疲れているとき、いつもと同じ判断はできなくなる|選択シリーズ14
疲れているとき、
何ができて、何ができなくなるのか。
あとになって、はっきり分かったことがあります。
仕事では、
いつも通り判断ができていたのに、
自分のことになると、
何も決められなくなっていた頃です。
その違いを、
当時はうまく言葉にできていませんでした。
親の要望で家を購入したとき、
私の中にあったのは、強い達成感でした。
「これで、ひとつ責任を果たした」
そんな区切りのような感覚です。
住みたい家を選んだ、というより、
やるべきことを終えた、という感覚に近かったと思います。
その頃の私は、かなり疲れていました。
自分の家具ひとつ選ぶ余裕もなく、
「何が欲しいか」を考える力自体が、
ほとんど残っていなかった時期です。
それでも、
家という大きな判断はできました。
今振り返ると、
それは自分のための判断ではなく、
他者のための判断だったからだと思います。
数年後、
私自身もこの家に住むと決めたとき、
同じ建物なのに、見え方が変わりました。
中古住宅だからこその良さを、
そのとき初めて実感したように思います。
私にとっての中古住宅の良さは、
間取りや構造が、
すでに他者の基準で出来上がっていたことでした。
そこから、
自分の基準に近いものを選べばいい。
すべてを一から決めなくていい。
新築や分譲住宅という選択もありましたが、
両親にとっても、私にとっても、
庭の広さは重要な条件でした。
庭付きという要望を、
現実的な条件として落とし込んでいくと、
結果として、中古住宅だった。
中古住宅を選んだ、というより、
条件を選んだ結果が、中古住宅だった、
という感覚です。
古い部分は新しくできる。
居心地のいい部屋は、
住みながら整えていける。
最初から完成させなくていい、
という前提があったことも、
当時の私には大きかったと思います。
住宅を一からつくる大変さを、
私は仕事を通して知っていました。
これまでに百件を超える住宅の設計に関わり、
どれだけ多くの判断が積み重なって、
一軒の家ができているのかを、
実感として見てきたからです。
だからこそ、
当時の自分の状態で、
そのすべてを引き受ける選択はしませんでした。
今になって思うのは、
疲れていても仕事だと
多くの判断ができてしまうのは、
判断の基準が外にあったからだった、
ということです。
一方で、
自分のための判断には、
余白や感覚が必要です。
この話は、
何かを決めるためのものではありません。
判断ができなかった理由を、
能力や気合の問題にしないための、
ひとつの記録です
今の私は、
「今日は決めない」という判断も、
ひとつの選択として残しています。
この話の背景には、
「引き受けすぎていた時期」の感覚があります。
そのことを整理した記事はこちらです。
引き受けない立場に、以後ことの悪さを感じていた
疲れている日に、
判断を増やさないためのチェックリストを作りました。
今日は引き受けるか、保留にするか、決めないか。
迷ったときに、静かに使ってください。
