アニミズムは往還にたちのぼる一筋の空間
こんばんは
オレは大学時代
人類学に脳を焼かれてから
細々と
本を読んでいます
人類学は
現実的・物質主義でない、
空想癖あり妄想的なオレでも
生きるスキマを
与えてくれる学問なので
『こ(んなオ)れでもいいんだ』
と肯定されてる気に
なるんです
今日はやっと
一冊読み終えたので
その話を
ここ数年
ティム・インゴルドという人が
ブームっぽくて
原著の訳本が出てるので
読もうとしたんですが
立ち読み時点で
『あ、これとっかかり無いと
読めへん…』(解説ヲクレ)
とわかったので
日本でインゴルドの訳本を
出し続けてる
奥野克巳さんの本から
読んでみることにした
(https://www.akishobo.com/akichi/okuno2/v1)
(モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと、亜紀書房、2020年)
最初の方は
『こんまりは片付けの谷のナウシカなのか』
から始まるので
人類学にあまり触れたことのない人でも
とっかかりやすくなってます
こんまりという人は
知ってはいたが
どーも胡散臭いので
避けていた
読み進めると
やはり宗教臭を漂わせながら
西洋の二元論に
立ち戻ってるあたり
一貫性がないという印象
まあ、『トキメキ』
と言いながらも
目的は『手放す』と言う名の
『モノを捨てる』行為なので
(大切だったものがゴミになる瞬間に立ち会う)
(むしろモノをゴミに変換する作業)
結論が決まっている以上
現実的な括りから
抜け出すことはできない
その辺りから始めながらも
最終章『アニミズムとは何か』
を論じるまでの流れが
なんかえらく艶かしく
良かったんですよねー
(別に性の話ではない)
(筆致と多くの参考文献が
なんかいいのよ)
奥野さんのアニミズムとは
オレが足りないアタマで
暴論するなら
『人と人外が出会い没入し、
また戻ってくる往還の間に
立ち昇る一筋の空間』
たぶん、有名なとこでいえば
アイヌの熊送りの儀礼が
(イヨマンテ、イオマンテ)
分かりやすいと思うけど
熊送りの儀礼中、
人は熊であり
熊もまた人であり神であり
意識が往還するんです
そこに直感的に立ち昇るのが
アニミズムであると
ハイ、よく分かりませんね
んーと、アニミズムって
精霊信仰と端的に
訳されてますが
そんな簡単な言葉で表せられる
ものじゃなくって
(オレも初めて知った
変化しながら維持された意識(空間)
かな、と
人と人外との間を
意識が巡るときに
瞬間瞬間
直感的に立ち昇る空間のことを
差しているのかしら
と思った次第です
西洋二元論のように
主体と客体が
ガッチリ固定されている
ところには
アニミズムは立ち昇らない
ということです
(往還なので、行って帰ってくるが前提)
(主体から客体を観るなどの
一方通行ではない)
精神学とかでは
投影とか近いかもしれませんが
これも主客が固定されているので
アニミズムではないと思います
主と客の線引きが
曖昧になるという
意味でもなくて
それぞれを行きつ戻りつする
その間の三次元に立体的に
ほのかに浮かんでくる空間という
印象を受けました
ハイ、まあ
オレもよく分かってないけど
『アニミズムの手ざわり』
が分かったかな
と思ってます
読み切ったので
次は何読もうかなーと
本屋でウロウロしてました
闇の中国語とか
大人の発達障害とか
見てみましたが
やっぱリアルは気乗りしないですね
なんかね、オレはたぶん
事実『大人の発達障害』なんだろうけど
書いてあることが
ことごとく当たると
落ち込むんですよ
事実の補強をされるというか
今だって
専門学校通うことを決めたのって
『幼児的万能感』から来てるの
かもしれないし
躁の時の『理想的自我の妄信』から
かもしれないし
毎度毎度自分の思考を
疑いながら生活してるんすよ
(人間関係もそれに伴う自分の感情も
ナニコレと思いながら生活してます)
自分の思考や感受性すらも
毎度毎度疑い続けるって
これ、結構キツイです
皆様はやってらっしゃるのかしら
(それもこれも思春期を
離人状態で過ごして、
今現在ADHD+ASD+双極性感情障害
と言われ、ウツな自分があるから
なんですけど)
昔からやってることですけど
自己を疑い続ける、
監視し続ける…
ミシェルフーコーの
『監獄の誕生』です
んで、奥野克巳さんの
別の本買いました
(ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと、亜紀書房、2018)
こっちはたぶん
フィールドワークから
得た情報/体験からの思索
だと思います
冗長な民俗誌って
大好きです
読むのが楽しみぃー
(終)
