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【四国108箇所歩き遍路2(土佐)】#07 33番札所雪渓寺~35番札所清瀧寺(2016年2月)

これは2015年12月~2025年11月にかけて、順打ち、全7回の区切り打ちで結願した四国108箇所(八十八ヶ所および別格二十霊場)歩き遍路の記録である。


渡し船で移動できる遍路道
 
高知の遍路道には、今も渡し船で移動できる区間が3ヶ所ある。
 
1つめは、32番札所から33番札所へ向かう途中の、瀬戸湾を渡る箇所で、高知県営フェリ-(無料)で移動できる。所要時間わずか10分足らずで種崎の渡船場から長浜の渡船場まで575mの距離を走る。これを使わない場合には、高さ50m、全長1,480mの浦戸大橋を強風に煽られながら桂浜の方に渡り、瀬戸湾の南岸をぐるっとまわって33番へ向かうことになる。
 
2つめは、36番札所から37番札所へ向かう途中の、浦ノ内湾を行く箇所で、須崎市営巡航船(有料)で移動できる。埋立から横浪までを、途中いくつかの乗り場に停まりながら、1時間近くかけて走る。巡航船自体は横浪が終着ではない。これを使わない場合には、主に浦ノ内湾沿いの約10kmの道を歩くことになる。

3つめは、37番札所から38番札所へ向かう途中の、四万十川を渡る箇所で、下田漁港の裏から対岸の初崎までを地元のかたが運行してくださっている。この『下田の渡し』は、黄色い地図に運行責任者のかたの連絡先が載っており、気象条件が良ければ、前日に予約して千円だかをお支払いすれば乗せていただける。昨今の燃料費高騰の折り、ある程度の人数が揃わないと申し訳ないような乗船料だ。渡し船を使わない場合には、約2km上流にある四万十大橋を歩いて渡ることになる。


種崎渡船場からフェリーに乗る
 
前置きが長くなったが、きょうは2回目の区切りの最終日であり、ザックを背負ったわたしは、昨日歩き終えた種崎浜通バス停まで、とさでんとバスを乗り継いで向かった。
そして、バスを降りると、住宅街のバス通りをまっすぐ進んで種崎渡船場へと歩いた。渡し船で移動できる遍路道のひとつめだ。渡船場はバス通りから100m入ったところにあり、通勤、通学の人たちと一緒に小さなフェリーに乗った。多くの人が自転車だった。

夜明け前の土佐三浪士
高知県営フェリ-
種崎渡船場
高知県営フェリ-
長浜渡船場

 
33番札所雪渓寺で見事な梅を観賞
 
長浜渡船場で通勤・通学客に続いてフェリーを降りると、出口からそのまままっすぐ川に沿って西へと直進した。道なりまっすぐ15分ほど歩くと、もう33番札所雪渓寺の前だった。向かいに清潔そうな遍路宿『高知屋』があった。

長浜渡船場から雪渓寺へ向かう遍路道
33番札所雪渓寺に到着

石柱門を入るとすべての建物がひとめで見渡せるほどコンパクトにまとまったフラットな境内に、手水舎、鐘楼、本堂、大師堂、納経所がぐるっと配置されていた。納経を終えると8時半で、団体のバスお遍路さんを見送ってゆっくりお寺を出ようとしたわたしに、境内で果物のお店を広げていた男性が声をかけてきた。「中庭の梅は見た?」と問われ、中庭があるとは思わなかったわたしがそう答えると、本堂と大師堂の間から中庭に入ることができ、そこの梅がちょうど見頃だから是非観て行くとよいと教えてくださった。

33番札所雪渓寺の本堂

お礼を言って教えられた場所に行くと、本堂と大師堂をつなぐ渡り廊下の下がくぐれるようになっていて、腰を屈めてくぐると長宗我部信親公の墓所があり、紅梅が五分咲きだった。さらに本堂の裏手にまわると小さな中庭に見事な紅白の梅が満開の見頃を迎えていた。

長宗我部信親公墓所へ渡り廊下の下をくぐる
よく見ると案内札もある
墓所の紅梅
中庭の白梅

 
種間寺へ
 
雪渓寺の門を右に出ると、また一路次の札所、種間寺へ向かう。県道278号線を新川川に沿って歩き、30分程度で小さい山に入った。抜けると県道が二股に分かれ、種間寺まで車は左、歩きは右の案内表示がそれぞれ現れたので、右に進んだ。

広い畑の中の舗装道沿いに大きなビニールハウスが並んでいる。やがて認定こども園春野学園に突き当たり、遍路札に従って左に折れた。しばらく行くと、また小さい山。それを越える頃、右手に新しい遍路標石『種間寺まで3.8km』が現れたので、右に入り、坂を上った。

遍路道の入口
種間寺3.8km

じき下りになり、畑沿いの道に下りる。その後も畦道のような道をくねくね進んだ。標石が現れない限り道なり直進するのがルールだと理解はしているものの、あまりに道が蛇行するので少し心配になる。コンパス片手に紙の地図を見ても、周囲に目印になるものがないので自分がいま居る場所すらわからない。慎重に進んでゆくと古い遍路石が2つ現れ、すぐそばのカーブミラーの支柱に左折の矢印シールがあったのでほっとした。その後、畑の真ん中で木製の道標を見落とさずに右折。田んぼの中の真っ直ぐな道を進むと、小さな橋(高田橋)を渡って車道に出た。いやぁ、順打ちですらドキドキなのに、逆打ちお遍路さんはほんとうに凄い。

畑の中の道標
ここを右折すると種間寺まで3.1km

田んぼから出たところの車道の向こう側に、種間寺まで車は右へ3.6km、歩き遍路は左へ2.7kmを示す看板があったので、左に入った。そこは住宅がたくさん並ぶ春野の集落で、くねくね蛇行する舗装道がいつまでも続いた。今朝は朝食をとらずに出てきてしまったので、お腹がすいてふらふらだったが、今さら後悔してもどうしようもないほど、畑と田んぼと民家だけだった。
 
新川川を渡ってなおも歩いてようやく種間寺が見えたとき、お寺の向かいに『お休み処陶芸工房』(既に閉業)という大きな看板が見えた。陶芸工房というのがよくわからないが、お休み処というのだから喫茶店か休憩所だろうと思い足を踏み入れたら、テーブルと椅子と自販機があるだけの無人の休憩所だった。なにかお腹の足しになるもの・・・と自販機を見渡し、キャラメルを一箱買って2粒いちどに口に放り込むと、ようやく頭に少し血が巡ってきた。

民家の庭先の紅梅

 
34番札所種間寺
 
石柱門の間を34番札所種間寺の敷地に入ると、売店と駐車場で、さらに中門があって境内だった。ここも静かで落ち着いたお寺だった。安産祈願で知られているこのお寺には、底を抜いた柄杓がたくさん並んだ子育観音のお堂があった。納経を終えて、ゆっくり境内を散策していると急に周囲が賑やかになり、振り返ると大型バスが到着していたので、急かされるように門へ向かった。

34番札所種間寺
鐘楼
納経所

 
茶箸工房はるの茶屋(閉業)
 
次の札所清瀧寺へと向かう。10分ほど歩いて、大きく左にカーブして水路を越える道と、直進する少し細い道との分岐の間に、若木が一本と、その根元に古い標石と木製の道標がいくつかかたまって立っていた。清瀧寺まで9.0kmとあった。ここから2時間以上かかる。その前にお腹がすいた・・・。

古い道標と標石
2026年現在は道路拡張とかさ上げにより道路脇に隠れている

 
さらに進むと、茶箸工房という看板が目に入った。小綺麗な一軒家の喫茶店のよう。ドアを開けて中を覗くと内装も素敵な喫茶店で、女主人がドアのところまでやってきた。ごはんが食べられるか尋ねると、パンのモーニングならあるとのこと。あぁ、これでようやく朝食にありつけると、窓際の席に座った。厚切りのトーストにジャムとスープとサラダと紅茶のモーニングセットが、まぁ美味しいこと、美味しいこと。生き返った。

歩き遍路がよく訪れるそうで、同年配の女主人と話がはずんだ。今日が区切り打ちの最終日だと話すと、採れたての大きなふきのとうを二つ、お接待いただいた。

はるの茶屋でいただいたふきのとう

 
清瀧寺へ
 
空腹を満たし、すっかり元気になってはるの茶屋を後にすると、再び次の札所清瀧寺を目指して西へ向かう。既に11時半近い。清瀧寺は標高が131mあるうえに土佐市街から少し離れているので、今回清瀧寺を打ち終えて市街地まで移動しておけば次が楽になる。ビニール袋に入れてもらったふきのとうの元気を時折気にしながら歩いた。
 
県道279号線は片側一車線の広い道が、しばらくすると住宅街を縫うように走るいかにも旧道っぽい道になり、また広くなり、と何度か姿を変え、はるの茶屋から30分もしないうちに小さい分岐に至った。ここにもちゃんと右へ進めの遍路札があり、右へ進むとすぐに恵比須神社があった。春野一帯見るからに土地が肥沃で、はるの茶屋でいただいたサラダの新鮮な野菜もお店の裏で採れたものだということだったが、神社の北側(裏手)の新川の落としと呼ばれる場所は、江戸時代に仁淀川上流から浦戸湾を結んだ水上交通のかなめだったらしく、この辺りは商人の町としても栄えたらしい。

恵比寿神社
この向こうが新川の落とし

恵比寿神社を過ぎると、すぐにその新川の落としだった場所が見えた。と言っても、今はもう筏はないし、素人目にはちょっと段差のある川ぐらいにしか見えない・・・。水路の脇では白木蓮の花芽が銀色に大きくふくらんで春の訪れを告げていた。水路にかかる涼月橋を渡ると左側に遍路標石があり、右側には新川の落としの案内板と春野神社の鳥居があった。
 
左に進むとすぐ、仁淀川の土手の上に新川大師堂が見えた。真下に古い遍路石らしきものもあったので坂を上りかけたが、今まで必ずあった遍路札がないので、手だけあわせ、戻って土手下の県道をそのまま進んだ。しばらくすると仁淀川大橋が現れた。これからこの橋を渡らなくてはいけないのに、土手に上がるような坂や階段がない。不安に思いつつ仁淀川大橋の高架をくぐったところにようやく『地元老人』によるという案内板が現れ、水路にかかる小さな橋を渡って土手に上がり、仁淀川大橋を渡ることができた。渡ってみてはじめて、仁淀川大橋は交通量があり、さきほどの大師堂のところから土手に上がると橋の下流側を歩くことになって、そのあと上流側に横断するのが面倒なので、わざわざ橋の下をくぐって上流側を歩くよう案内されたのだと気づいた。それにしても、何度見ても清流仁淀川は大きく悠然としていて美しい。

仁淀川大橋へ
『地元老人』による立派な案内板
その向こうに、土手に上がる階段が見える
仁淀川

全長633mの仁淀川大橋を渡るとすぐ上流へ向かって右に折れ、しばらく土手を歩いた後に、清瀧寺を示す大きな看板のところから坂を下った。黄色い地図では土手階段を下るはずだったので違うと思いつつ住宅街を歩いていると国道56号線に出たので、信号のある横断歩道を渡った後で、マクドナルドを目指して右へ進んで軌道修正した。マクドナルドの右側の塀沿いの住宅街を進むと、再び国道56号線。タイミングよく向こうから逆打ちの歩き遍路さんがやってきたので道を聞いて、もういちど信号のある横断歩道を渡って『土佐市観光』の大きな看板の前を進んだ。

仁淀川の土手を下る
ダムの放流による増水に注意の看板がある
看板の横の太い柱の上には防災無線のスピーカー

土佐市観光(笹岡ハイヤー)さんはとても評判が良く、お遍路が休める休憩所を併設しているだけでなく、清瀧寺にお参りする間ザックも預かってくれると聞いていたが、帰りは西寄りの道を歩く予定にしていたので、ザックを背負ったまま前を通り過ぎた。

2月の桜

徐々に市街地を抜け、再び一面畑の世界になってくるが、まだお寺は現れない。通りがかった人を捕まえて尋ねると、そう遠くはない低い山を指して、中腹に見えるのが清瀧寺だということだった。教えられた通りとにかく道なりまっすぐに進む。道沿いにかわいい蝋梅の木があり、13時過ぎにようやく参道の入口(登山口)に辿り着いた。

清滝寺へ2.2km
蝋梅
清瀧寺参道の入口

 
35番札所清瀧寺
 
ここまで来ればもうあとひと息だ。舗装道と山道を上がって、35番札所清瀧寺の仁王門まで10分かからなかった。仁王門の石段を昇ると、ネットや写真で何度か見たことのある厄除け薬師如来像がど~んと出迎えてくれた。境内には誰もいない。薬師如来像の下は戒壇巡りができると聞いている。先にお参りをすませてからと思い、いつも通り本堂からお参りし、大師堂の後に地蔵堂までお参りしてから、境内に隣接する本坊へとまわった。

35番札所清瀧寺の仁王門
本堂と厄除け薬師如来像
戒壇巡りを忘れた・・・
大師堂

お忙しい時間帯だったようで納経所は無人で、呼び鈴を鳴らすとご住職夫人だろうか、現れて、お納経をいただくことができた。お礼を言って納経帳を山谷バッグにしまって外に出る。
 
本坊の門の前には桜の樹があり、数輪咲いていた。高知は春が早い。桜の樹の前からは土佐市街を一望することができた。遮る物は何もなかった。
今回の区切りはこれで終りだ。山を下って、次の札所につなぎやすいバス通りまで歩こう。もういちど境内に戻ると、置いておいたザックに納経帳や輪袈裟等を移し、山谷バッグを軽くしてザックを背負い直す。そして、仁王門へと下り、そのまま山を下った。

清瀧寺本坊の門前の桜


 
土佐市街へ戻る
 
下ったところで戒壇巡りを忘れてきたことに気づいた。本堂の右側の斜面にあるという滝も見なかった。しかし、もう戻る気力はなかった。お遍路スイッチは完全に切れていた。

広大な畑の中を、さきほどとは違う道を市街地を目指して歩いた。が、もうスイッチが切れているせいか、市街地とやらがなかなか見えず、参道の入口から3km足らずのはずの道がとてつもなく遠く感じられた。小川に仲良く二羽の鴨が泳いでいるのにいっとき心がなごんだが、周囲に誰もいないのをよいことに「まだですか~」「まだですか~」と声に出して言いながら歩いた。

火渡川の鴨

 
ようやく市街地に入り、バス通りが見えたときはほっとした。土佐市役所でお手洗いをお借りした。市役所前のバス停で高知駅行きのバスを待とうと思ったが、まだ少し時間があったので、姑息にも次回のために少しでも歩いておこうという気になり、ひとつ先の井上病院前のバス停まで歩いてバスを待った。
 
待望のバスが来て乗り込むと、前ドア側の先頭の席に座り、金剛杖を自分の前に置き、ふきのとうの入った袋だけはしっかり握り締めて、パノラマとまでは言えないものの、120°くらいの景色を堪能しながら高知市内に戻った。終点が近くなると、窓からはりまや橋の赤い欄干が見えた。
  
 
 
【コースタイム(実際、一部時刻不明)】

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