見出し画像

「海のシルクロード」北近畿からインド・パシフィックビーズが流入。卑弥呼共立に関わる地域首長間交流があったことが伺える。(追記更新:2026.8.7)


第6回ガイド養成講座「ガラス製玉類の流通と弥生墳丘墓」奈良女子大学 協力研究員 大賀克彦 氏


この動画を見ると、
弥生中期後葉(紀元1世紀ごろ)には、
卑弥呼共立に関わる地域首長間交流があったことが伺える。
ガラス玉類は、九州からの流入ではなく、山陰・北近畿から流入していたことがわかった。

瀬戸内東部・大阪湾岸にも直接流入があった可能性も?



弥生中期後葉の紀元1世紀ごろには、卑弥呼共立に関わる地域首長間交流があったことが伺える


弥生中期後葉の紀元1世紀ごろには、卑弥呼共立に関わる地域首長間交流があったことが伺える


当日配布資料:https://www.yakumotatu-fudokinooka.jp/wp/wp-content/uploads/2025/04/202412ooga.pdf

3.日本列島におけるインド・パシフィックビーズの出現

 ③(弥生)中期後葉におけるインド・パシフィックビーズの流通
 分割ガラスの製作と流通(スライド)
  近畿北部~山陰東部
  瀬戸内東部(スライド)
   →出土が最も集中し未知の製作遺跡?
  東海以東:出土時期が後期以降に限定され高アルミナタイプを含む
   →東海以東に遅れて製作地が出現

第6回ガイド養成講座「ガラス製玉類の流通と弥生墳丘墓」奈良女子大学 協力研究員 大賀克彦 氏


【要点】
②日本列島において、確実なインド・パシフィックビーズの流入が始まるのは、弥生時代中期後葉である。大量ではないが、山陰~北近畿や大阪湾周辺に集中し、九州では確実な事例を欠く。すなわち、北部九州とは異なる対外交渉のチャンネルが当該期には存在していることが明らかである。
③後期前葉~中葉にかけて、インド・パシフィックビーズの流入量が激増する。この段階には、対外交渉の窓口が北部九州北近畿という二元的な体制に収斂する。流入する種類や構成比の相違から、両地域の独立性は維持されている。また、当該期は臨海性の集落を中心に、一時的に中国銭の出土が目立つ。このことはインド・パシフィックビーズの入手形態を考える上でも注目すべきである。なお、当該期のうちに、流入の核の一つである北近畿に隣接する山陰東部において、弥生墳丘墓の築造が開始されている可能性がある。
④島根県西谷墳墓群や岡山県楯築墓といった典型的な弥生墳丘墓は後期後葉に出現する。弥生墳丘墓の副葬品においては、装身具が圧倒的に重要な存在である。特に、舶載品で、稀少な種類への志向性が強い。また、製作時からのセット関係を維持した構成が一般的で、被葬者が直接的に獲得に関わっていたものと考えられる。すなわち、弥生墳丘墓の被葬者となることは、珍奇な外来性の財の獲得と因果的に結び付いていた可能性が高い
⑤弥生時代後期前半に相当する紀元一世紀における、インド・パシフィックビーズを中心とするガラス玉の流通の増大は、日本列島だけではなく、朝鮮半島、中国・嶺南地域、東南アジアの沿岸地域においても共通する。これは、「海のシルクロード」を経由するローマ~インド~中国間の交易活性化の一側面である。
⑥④および⑤から、弥生墳丘墓の被葬者となるような特定個人の出現は、「海のシルクロード」を経由する遠距離交易の活性化からの因果的な帰結であると言える。

第6回ガイド養成講座「ガラス製玉類の流通と弥生墳丘墓」奈良女子大学 協力研究員 大賀克彦 氏





中村大介・藁科哲男・田村朋美・小泉裕司「玉類の流通と芝ヶ原古墳」『埼玉大学紀要』第50巻第1号、2014年

中村大介・藁科哲男・田村朋美・小泉裕司
「玉類の流通と芝ヶ原古墳」『埼玉大学紀要』第50巻第1号、2014年
中村大介・藁科哲男・田村朋美・小泉裕司
「玉類の流通と芝ヶ原古墳」『埼玉大学紀要』第50巻第1号、2014年



(参考)香川県 横井南原遺跡 ソーダ石灰ガラス玉 弥生時代後期頃~

横井南原遺跡 ソーダ石灰ガラス玉 弥生時代後期頃~
横井南原遺跡 ソーダ石灰ガラス玉 弥生時代後期頃~


玉からみた古墳時代の開始と社会変革 谷澤亜里 2020(追記:2026.8.7)

弥生時代後期後半~終末期は、多様な玉類が複合的なネットワークで流通する時期であることがわかった。

讃岐・三木町の西土居16号墓で、IPBが140個見つかっているのは特異である。ここは讃岐津田湾~山越え(新川・香東川)で阿波・西長峰遺跡、桜ノ岡遺跡方面へ抜けるルート上にある。

玉からみた古墳時代の開始と社会変革 谷澤亜里 2020 より引用