倒くささを少しでも上回るなら、今度こそ定着するかもしれないのである。何度も挫折したからこそ、今回は肩の力を抜いて付き合ってみたいのである。健康管理のための再挑戦として、今の自分にはちょうどよいタイミングなのかもしれないのである。
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