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【四国108箇所歩き遍路1(阿波)】#06 別格3番慈眼寺(2025年11月)

これは2015年12月~2025年11月にかけて、順打ち、全7回の区切り打ちで結願した四国108箇所歩き遍路の記録である。


今日は別格3番慈眼寺をお参りする日。ほんとうのところは奥之院の穴禅定ができる時期に参拝したかったが、穴禅定は4月から10月末までしかできなくなっていたので、今回は諦めた。

10年前わたしがお遍路を始めた頃、慈眼寺に最も近いお宿はふれあいの里さかもとで、とても良いお宿だったのだが、9月末に閉鎖してしまった。そこでわたしは、10年の間に新しくできた、慈眼寺に最も近いお宿、遍路宿勝浦夷の里に前泊して、慈眼寺を目指すことにした。

お宿を出ると、少し下り、坂本川にかかる橋を越えて県道16号線に出る。突き当たりにはお魚屋さん。と言っても色褪せたビニール製の日除けで商店だとわかる程度で、看板もない。山に向かって県道を左に曲がるとすぐ横瀬バス停。(黄色い地図第14版では道の東にあるが、実際は西にある)バス停の前を通り過ぎ、西へ向かう。

慈眼寺は歩きでも車でも、道がわかりにくくて遠いと聞くお寺なので、今からドキドキしているが、八十八ヶ所の途中から別格を回り始めたわたしにとっては、いよいよ別格結願のお寺になるので、内心ワクワクもしている。

横瀬観光の観光バスの車庫の前を過ぎ、横瀬の大きな看板のある分岐を右の遍路道へと進む。さらに進むと、左奥に路線バスの終点である横瀬西バス停が見えるのを確認して、そのまま直進する。

坂本川を左に見ながら歩いていると、『通行規制について』という看板が現れた。この先は、台風などの大雨のときは土砂災害の恐れがあるので通行止めになるらしい。通行止めでない場合でも、急な雨などの際には気をつけるよう書いてある。幸い今日は素晴らしく良いお天気で青空が広がっている。

さらに進むと右側に不動明王が2つ、さらに進むと前方に小さな橋が現れた。

横瀬の看板の分岐を右へ
一部加工済
坂本川に沿って歩く
歩道が川にせり出している
波切不動明王
この先にもうひとつ弁慶のような格好をした不動明王も
沼谷川にかかる小さな橋
別格の青い遍路シールが色褪せている

橋には、よく見る赤い遍路シールではなく、別格の青い遍路シールが貼ってあったので、迷わず直進した。ここを抜けると県道16号線。県道の向こうには坂本川が流れていた。
県道16号線を右へ進むと、慈眼寺を示す青い大きな看板が現れた。

ちょうど大きな分岐になっており、慈眼寺は左を指していたので、左の県道16号線へ進んだが、どうも違和感があったので立ち止まって黄色い地図を確認すると思いっきり間違えていた。戻って右へ入り直す。歩いていると大きい看板が目に入りやすいが、大きい看板はほぼ車用で、歩き用ではない。これに何度もひっかかる。

よく見ると、青い看板の白い柱に手描きで赤い遍路矢印が描いてあった。しばらく進むと、左に折れる道の脇に、鶴林寺の奥之院である慈眼寺の遍路道であることを示す古い標石も現れたので安心して前へ進んだ。

車用の青い大きな看板
よく見ると白い柱に歩きは右へ進めと赤い矢印が描いてある
古い標石『おく乃いん』
20番札所鶴林寺の奥之院でもある慈眼寺を指す
正しくはここを左折だが、誤って直進する

くねくねした車道を進みながら徐々に高度を上げていくが、登山口の目印である坂本郵便局は一向に現れない。遍路札もなく、佐那河内の杖立峠への分岐を示す案内板が現れて不安になっていたら、後ろから徒歩で青年がやってきた。スウェットの上下で手ぶら。地元の住民だと思い、すかさず声をかけて道を尋ねた。

するとやはり地元のかたで、慈眼寺に行ったことはないが登山口は知っているし、坂本郵便局もわかると言って案内してくれた。登山口へのルートはいくつかあり、ふれあいの里さかもと経由の方がずっと近かったようだが、今いる場所からも行けるとのことだった。

舗装された坂道を左へ上へと登る。道中ふれあいの里さかもと閉業の話になった。地域の活動拠点だったため、地元にとっても、さまざまなイベントが中止となるといった影響が出ているらしく、7回目を数えるマラソン大会も今年で終わるとのことだった。

無事坂本郵便局まで来て、さらに坂本八幡神社の鳥居下まで来たところで、青年が左下へ下る階段を指し、ここを降りればふれあいの里さかもとだと教えてくれる。そこから5分もかからず、右手に登山口が現れた。

ようやく坂本郵便局
すぐ先の右に坂本八幡神社がある
慈眼寺への登山口
郵便局から5分の右側にある
理容なかがわの斜め向かい

細い坂道には登山口であることを示す案内板もあった。青年にお礼を言って入っていくと、最初はフェンス沿いで、道々うるさいくらい遍路札があって迷うことはなかった。

ただ、とにかく道幅が狭く、足を踏み外したら10mくらい落下しそうな崖沿いの道が続くので、足が大きくないことと、空身であること、そして雨でないことに感謝して、これ以上道幅が狭くならないよう金剛杖を山側に突きながらゆっくりゆっくり慎重に歩いた。おかげで全くキツクはなかった。

遍路札の多くはふれあいの里さかもとで設置してくださった物のようで、前方が慈眼寺、後方がさかもと、となっていることを確認しながら歩いた。

民家の脇を抜けて進む
気を抜くと左下の谷に吸いこまれそう
片足ずつしか載らない道
ゆっくり進むのでキツクはないが心臓はバクバク
道端にひっそりへんろ石
お遍路史上最も細い遍路道を抜けたら、水色のバラックをまわりこむ

細い道を抜けて水色のバラックをまわりこんだら車道になった。道の脇には遍路墓がかたまっていた。昔から難所だったことが伺えた。

しばらく行くと、車道を離れ、再び遍路道を行くよう案内が現れた。そこから先は、歩きやすい山道だった。悩ましい分岐を過ぎ、バラックのおへんろ休憩所の脇を通り、分岐を左へ進み、大きな岩の横を通り抜けてなおも進む。

遍路墓がたくさん
ふたたび遍路道へ
唯一悩んだ分岐
別格慈眼寺を示す青い矢印の道を選ぶ

しばらく進むと脇に細い標石と大きな黄色い看板が現れ、広い車道に出た。そこから20分で別格3番慈眼寺に着いた。

別格3番慈眼寺に到着
石柱門の向こうに見えるのは大師堂

着いたところの境内には納経所と鐘楼、大師堂、護摩堂のみで本堂はない。本堂はさらに標高100m上である。この坂道が地味にきつかったが、ちょうどピークの紅葉に励まされながらなんとか本堂まで辿り着いた。

穴禅定の代わりに、御真言を唱えながら本堂のまわりを3回まわった。

穴禅定の路幅体験場
本番の試験は納経場内にて
本堂と穴禅定は、不動堂と鐘楼の間を抜けて行く
幸白衣観音像の下をくぐり
標高差100mをいっきに登った先に本堂
穴禅定への階段は本堂手前の右手にある
本堂
このまわりを御真言を唱えながら3回まわる


本堂をお参りした後、大師堂をお参りし、納経所でお納経と結願証をいただいた。車道までの遍路道が怖かった話をしたら、怖くない道というのを地図で丁寧に説明してくださった。前半は往きと同じで、車道から下は蜜柑畑の間を行くルートで、なんなら軽トラも走れるような幅の広い道だと聞いて安心した。

帰りは灌頂の滝にまわろうかとも思っていたが、冬は水量が少なそうだからと心の中で言い訳して、早々に来た道を戻った。飛べそうなくらい空が青かった。

遍路道の入口を見落とさないようにだけ気をつけて車道を歩く。下りはふれあいの里さかもとを目指せばよい。20分弱で、登りでも通った遍路道に入った。

下山開始
紅葉もさることながら空が青い
20分弱で黄色いさかもとの看板
ここから左脇の遍路道に入る
見落としやすいというポイント
登りで唯一悩んだ分岐

遍路道を抜けると車道。その先は遍路道に入らず、納経所で教えていただいた農道経由で下山する予定なので、目印を見落とさないよう注意して歩く。農道への入口は右側にあり、案内札もあるとのことだった。

登ってきた遍路道の入口を過ぎて5分ちょっとで、左の擁壁の上のフェンスに『ふれあいの里さかもと50M先右へ』という丸い案内札を認め、
続いて、擁壁の排水管に慈眼寺を示す別の丸い案内札『←慈眼寺』と四角い『最高標高303m』を認め、
このすぐ先の舗装道の分岐の、四角い案内札『さかもと→』と丸い案内札『ふれあいの里さかもと→』に従って右へ下った。

右前方に登ってきた遍路道が見えるが
この怖い道はスルー
わかりやすい目印
しかし、擁壁の水ぬき穴を塞いでしまって大丈夫なのか・・・
右折すると蜜柑畑ルート
よく見ると案内札が2つある
水色のマラソン大会の幟は、普段は無い

往きでも通った水色のプレハブ小屋のところに出たので、往きで登ってきた土の小径ではなく、舗装道の方へと下った。

すると、納経所で聞いたとおりの蜜柑畑が現れたので、嬉しくて小躍りしそうになった。これで滑落の危機は回避できた。あとは道なりに下る安全ルートだ。ずんずん下ったが、この道はこの道で分岐が多く、下りはわかりやすいのだが、上りは悩みそうだった。

蜜柑畑出たぁ!
分岐がやたら多い
下りはよいが、上りは悩みそう

蜜柑畑ルートは、折しも最終回を迎えるというさかもと坂道マラソンのルートとほぼ重なっており、水色の幟を目印にくねくねくねくね曲がりながら舗装道を下っていると、下の方に民家が見えるようになり、やがてお雛山の遙拝所とでも言うべきお雛山のモニュメントが現れた。

遍路石などとは異なり、かなり唐突な感じのする新しいモニュメントだと思ったら、裏側はさらに唐突な黄槃の丘神殿と名づけられた石積みだった。自由過ぎると思ったら、縄文時代、九州で火山の噴火があり、四国に住んでいた縄文人が、黒潮の流れに乗ってペルーのナスカに漂着して住み着いたという説明板があった。ペルーでは縄文土器が出土しており、ナスカには縄文人の遺伝子を持つ人がいるらしい。ジョン万次郎より遙か昔に海を渡った人類がいたとは。そして、地球は狭い。

それにしても坂道マラソンルートの傾斜がかなり急で30‰(パーミル)くらいありそうなのに驚きながら下っていると、スクールゾーンを示す看板が現れ、学童の自転車・歩行通学路と書いてあったので、もっと驚いた。おそるべし坂本の子ども達である。さぞかし足腰が強い子が育つであろう。

学童はこの道を通学するらしい

そして、小さくて可愛いらしい坂本隧道をくぐると向こう側は半日ぶりの集落で、理容なかがわの赤・青・白のサインポールが見えた。じき左に坂本八幡神社の石垣が見えたので、往きに出会った青年に教えられたとおり、神社と向き合って建つ石の鳥居をくぐり、急な石段を下ると、広い駐車場の奥に見覚えのあるふれあいの里さかもと(旧坂本小学校)の校舎があった。
宿泊は9月末で終わっているが、何か集まりがあるようで、駐車場には車がたくさん停まっていた。

坂本隧道
トンネルを抜けるとそこは坂本の集落だった
往きで地元の青年に教えてもらった石段の入口
ここをくぐって下る
ふれあいの里さかもと
懐かしさで胸がいっぱいになる

ひとりでノスタルジーに浸っていても仕方ないので早々に退散することにし、正門らしき黒い門から出て階段を下る。

校門から石段を下る

坂本八幡神社の一の鳥居らしきものをくぐると、その先に16号線の方角へ渡る橋が見えた。橋のすぐ手前まで行くと、左の角に遍路道の案内があったので、16号線には出ず、その矢印を逆に進むと、また案内があり、さらに矢印を逆に進むと、見覚えのある『おく乃いん』の標石が現れたので右折して大きな分岐に辿り着いた。

その後は、4時間前に歩いたばかりの道を順調に戻り、13時半過ぎにお宿に着いた。ザックのなかみを詰め直し、108ヶ所結願の報告とお礼を言って、お宿を後にした。

足取り軽く道の駅に向かう途中で、横瀬橋たもとの高瀬舟発着場跡の手前に持帰り専門の田舎寿司の看板が目に入ったので、マグロ漬寿司を求めた。すぐにでも食べたいほどおなかはすいていたが、お店の前のベンチはあまりに周囲から丸見えだったので、道中にヘンロ小屋はあっただろうかと思いながら、道の駅へ向かって歩いた。

結局20分歩いて、勝浦校バス停のベンチまで来たところでさすがにこれ以上空腹を我慢できなくなり、念のため時刻表でバスが来ないことを確認してから腰を掛けた。汗で塩分が抜けた身体に漬寿司の醤油がたまらず、あっという間に一折りを平らげた。2つ買えば良かった。

ちなみに、お向かいの県立小松島西高校勝浦校のフェンスには、よくある運動部等の入賞を祝う横断幕が4枚も掲げられていたのだが、内3枚がライフルの全国大会のもので、すべて1位。大会新でインターハイ優勝というのまであり、残る1枚も、農業クラブの全国大会優勝だった。土地柄が現れている。それ以上に、なんて頼もしい子たちなのだろう。

この後バス停から鶴林寺への分岐まで歩き、10年がかりで一筆書きを完成させてから、道の駅ひなの里かつうらに向かった。

実は、この界隈には星の岩屋という番外霊場がある。道の駅の北側の中津峰山の中腹にあり、『四國徧禮道指南』(眞念著、稲田道彦訳注)では、必ず立ち寄ってみるべき所とされている。ヤマレコやヤマップにルートもあるのだが、わたしの脚力では往復3時間半は見ておく必要がありそうだった。既に15時近い。すぐ手前までタクシーを使ったとしても、山の中なので帰る途中で日が暮れるだろう。今回は泣く泣く諦め、いつか穴禅定に挑戦できるときが来たら、星の岩屋にもお参りしようと思った。


【参考URL】
ふれあいの里さかもとから慈眼寺への歩き遍路地図
散髪屋(理容なかがわ)向かいの坂を登る丁石道が昔ながらの遍路道。
対する蜜柑畑ルートは、慈眼寺から下りてきて、広域農道を電柱のところで右に入った後コンクリートの道を進み、地蔵堂を通ってバス通りにぶつかる道。
同じサイトに星の岩屋や鶴林寺への徒歩地図もある。
なお、慈眼寺の穴禅定(有料)は2025年11月現在、4月1日~10月末までの午前8時から午後2時までに短縮されており、1週間前までに電話予約が必要。詳しくは、以下の慈眼寺の記事を参照されたい。

穴禅定の寺慈眼寺(note)
「穴禅定体験についてのご案内」および「試し柱について」


【コースタイム(実際)】




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