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イタリアとヴァチカンの旅, 1983年7月の10日間 〜 ヴェネツィア, フィレンツェ, ローマ, ヴァチカン, ポンペイ(遺跡), ナポリ, ブリンディジ

写真は 1983年7月5日, ローマ, トレヴィの泉にて, 同年4月26日に横浜港からのフェリーで 日本を発ち, あの頃はあった「ソ連」, それから 北欧諸国を経て, ヨーロッパ を南下中の筆者が撮影。


月日は百代の過客にして, 行きかふ年も又旅人也

奥の細道」, 姫神せんせいしょん(1981年リリース), いや, 「おくのほそ道」, 松尾芭蕉(1644年もしくは1645年 - 1694年)。

当時 22歳の日本人バックパッカーも 今や還暦を過ぎて 5年余, When I'm Sixty-Four 🎶 のその現実(おおよそ歌の通り, 笑)からも 1年以上, そりゃ若い頃の思い出は 細かいことなど曖昧になったりもするよなぁ, 何しろ, 髪だってだいぶ 白くなりにけり。

平均的な?白髪の男よ, 
バラバラになった記憶の欠片を拾い集めるんだ!

Average White Band,
Pick Up the Pieces!!

いやいや, その「白」ではありません(笑)。俺は 平均的な白人じゃない, 平均的かどうかは別として黄色人種なんだ(それに「白髪の」は 英語では white-haired よりも gray-haired の方がより使われるかな!)。

ではでは, 閑話休題, さっそく(?)次章からは, 43年前のイタリアとヴァチカンの旅へ, でもこれを聴いてから!

Retro Italian Swing Medley 🎶

イギリス人とイタリア人のメンバーによるバンド, Hetty & the Jazzato Band による, レトロなイタリアのスウィング・メドレー ♫

なんと行かないつもりでいたのだった, ヴェネツィア

まずは 次章にリンクを置く「ヴェネツィア 旅」note のその第2章「なんと行かないつもりでいたのだった, ヴェネツィア」の冒頭から 前半部を, 以下に転載, その上で(その下に!), 1983年7月の一連の「イタリア(および ヴァチカン) 旅」note へ。

イタリアでは, 当時の旅日記によれば, ヴェネツィアに 7月1-2日の1泊2日, フィレンツェに 7月2-4日の2泊3日, ローマに 7月4-8日の4泊5日(7月6日にはヴァチカン市国も見物), ナポリに 7月8-9日の1泊2日(7月8日にはポンペイの遺跡も見物)している。その後はナポリを 7月9日の夜行列車で発ってブリンディジに向かい, 翌7月10日朝ブリンディジ着, 街をぶらついたりして過ごした後, その日の夜の船便でブリンディジの港を発ち, ギリシャに向かっていて(7月11日にギリシャのパトラに着いて, そこから列車でアテネへ), そういうわけで, イタリアには夜行列車の1泊を入れて 9泊10日滞在したことになる。

後に旅日記を見て一点なぜ?と思ったことがあって, それはどうやら最初はヴェネツィアに行かないつもりだったらしいということ。「最初は」というか, 旅程の細部に関しては旅しながら決めていたので, 途中で, それもイタリア行きを間近に控えるようになってから, そんなふうに考え始めたのではと思うのだが。

おそらくは, もともと旅の目的地としては中東やアジアをメイン・ターゲットにしていたことと, ソ連(何しろ1983年なのでロシアではなくてソ連!)の後のフィンランド・ヘルシンキから始めた2ヶ月間有効のユーレイルパスによる移動もその期限が近づきつつあって, 有効期限内にギリシャまで辿り着くことを優先する限りは行き先の取捨選択に迫られる, といったようなことが心理的に影響していたのかもしれない。

当時の旅日記には以下のような, いつもの如くの殴り書きメモがあって(記載の通りで 2日後の 7月3日に書いたようだけれど),

「なんと行かないつもりでいたのだった, ヴェネツィア」より

それでは, 1983年7月のイタリア(とヴァチカン)へ。

ヴェネツィア 〜 1983年7月1-2日

ヴェネツィア 〜 1983年7月1-2日

後段の note の掲載写真 7枚の中から, 以下, ここでは 5枚。

1)

2) 女性が 一人, そして 猫(見える? 真ん中, 拙者を見つめて [邦題!] いたのだ)が 三匹。ということはナニ? 合計すると .. 莫迦莫迦しい足し算はやめろ(笑)。いずれにしても, 何処の国にも 綺麗な女性はいて, 同じく何処の国にも 可愛い猫ちゃんたちはいるのです。

3) うっかり(?)気取ったポーズをしてしまった, 当時22歳, しかし風貌はオヤジの日本人バックパッカー(あの頃は「バックパッカー」よりも「貧乏旅行者」という言い方をしてたと思う, おそらく今の時代は結構な額を使えるような, あるいは使うような「バックパッカー」もいるんじゃないかと想像するけど, いいわるいの問題でなく昔々のあの時代は「バックパッカー」は ほぼイコール「貧乏旅行者」だったと思う, 括弧長いぞ, 笑), ともあれ, 

これって, 何かの上にカメラを置いてセルフタイマーで撮ったのか, あるいは居合わせた人に頼んで撮ってもらったのか, 旅日記にはそんなことは書いてなくて、もはや思い出せない(後の中東・アジアを含め, たまに他の旅人などと一緒に移動することはあったけれど, 他の殆どのヨーロッパ諸国などでの旅と同様, イタリアでの筆者は完全に一人旅の旅人だった)。

実は, 誰かが 撮ってくれたんだったっけ?

「私です。」 ... マジか(笑)。

This Masquerade from Leon Russell's 1972 album Carney ♫

This Masquerade (Leon Russell) from the Carpenters' 1973 album Now & Then ♫

だいぶ話が飛んだなぁ.. まぁ ヴェネツィアといえば, 2月末から3月初めの 2週間にわたり開催されるカーニヴァル, で, その ヴェネツィアのカーニヴァルといえば 仮面, 仮面といえば Masquerade, 仮面舞踏会, 

「しつこいわね」

Eyes Wide Shut ではないかこれは, Stanley Kubrick (Jul 26, 1928 – Mar 7, 1999) の遺作, 1999年公開。で, Stanley Kubrick といえば, 1968年公開の傑作映画 2001: A Space Odyssey, 邦題は「2001年宇宙の旅」。話が本格的に飛んだ, 宇宙まで(笑)。

ヴェネツィアに戻ります, 1983年7月の ヴェネツィアに。
下掲 note 掲載写真から, ここではあと 2枚。

4)

5)

イタリアだけが 目的地だったなら, いや ユーラシア大陸「ほぼ」一周ではなくて「ヨーロッパ」旅行ぐらいが 旅の目的だったのなら, もっと長居しても良かったはずの ヴェネツィア!

Harry's Bar 〜 加藤和彦 Kazuhiko Kato 1984 album Venezia ヴェネツィア

ここで 一旦, 脱線。なぜなら, 「音楽がなければ、人生はただの間違いだろう」から。

「ハリーズBAR」(HARRY'S BAR)は 加藤和彦の9枚目のソロ・アルバム『ヴェネツィア』の収録曲で、安井かずみが詞を手がけ、ヴェネツィアに実在する同名のバー・レストランを舞台にしている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハリーズBAR

Harry's Bar https://youtu.be/1Uwp-nO3f6g from 加藤和彦 Kazuhiko Kato 1984 album ヴェネツィア VENÉZIA ♫

Harry's Bar from 加藤和彦 Kazuhiko Kato 1984 album ヴェネツィア VENÉZIA

『ヴェネツィア』, VENÉZIA

加藤和彦(1947年3月21日 - 2009年10月16日)が, 1984年11月1日にリリースしたアルバム

街そのものが美術館だったフィレンツェ 〜 1983年7月2-4日

今のようなスマホ時代だったなら, いくら「貧乏旅行」バックパッカーでも, 写真は 6枚じゃなくて, 60枚, いや 600枚撮ってたかな(笑)。

下掲 note 冒頭より

後段にリンクを載せる note の掲載写真 6枚の中から, ここでは 4枚。

「街そのものが美術館」なのだ, フィレンツェ。
Ponte Vecchio, ヴェッキオ橋

2泊3日は, まぁ短いよなぁ。

活気あふれる ローマ, とヴァチカン 〜 1983年7月4-8日

活気あふれる ローマ part I

下掲 note 掲載写真 13枚の中から, ここでは 7枚。

トレヴィの泉
ここにいた人たち, 今もみな元気だといいね!
おお, 映画「ローマの休日」のスペイン階段, スペイン広場
颯爽(さっそう!)と歩く女性, 足長(!)

My Girl 〜 The Temptations (1964) 🎶

実際, あの女性は My Girl だった

1983年7月のローマに戻ります!
ただし ちょっと時代を感じさせるかも, あの日のローマの街に掲げられていた「ソヴィエト1917-1940 写真展」の横断幕。

「ソヴィエト1983」なら, こっち。また脱線。

1983年7月のローマに戻ります!
ここで拙者, スイカを2切れ食ったのだ。

近年, 我が家の小庭では, 夏になると スイカを栽培している。またまた脱線!

またまた, またまた, 1983年7月のローマへ。

カップルに「写真 撮ってくれ」とジェスチャーで言われ ..

写真やら旅日記やらの, ローマ旅 note, part I

ヴァチカンと共に, ローマ part II

下掲 note 掲載写真 11枚の中から, ここでは 4枚。

1) ヴァチカン市国

「ヴァチカン市国」での 3枚!のうちの 1枚

2) ローマ

フォロ・ロマーノ
コロッセオ

巨大だ ... 人間たちがほんと, ちっこい。勿論, これを撮っていた筆者も, ちっこい人間のひとり。

コロッセオ

写真やら旅日記やらの旅 note, ヴァチカン市国とローマ

番外編: フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」かよ, その一方で リチャード・ドーキンスもただの「無神論」カルト偏屈爺いだった

突如(?)挟み込む, イタリア・ヴァチカン 旅 note 番外編。

BGM? … 歌詞は実は吟味してないけど(笑)。

ではでは。

ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE at ポンペイ, 1971年10月(歌詞和訳)

1983年4月26日に横浜港を発って日本を出てから74日目, 同年7月8日, その日まで 4泊5日滞在していたローマを発ってナポリへ移動, ナポリに宿をとってその日は列車で「現代の」ポンペイ市方面へ。目指したのは「古代都市」ポンペイの遺跡。

下掲 note 冒頭

下掲 note 掲載写真 11枚の中から, ここでは 7枚。

以下, 写真やら旅日記やら音楽やら歌詞和訳やら, 色々ありの note 3点。

1) ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE at ポンペイ, 1971年10月(歌詞和訳)

2) ポンペイで, アムリトサルで, ダラムサラで聴く 〜 ピンク・フロイド 「エコーズ」(歌詞和訳)

3) Echoes by Pink Floyd, 歌詞和訳の初出はこちら。

もっと長居できればよかった, ナポリ 〜 1983年7月8-9日

1983年7月9日付の旅日記に(下掲), 「ナポリ、時間ゆるせば もっといたいところだ。もっと早く来るべきだった」とある。その心は, 今日のこの note 第2章「なんと行かないつもりでいたのだった, ヴェネツィア」に通ずるものがあるように思う。つまり,

イタリアでは, 当時の旅日記によれば, ヴェネツィアに 7月1-2日の1泊2日, フィレンツェに 7月2-4日の2泊3日, ローマに 7月4-8日の4泊5日(7月6日にはヴァチカン市国も見物), ナポリに 7月8-9日の1泊2日(7月8日にはポンペイの遺跡も見物)している。その後はナポリを 7月9日の夜行列車で発ってブリンディジに向かい, 翌7月10日朝ブリンディジ着, 街をぶらついたりして過ごした後, その日の夜の船便でブリンディジの港を発ち, ギリシャに向かっていて(7月11日にギリシャのパトラに着いて, そこから列車でアテネへ), そういうわけで, イタリアには夜行列車の1泊を入れて 9泊10日滞在したことになる。

おそらくは, もともと旅の目的地としては中東やアジアをメイン・ターゲットにしていたことと, ソ連(何しろ1983年なのでロシアではなくてソ連!)の後のフィンランド・ヘルシンキから始めた2ヶ月間有効のユーレイルパスによる移動もその期限が近づきつつあって, 有効期限内にギリシャまで辿り着くことを優先する限りは行き先の取捨選択に迫られる, といったようなことが心理的に影響していたのかもしれない。

(当時の旅日記より)

「ブリンディシ」は 次章の「ブリンディジ」

旅日記やら写真やら, 音楽やら映画やらの, 旅 note なり。
ナポリ, 南イタリア 〜 1983年7月8-9日(写真 5枚)

1983年7月10日 夜, イタリアの港湾都市ブリンディジを フェリーで発ち 〜 ギリシャ へ

イタリアから ギリシャに渡った 〜 1983年7月10日

以下, 下掲 note 第1章「ナポリから夜行列車でブリンディジ, ブリンディジでフェリーに乗って, ギリシャ側パトラへ」から, 後半部の一部を転載。

こうして 1983年7月9日, 同年4月26日に横浜港をフェリーで発ってユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行を始めた, 彼方(あちら)側から見たら「極東」の島国「日本」出身, 22歳のバックパッカーは, イタリアの匂いと香りがぷんぷんするナポリの街を夜行列車で発ち, アドリア海に面したイタリアの港湾都市ブリンディジに向かったのだった(上の上の旅日記 殴り書きメモの終わりの方にあるように「ナポリ, 時間ゆるせば もっといたいところだ。もっと早く来るべきだった」, しかしユーレイル・パス2ヶ月有効を気にしつつ, 中東・アジア諸国の旅への想いなどあって, ここでは急いでしまった!)。

ブリンディジには 翌7月10日朝着, 同日夜, フェリーでブリンディジを発ち, ギリシャ のペロポネソス半島北西部にある港湾都市パトラ に向かった(ギリシャ・パトラに着いたのは翌7月11日の昼過ぎ)。

イタリアから ギリシャへと 地中海を渡るフェリーで聴いていた 〜 ダイアー・ストレイツ と ピンク・フロイド

番外編 〜 「凋落」日本が 「飛ぶ鳥を落とす勢い」に見えた頃の世界における立ち位置を, ダイアー・ストレイツ "Love Over Gold" (1982), ピンク・フロイド "The Final Cut" (1983) で振り返る

1983年7月, イタリアから ギリシャに渡る フェリーの船上で聴いていた ダイアー・ストレイツとピンク・フロイド の曲から, (その頃は!)少なくとも経済面では「行け行けどんどん」に見えていた日本という国の, 世界における当時の立ち位置を振り返ってみる。ああ, 今や「凋落」日本。

20世紀後半期のほんの2, 30年の間, 「飛ぶ鳥を落とす勢い」を誇った(そう見えていた) "Rising Sun" 日本, 今や世界の多くの国々から, そして多くの日本人自身からも「没落」しつつある, あるいは既に「没落」している, そんな「凋落」国家であると見做されつつある「我が祖国」日本。凋落してもそれはそれで無能な政府なり選んだ有権者なりの「自業自得」であれば(とりあえず筆者自身はあの事故, 自公か, など選んだことなど一度もないが)やむを得ないと思うけれど, しかし同じ「落ちる」のでも「落ち方」は重要かもしれない。

下掲 note 冒頭の前口上より(以下, 続く)

それはさておき, 1983年7月10日から11日, イタリア(ブリンディジ)からギリシャ(パトラ)に向かう途上, 紺碧の地中海を渡るフェリーの甲板で, 青空の下, そして星空, 満天の星の下, 借り物のウォークマン(「ウォークマン」と言えば当時の「飛ぶ鳥落とす勢い」日本の象徴の一つ, 筆者がその時に借りていたのは実際には SONY じゃなくて AIWA だったから正確には「カセットボーイ」ということになると思うけれど)で聴いていた, ダイアー・ストレイツ 1980年のアルバム "Making Movies", 1982年のアルバム "Love Over Gold", そして ピンク・フロイド 1983年のアルバム "The Final Cut" ♫

今日の note 第1章と第3章は, 以下の note *2 の第4章 ピンク・フロイド "The Final Cut" とダイアー・ストレイツ "Love Over Gold" に登場する 'Japanese' 〜 1980年代初期の世界における「日本」の立ち位置を振り返る にほんの少しだけ加筆した「焼き直し」(なぜそのとき聴いていたか, その経緯は note *2 の第3章までに書いてあるけれど, とりあえずその note の第4章, つまり今日の note で取り上げることと直接的に関係するわけではない, たぶん!) 。

それと, ここで言う「立ち位置」とは, 主体的な意味合いの「立ち位置」というよりも受け身っぽいニュアンス, 「立たされていた位置」とも言えるのかもしれない。あるいは, 日本の「立ち位置」が世界から, 特に「先進」(ということになっている, なっていた)欧米世界からどう見えていたか, といったニュアンス。

それともうひとつ, そういやピンク・フロイドとダイアー・ストレイツ, ともにイギリスのバンド, 要するに(日本と違ってかなりの長きにわたってだけど)かつて「大英帝国」として栄華を誇った後に少なくとも一時的に「凋落」した経験を持つ国のバンド ... ってのはもちろん偶然, だろうけど ♫

というわけで, 旅 note 番外編の一つを。

イタリアの旅 に至るまでの "あらまし"

シベリア鉄道で, ソ連のモスクワに向かっていた 〜 43年前の初夏(1983年4-5月)

北欧諸国を旅していた, あの頃 〜 22歳, 1983年5月

ドイツの旅, 1983年 part I 〜 「西ドイツ」「東ドイツ」

初めての パリ, フランス 〜 1983年6月の10日間

スイスの旅 〜 1983年6月, たったの 3日間

ドイツの旅, 1983年 part II 〜 「西ドイツ」 ハイデルベルク, ライン下り, ノイシュヴァンシュタイン城, ダッハウ(ナチスによる強制収容所跡)

オーストリア ⇄ 旧「ユーゴスラヴィア」の旅 〜 1983年6月, 9日間

今日の最後は 〜 "Love over Gold", 1982 album by Dire Straits

Love over Gold, Dire Straits' fourth studio album released on September 24, 1982

1. Telegraph Road
2. Private Investigations
3. Industrial Disease
4. Love over Gold
5. It Never Rains

Telegraph Road from Dire Straits' 1982 album Love over Gold 🎶

A long time ago, came a man on a track
Walking thirty miles with a sack on his back ..


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