「息子は崖に立ち、私は安全地帯で立ち止まっていた」
この春から大学生になった息子。
毎日の報告に、私は何度も心を揺さぶられている。
先日、山登りなんてしたこともない息子が、
友達と思いつきで近くの山へ行き、なんと9合目まで登ったという。
その山は決して高くはない。
けれど、軽装で、しかも昼過ぎから登るには、決して甘く見ていい山ではない。
案の定、9合目に着いた頃には辺りは暗くなり、
慌てて下山したらしい。
その話を聞いた瞬間、背中が凍りついた。
そして私は思わず、こう言ってしまった。
「どうしてそんなにリスクも考えずに山に入るの?」
この時期の北海道は、冬眠から目覚めた熊もいる。
蛇だっている。
自然は、美しさと同時に危険も抱えている場所だ。
それでも、なぜ彼はそこへ行くのか。
きっとそれは、
挑戦というよりも、もっと純粋なもの。
ただ「やってみたい」という、好奇心なのだと思う。
そしてその2日後。
彼は、今度は少し低い山を選び、友達と再び山へ向かった。
今度はしっかりと頂上まで辿り着き、
そこで撮った写真を見せてくれた。
そこに写っていたのは、息をのむような絶景だった。
けれど同時に、
その写真は、思わず言葉を失うほど危険な場所から撮られていた。
崖の下は何百メートルも続く岩場。
一歩間違えれば、という場所。
それでも、その場所にしかない感動と美しさが、
確かにその一枚から伝わってきた。
危険と隣り合わせの中でしか見えない景色が、
そこにはあった。
毎日のように新しいことに飛び込んでいく息子を見ていると、
私は不安でいっぱいになる。
けれど、ふと気づいた。
リスクの先にある景色は、
実際にそこへ行った人にしか見えないのだと。
私はいつの間にか、
リスクを考え、知識を増やし、準備を整えることばかりに意識が向いていた。
その結果、動けなくなっている自分もいる。
そんな私が、
「危ないからやめなさい」と伝えることだけが、本当に正しいのだろうか。
そして、もう一つ思い出したことがある。
そもそも、私が人生の立て直しを図ろうと思ったきっかけも、息子だった。
息子がふと口にした“夢の一言”。
それは、私がこれまで見たことも、想像したこともない世界だった。
その言葉に触れたとき、私は思った。
このままの自分で、あの子に何を見せられるだろう、と。
そして、これまで積み重ねてきた育児の方向性を少し変えた。
これからは「伝える」だけではなく、「見せる」ことにしようと。
「よし、ならば先にママがやってみせる」
そんなシンプルな想いで、私は自分の人生をリスタートさせた。
だからこそ、今回の出来事を通して、ふと立ち止まる。
もしかしたら、
私が先に何かを経験することで、
それが逆に息子の行動や可能性に影響を与えてしまうのではないか。
知らなくてもよかった不安を与えてしまったり、
見えなくてもよかったものを見えなくしてしまう
“思い込み”をつくってしまうのではないか。
そんなことが、少し気になった。
親として導くこと。
ひとりの人として生きること。
その間で揺れながら、今日もまた考えている。
それでもきっと、
「やりたい」と思ったことに素直に動く力は、
教えるものではなく、もともとその人の中にあるものだと思う。
だから私は、私の人生を生きる。
そして息子は、息子の人生を生きていく。
その交差の中で、
また新しい気づきをもらいながら。
そして、ふと考えています。
あなたは今、
「リスク」を理由に立ち止まっていることはありませんか?
