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【四国108箇所歩き遍路1(阿波)】#07 20番札所鶴林寺~22番札所平等寺(2015年12月)

これは2015年12月~2025年11月にかけて、順打ち、全7回の区切り打ちで結願した四国108箇所歩き遍路の記録である。


難所『お鶴』と『太龍』のルートいろいろ

本日は遍路ころがし第2弾、『お鶴』(21番札所鶴林寺)と『太龍』(22番札所太龍寺)にチャレンジする日。新田さん(仮名)がお宿で今日のルートについて相談したら、太龍寺の先は、一年前の2014年11月に『いわや道』と『平等寺道』を整備して歩けるようにしたばかりなので、健脚であればぜひ歩いて欲しいと言われた。

対する『中山道』は救援ヘリを呼んだことが2回あるそうで、おすすめしていないとのことだった。

また、若き日の空海が実際修行の場所として訪れたとして歴史上確実なのは徳島県の太龍寺山と高知県の室戸岬だといわれており、空海が実際に歩いた現在の遍路道は一宿寺~太龍寺の『かも道』とのことだった。つまり、太龍寺までのルートは『かも道』が四国最古の遍路道らしいが、この道も、迷って遭難、ヘリで捜索したことが何度かある様子。焼山寺より、太龍寺の方がたいへんなのではないか。ちょっとドキドキする。

いざ出発

前日に予約した昼食用のおにぎりを受取り、昨日同様車で送っていただく。車に乗り込むなり、
「水は入っとる?1本じゃ足りんよ」→「!」
「鍵返した?」→「ここにあります・・・」(苦笑)
素晴らしい目配りに感心しつつ、急いでフロントに戻って部屋の鍵を返却して水を調達し、今度こそ出発。15分かけて道の駅の少し手前まで送っていただいた。(7:15)

きょうは歩き遍路3巡目の新田さんについていくだけなので、大船に乗った気分だ。せいぜい脚だけは早く動かそうと思っている。

20番札所鶴林寺への道のり

県道16号線から住宅街を入ったところにある鶴林寺道を山の中へ入っていく。住宅がなくなってすぐ、右手に雰囲気のある藁葺き屋根のヘンロ小屋が現れたが、歩き始めたばかりなので、休憩しないで通り過ぎる。さらに進むと今度は左に水呑大師が現れたので、手を合わせて前へ進む。お天気が良いせいもあるかも知れないが、遍路道はよく整備されていて歩きやすい。

途中視界が開けると、鶴林寺の次に目指す太龍寺山がはるか向こうの方に見えた。今いる場所との間には、これまたはるか下の方に那賀川がヘアピン状に大きく蛇行しながらゆっくり流れているのが見える。せっかく調子良く来ていたのに、いちど下ってからまた登らなくてはいけないという厳しい現実を、眼前に突きつけられた格好になった。

藁葺き屋根のヘンロ小屋
水呑大師
太龍寺山を眺める
遠い・・・

結局、歩き始めてから1時間半で20番札所鶴林寺に着いた。焼山寺同様、本堂が大きく立派で、鶴林寺だけあって両脇に大きな鶴の銅像があった。(8:28)

20番札所鶴林寺の本堂
両脇に巨大な鶴
大師堂
一部加工済

太龍寺道を若杉山遺跡へ

参拝を終えると、太龍寺へ向かう。けっこう石がゴロゴロするような山道を下って、登るときに見えた那賀川まで下って水井橋まで来た。

ちなみに、この水井橋のところで川に沿って左折した先に一宿寺というお寺があり、そこからが弘法大師も歩かれたという最古の遍路道『かも道』だ。しかし、この道は水井橋からまっすぐ南下して太龍寺へ向かう『太龍寺道』の倍近い距離があり、前述のとおり、過去に何度か道迷い遭難も起きている。わたし達は迷わず『太龍寺道』を選択した。

水井橋を渡ると再び登り。30分もしないうちに、屋根の上に緑色の苔がびっしり載ったヘンロ小屋が現れた。この辺り一帯は、水銀朱の原料となる『辰砂』の鉱脈の採掘が行われた若杉山遺跡とのこと。弥生時代終末から古墳時代初頭にかけて、採掘が行われていたらしい。この遺跡は弘法大師の時代よりもさらに500年以上前のものだが、弘法大師は水脈をみつける才能(弘法大師お杖の水)や土木技術(満濃池)ほか、多才だったと言われている。新田さんは『空海と錬金術』(佐藤任著)を読まれたそうで、その本には、弘法大師は鉱脈をあてて活動資金としていたのではないかという説が書かれているとのことだった。

若杉山遺跡ヘンロ小屋
若杉山遺跡
3世紀頃ここで水銀朱の原料となる辰砂が採掘された

太龍寺への道は、かなりわくわくする道だった。

21番札所太龍寺と南舎心ヶ嶽

そして着いた21番札所太龍寺には、天井に大きな龍が描かれた大廊下のある本坊があり、鐘楼門も大きかった。大師堂への道が高野山奥之院と同じようなつくりになっているらしく、境内に橋があった。本堂も大師堂も大きく、御影堂もあった。昨日も一緒になった先達さんと舞さん(仮名)に追いついたので、一緒に参拝した。

21番札所太龍寺の仁王門
本坊の龍天井のある大廊下
鐘楼門
一部加工済

納経後、4人で八十八ヶ所のご本尊が並ぶ道を登っていると、道の脇にお賽銭箱と『南の舎心嶽』と書かれた案内札があり、見ると岩山の上に座る弘法大師像の背中が見えた。像のところまで行けるという。右から回り込んで岩をよじ登ってお大師様の横に並ぶと、立ち上がったらわたしの倍以上ありそうなお大師様は、遠く高野山の方角をご覧になっていた。(12:30)

ちなみに、この南の舎心嶽(南舎心ヶ嶽)は太龍寺の奥之院で、太龍寺で納経できるとのこと。また、南があれば北もあるということだが、北は最初に通った仁王門の近くにあるとのことだった。

南舎心ヶ嶽への遍路道(右から左へ)
八十八ヶ所のご本尊が並んでいる
南舎心ヶ嶽
岩の頂上にお大師様の背中が見える
南舎心ヶ嶽(正面から)
一部加工済

いわや道~平等寺道 

この後はお宿で案内されたいわや道を下る。ロープを掴んで進むような箇所が数ヶ所あり、なかなかにスリリングな楽しい道だった。整備された道を歩くだけでもスリリングなのに、整備してくださった地元の方々は・・・。こんな風にして我々はお四国を歩けるのだ。ずっと利き手で金剛杖を突きながら歩いていたら、新田さんから、路肩を崩さないよう、金剛杖を使うときは路肩と反対の山側に突き、使わないときは横にして谷側に持つとよいと教わった。

いわや道

いわや道が終ると平等寺道。平等寺道は落ち葉ふかふかの歩きやすい道だった。阿瀬比ヘンロ小屋のある集落から先は、山道を大根峠まで登って、また下った。

22番札所平等寺

さらに進むと視界がひらけ、しばらく歩くと遠くに本日最後の札所、22番札所平等寺が見えた。

境内には、病気で両脚が麻痺した息子さんを木製の箱車に乗せて歩き遍路を続けたかたが、この平等寺でご祈祷を受けて息子さんが歩けるようになったため、お礼に寄進したという古い箱車が置かれていた。大正時代の話だという。未だ100年も経っていないことに驚いた。

22番札所平等寺の仁王門

明日はいよいよ阿波最後の札所、23番札所薬王寺をお参りする日。ここまでの一週間天候にも恵まれ、あっという間だった。明日は一歩一歩大切に歩きたい。


 
【コースタイム(実際)】


山茶花(遍路宿、予約は電話)
(以下すべて2015年末の情報につき、変更の可能性あり)
宿泊:2食付(夕食6:00~、朝食6:30~、本館1階にて)
洗濯・乾燥: 無料で自由に使える
その他:
和室(本館は施錠不可、新館は不明)
現金払いのみ
トイレと洗面所は男女共通
本館と新館があり、お風呂も別(女性はお風呂だけ新館を利用)
平等寺の隣という好立地
女将さんがひとりでされているので雑然としているが、食事は品数ボリューム共に多く、テーブルにはお接待のお菓子が山積みされているような、気さくな遍路宿

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