【哀愁おっさん旅行記】京都市東山区「禅居庵摩利支天堂・京都ゑびす神社・栄西」

京都の町を歩くと、ふとした路地の奥に、思いがけない風景に出会うことがある。今回私が足を運んだのは、祇園の喧騒から少し離れた建仁寺の南西に位置する塔頭寺院、禅居庵。摩利支天堂を擁するこの寺は、臨済宗建仁寺派に属し、鎌倉時代後期に元国から来朝した清拙正澄禅師を開祖として、小笠原貞宗によって創建されたという。

門をくぐると、まず目に飛び込んできたのは、堂々としたイノシシの銅像だった。その足元には、まるで小さなでんぼ人形のような、愛らしいイノシシの人形がちょこんと置かれている。どこかユーモラスで、しかし不思議と神聖な空気を纏っている。手水舎に向かうと、そこでもイノシシが水を吐いていた。狛犬ならぬ“狛亥”が境内のあちこちに鎮座しており、まさに「猪の寺」と呼ばれる所以がそこかしこに感じられる。

摩利支天堂は、摩利支天を祀るお堂である。摩利支天とは、陽炎を神格化したインド由来の女神で、仏法を護る善神として禅宗では特に重んじられている。摩利支天は七頭の猪の背に乗っている姿で描かれることが多く、そのため猪が神の使いとされ、禅居庵では境内に多くの猪像が祀られている。摩利支天は「開運」「勝利」「七難除け」のご利益があるとされ、特に亥年生まれの人々には守護神として信仰されてきた。

お堂の形も印象的だった。参拝の道に沿って屋根が伸びており、まるで参拝者を導くような構造。摩利支天の姿は秘仏とされているが、その存在感は境内の空気にしっかりと刻まれていた。建仁寺との関係も深く、禅居庵はその塔頭として、建仁寺の精神を受け継ぎながら独自の信仰を育んできた。摩利支天が祀られているのも、清拙禅師が元国から招来した鎮守としての由来がある。
境内を歩きながら、私はふと、猪という存在の意味を考えた。猪は古来より勇猛果敢な動物として知られ、前にしか進まないその性質から「突き進む力」の象徴とされてきた。摩利支天が猪に乗る姿は、まさにその力を借りて人々を守るという信仰の表れなのだろう。かわいらしい人形に込められた祈りは、見た目以上に深いものがある。

禅居庵を後にして、私はすぐ近くの京都ゑびす神社へと向かった。建仁寺の鎮守社として、1202年に栄西禅師が建立したこの神社は、商売繁盛の神様「えべっさん」を祀ることで知られている。鳥居には戎の顔をかたどった扁額が掲げられており、その福々しい表情が参拝者を迎えてくれる。境内にはえびす像が点在し、鯛を抱えた姿や笑顔の表情が印象的だった。

京都ゑびす神社は、今宮戎(大阪)や西宮神社と並ぶ「日本三大えびす」の一つとされているが、実は十日えびすの発祥はこの京都の地だという。毎年1月8日から12日にかけて行われる十日えびすでは、福笹を求めて多くの人々が訪れ、祇園の舞妓さんが福笹を授ける「残り福祭」なども行われる。えびす様は耳が遠い神様とされており、参拝の際には本殿の扉を軽く叩いて「来ましたよ」と知らせるという独特の作法もある。

この地にえびす神が祀られた背景には、栄西禅師が南宋からの帰国途中、海上で暴風雨に遭った際にえびす神に守られたという伝承がある。その感謝の念から、建仁寺の鎮守としてえびす神社が創建されたという。つまり、禅居庵と京都ゑびす神社は、建仁寺という大本山を中心に、それぞれ異なる神仏を祀りながらも、同じ精神の流れの中にあるのだ。

えびす神社の境内を歩いていると、参拝者の笑顔が目に留まった。福笹を手にした人々、えびす焼きを頬張る子どもたち、扁額の戎の顔に手を合わせる商人――それぞれの祈りが、この場所に集まっている。えびす様の像の前で立ち止まり、私はしばらくその表情を見つめた。笑っているようで、どこか達観したような、深い慈愛を感じさせる顔だった。
禅居庵の摩利支天と、京都ゑびす神社のえびす様。どちらも異なる信仰の対象でありながら、共通して人々の願いを受け止める存在だ。猪の力強さと、戎の福々しさ。その対比が、京都という町の多層的な文化を象徴しているように思えた。
夕暮れが近づくにつれ、祇園の通りにも灯りがともり始めた。私は静かに歩きながら、今日出会った神々の姿を思い返していた。摩利支天の背に乗る猪、扁額に刻まれた戎の顔、そしてそれらを囲む人々の祈り。京都の町は、ただ古いだけではない。そこには、今も生き続ける信仰と文化がある。
そして私は思う。旅とは、風景を眺めることではなく、土地の記憶に触れることなのだと。禅居庵の猪に見守られ、えびす様の笑顔に包まれながら、私は静かに京都の空気を胸に刻んだ。
