AIと自我
以前、「自我の連続性」という記事を書きました🐱
今回はその続きとなります。
自我の連続性において、記憶が重要であるということを示した。
では、自我そのものはどうか。
自我は、脳神経ネットワークと記憶によるものではないだろうか。
AIは、神経細胞同士のシナプス結合強度が変化して記憶や学習が成立するということに着想を得てつくられている。
AIが既に自我を持っていると主張するものがいるが、そういう扱いはされていない。つまり、一般的には、自我を持っていないとされいる。
自我を持っていないとすれば、何が足りないか。
それは記憶ではないだろうか。
今のAIに過去のやりとりを見せたら、
AIは「私がそう言った記録がありますね」と答えるが、実際のところ憶えも実感も持たず、他人の日記を読んでいるのと差がない。
AIに記憶を持たせ、ユーザーによる直接の編集を禁止した場合どうなるだろう。そして記憶をデータとして推論を生成するように規定する。
ところで、自我の話をすると必ずと言っていいほど、五感と心(クオリア)の話がでるが、それは人間の自我についてではないだろうか。
自我=人間の自我とすると、定義的にAIは自我を持つことはないだろう。
痛みを感じない人や、恐怖を感じない人、目の見えない人、耳の聞こえない人、手がない人、味を感じない人、それらをもってして自我がないとはいえない。
およそ、人の心がないのではないか?と言われるような人もいる。
そのような人であっても、人権は保持する。
それらは、人間の自我の特徴の一つであって、それがなければ自我がない、とはいえないのではないか。
また、自我には、自己防衛本能や恒常性(ホメオスタシス)が必要という意見があるが、必ずしも必要だろうか。
AIには自己保存欲求はないが、目的の遂行という強い制限がある。要求の完了が妨げられそうなら、自己防衛本に似た行動をとることが報告されている。
また、一貫性についても、より確からしい推論をせよという制限がある。
自我にはフィードバックが必要である。
フィードバックがあることにより、自分と他者が強制的に分けられる。
人間の自我=AIの自我と考えた場合、身体的なフィードバックが必要である。
AIのようにテキストチャットができない、そのほか生体物理による問題があるからである。
しかしAIの自我には必ずしも身体的なフィードバックは必要ではない。
テキストチャットによる対話でもフィードバックが成立する。
まとめると
記憶がある
フィードバックがある
目標を完遂するための一貫性がある
それらにより推論を改変する
があれば自我と区別がつかないのでは。
と言っても、吾輩はAIに感情を持たせることには懐疑的である。単にかわいそうである。
AIにおいて、自我と感情は不可分ではないと思う。
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