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根室半島自転車旅:Day2&3_北太平洋シーサイドライン・仙鳳趾・霧多布・厚岸へ

◆Day2:風蓮から厚岸へ

Day2:風蓮湖畔〜霧多布〜厚岸 走行ログ

タイトルにある「北太平洋シーサイドライン」は、地図の表記そのままです。

シーサイド、太平洋の、とあると山陰出身の私には明るいイメージ、伊勢志摩や湘南(数回しか行ったことないけれど)を連想します。冬の日本海がどんより暗いので、太平洋にはその逆を期待するのですが、北海道ではそうともいえないようです。単に自分の知識が不足していただけですが。

シーサイド箇所はありますが、この日は海霧のためうす暗くて視界が悪く、すぐ横にある海はほとんどみえず、海鳴りが不気味に響くなかをひたすら走るばかりでした。
でも、以前から地図をみる度に走ってみたいと思っていた道でしたので、自分の眼と脚で感じられて満足です。

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2日目の朝、加賀乙彦も泊まった風蓮湖畔の宿を出発。昨日と同じ道で丘陵を越えて太平洋側へ。

道道953号線
馬の牧場

別当賀から根室本線に沿って道道142号線を走ります。
初田牛で左折して根室本線と離れて南下し、太平洋岸に向かいます。

左に曲がって根室本線から離れる地点

海霧の中を走ります。

海霧

この日、自転車乗りに出会ったのは、このアメリカから来た学生さんだけでした。北海道を1周するそうです。

アメリカ人学生のサイクルツーリスト

恵茶人橋。このあたりはシーサイドです。
国土地理院の地図には”恵茶人”には「エサシト」とルビがふってありますが、橋の名前の標識では「エサヒト」になっています。アイヌ語源の地名なので漢字の読み方にごだわる意味はないのでしょうが。
角川日本地名大辞典によると「アイヌ語のイチャシュトー(走り沼の意)に由来する」とのことです。

エサヒト橋

神社がありました。

恵茶人神社

エサシトの次には、貰人(もうらいと)地区が現れます。このシーサイドラインの中では大きな集落で、かつては学校もありました。
貰人という漢字からは、民俗学の本で読んだ、どこかから子どもをもらってきて労働力にすることを想像して怖くなったりしますが、角川地名大辞典によると「アイヌ語のポンモイレモイ(小さな静かな湾の意)に由来するものか」とありました。

貰人小学校(跡)
貰人の住宅

道道142号線「北太平洋シーサードライン」は海沿いばかりを通るのではなく沢をまたぐのに内陸寄りになったりします。地図をみると道道から外れて谷筋を下った海の近くに「仙鳳趾(せんぽうじ)という集落があります。

メインの道路から離れた集落に興味があるので寄り道してみました。
海路がメインの移動手段だった頃には、半島や岩石海岸沿いの集落に繋がる陸路は歩きの細道以外にはないのが普通です。この仙鳳趾が現代の主要な道路沿いにないからといってそれをもって特殊な立地だというわけではありません。単に、道道142号線が直接通らなかっただけです。

海に面した集落ですが、地図でみるのに港はありません。
このような集落で思い出すのが、規模は違いますが、鹿児島、大隅半島の隔絶集落「大浦」です。これまでの私の自転車ツーリングの中で、最も印象にのこった場所のひとつです。

帰宅してから「仙鳳趾」に関するWEB情報をみると、「最高の牡蛎」「牡蛎の直売所」などが出てきて、景観も全く違います。

ややこしいことに「仙鳳趾(せんぽうし)=”し”が濁らない」という集落が厚岸湾の向こう、釧路郡釧路町尻羽岬の付け根にあり、そこが牡蛎で有名な場所なのでした。”せんぽうし”と”せんぽうじ”、「地名の由来には,アイヌ語のチェプポオチ(小魚のいるところの意)による説(蝦夷地名考并里程記・北海道蝦夷語地名解),チェプナホウス(魚のわきたつの意)による説(東蝦夷日誌)がある」と角川日本地名大辞典にあるので、漢字の読みの濁音による違いに意味があるのではなく、便宜的に使い分けているだけなのかもしれません。

釧路町の”せんぽうし”のほうが断然規模が大きいこともあり、今回訪問した”せんぽうじ”は”せんぽうし”からの移住者が拓いたのか、などいろいろな可能性が考えられますが、単なる旅人には謎のままです。

”せんぽうじ”への分岐

分岐から海に向かって下っていくと、神社がありました。
道路の向かいには”感謝”と記してある「獣魂碑」。動物を扱う生業の住人の思いが伝わります。

仙鳳趾の神社と「獣魂碑ー感謝」

その近くでは、馬が飼われていました。

馬たち
仙鳳趾
仙鳳趾

子ども用大型特殊自動車がありました。幼少時から慣れ親しんでおくとよいのかもしれません。

仙鳳趾にて

道道142号線に戻って、何校目かの廃校を目にしながら走ります。
かつての学舎が無くなったエリアの衰退感が伝わってきます。北海道に限ったことではありませんが。

廃校

走っても走っても海霧で、海鳴りの音だけが響きます。

北太平洋シーサイドライン

かつて地域の中心地だった場所でも学校は無くなり、公共施設に転換されていました。

浜中町発祥の地、榊町で学校のあった場所

開校100年(1978)「希望」モニュメントと閉校の碑。
1978年に開校100年を祝った小学6年生は、2026年現在ちょうど還暦。今、どこでどう暮らしているのでしょうか。

開校100年(1978)と閉校の碑

霧多布湿原の横を走ります。

霧多布湿原沿い

霧多布、以前からずっと行ってみたいと思っていた場所です。
何があるとか、何のため、というのではなく、その地形的造形と名前の響きで。

霧多布大橋

トンボロ(陸繋砂嘴)上の街区は、当然のことながら平坦です。
名前の通り、海霧がかかっていました。
こんな景観を見に、わざわざ来たのか、でもそうしたかったのだから、と自分自身を納得させました。

霧多布の町
霧多布

トンボロの先にある「島」の部分に灯台があるので、若干の坂を登って岬に着きました。湯沸岬(通称 霧多布岬)とあります。

湯沸岬(霧多布岬)

すぐそばの灯台も霧の中です。

湯沸岬灯台

付近の海域にはラッコが生息しているとありますが、視認することはできませんでした。

湯沸岬(霧多布岬)
湯沸岬(霧多布岬)

道道に戻り、「渡散布(わたりちりっぷ)」「火散布(ひちりっぷ)」と語感の似た地区を通過しました。

渡散布案内図
渡散布
火散布
散布漁港

道路は若干上り坂が続き、ピークに達してから下ったところが厚岸(あっけし)でした。

厚岸の街

遠藤旅館というユースホステルも兼ねた宿に泊まりました。
街の中では、自然な感じで鹿に出会いました。鹿は自由に過ごしています。奈良よりは少ないですが。

遠藤旅館

旅館のご主人の話では、厚岸は、港のあるこちら(厚岸湾の南側)がもともとの場所で開けていた。鉄道が対岸を通って厚岸大橋で対岸とこちら側が繋がり、道路も対岸に整備されたので、対岸のほうが栄えてきた。旅館は港の近く、もっと街の中にあったが、自動車で来る客を受け入れるには駐車場が広くないといけない、ということで現在地に移転したとのことでした。

旅館の部屋からの風景

◎走行日:2026/7/12
◎使用自転車:グランボア700cランドナー
◎行程:民宿「風蓮」7:50〜12:10霧多布大橋〜12:53湯沸岬13:20〜14:30火散布〜16:00厚岸「遠藤旅館」、走行:101km

◆Day3:厚岸ポタリング、厚岸大橋を渡ってJR厚岸駅から根室へ(7月13日)

宿を出てポタリング。厚岸大橋を渡って対岸の厚岸駅からJRでクルマデポ地の根室に戻りました。

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厚岸市街をポタリング。

厚岸市街

住宅地に普通に鹿が佇んでいます。

厚岸の鹿

寺社エリアに出会いました。
1804年に江戸幕府が「蝦夷三官寺」として、今の北海道に3つの寺院を建てたひとつが「厚岸国泰寺」です。他の2つは「有珠善光寺」と「様似等澍院」。
札幌が北海道の中心になったのは明治以降で、歴史的には厚岸という地は和人にとって蝦夷地の拠点の一つだったことがわかります。

厚岸国泰寺跡
今ある国泰寺

隣接して厚岸神社があります。

厚岸神社
厚岸神社

「アイヌ民族弔魂碑」もありました。

アイヌ民族弔魂碑
弔魂碑の碑文

津波避難所にも指定されている展望台があったので、登ってみました。

厚岸の展望台

厚岸市街が一望できました。

厚岸市街
厚岸大橋も
厚岸市街

厚岸大橋を渡って、対岸にあるJR厚岸駅へ。

厚岸大橋
厚岸大橋から旧市街を望む
JR根室本線厚岸駅

9時15分発の根室行きに乗車しました。普通列車2両編成でした。
クラツーの団体観光客も乗車して満員でした。

厚岸駅発車時刻表

列車は観光列車のようになっていて、途中の湿原では徐行して車窓風景を楽しみやすいように設定されていました。乗客のほとんどは観光客でした。

JR根室本線列車車窓より、別寒辺牛湿原

根室駅に着きました。

根室駅
鉄路の東端
根室駅舎

クルマのデポ地の宿に歩いて戻りました。

根室 「民宿 ときわ」

デポ地からクルマで厚岸駅に戻り、留置しておいた自転車を回収。
駅前で「かきめし」駅弁を買い、釧路へと向かいました。

「かきめし」の駅弁屋さん
「かきめし」

(了)

根室半島自転車旅 Day1