広井王子トークショー 第2部「サクラ大戦 ―太正桜に浪漫の嵐―」
はじめに
当記事作成に当たっては記憶と若干のメモを頼りにしているため、細かい言い回しの相違やトークの順番の相違もあります。違和感のある箇所がありましたらご指摘いただけると幸いです。
開演
第一部のタイトルは「サクラ大戦前夜 ―企画にいたる道―」であり、題名の通りサクラ大戦の制作に至る話が展開された。詳細は「サクラ7」の店主・一騎さんのポストをぜひ参照されたい。
広井王子さんトークショーレポ
— 大人のアニソンカラオケBAR 「サクラ7」 (@BAR_Sakura7) August 8, 2026
14時〜14時45分
🌸はじめに🌸
取ったメモと、記憶をたよりにレポートを書いてます。
なのでところにより、「あれっ、違くない?」と言うところがあるかもしれません。あまりにもあやふやなところはレポには載せないようにしています。…
司会の内田敦子さんリードのもと、最初のトークテーマである「歌をベースにしたゲーム」の真相から始まった。
広井「歌には世界観が乗ってくる。歌を聞き歌詞を読めばどういう物語なのかが分かるから、企画するときは歌詞を作って読んでもらうように(僕は)している。はじめはカラオケボックスに入ってひたすら歌詞を見て、書き出していた。そうすると『この曲は3文字 + 3文字で6文字なんだな』などが分かるようになった(具体例失念、「うたを うたう で6文字」のような話をされていた)」。
サクラ大戦前夜・再び
おそらく第一部でも話されていただろうが改めてサクラ大戦の制作に至る話を広井氏の経歴とともに展開。思い返せば常に「誰かに見つけてもらって仕事をしてきた」人生であると。石に絵を描いてを売っていたら「面白い」と声をかけて仕事をくれてロッテへ。食玩「ネクロスの要塞」などを作っていたら旭通信社の人に声をかけられ「原作をやりたい」と話したところから魔神英雄伝ワタルの制作へ。ワタルのスポンサーが一社足りず企画倒れ目前というときにハドソンが名乗り出てくれ「その代わりに広井を貸して」と言われてハドソンへ行ったこと(広井氏自身は答えに窮していたところを旭通信社の一言でハドソン行きが決定)。ハドソンでは「ゲームを作って」と言われて考えたのが「CDでゲームを作って生音と歌を入れよう」というアイディアだったこと。その結果天外魔境が世に出たこと。
この経緯を指して「ワタルと天外は双子なんだ」と話していたことが印象的だった。
天外魔境はPCエンジンCDロムロムのソフトとして1989年に発売された。従来のカセットではなく、後に主流となるCDでのゲームの先駆けたる存在であった(CDロムロム初のソフトはファイティング・ストリートとNo・Ri・Ko)。
ミュージカル構想
この頃から広井氏の頭の中には「ミュージカル」の構想があったのだろう。天外魔境は大ヒットを記録し、1992年に「天外魔境Ⅱ」が、翌93年にシリーズの外伝として「天外魔境 風雲カブキ伝」が発売された。ボスが歌を歌ってから戦闘に入るという前代未聞のRPGであり、制作時は広井氏自身も「これは面白い」と思っていたが世間の受けはいまいちであり、今振り返ってみると「闘う前に歌うのはおかしい」と思うに至ったようだ。
とはいえ「歌」は当時の広井氏にとっての中心であったことは他のゲームやイベントからも伺える。1995年に発売された「空想科学世界ガリバーボーイ」でも歌は重要な要素であり、テレビに洗脳された街では住人皆がTVを讃える歌を歌っていた。これこそが広井氏の言う「歌を聞けば世界観が分かる」というものであろう。
同95年には「ハドソン夢まつり'95」において「天外魔境ZERO」の主人公を軸としたミュージカル仕立てのイベントも行われた。今振り返るとこうした経緯を経ての「サクラ大戦」であったのだろう。
話を戻そう。風雲カブキ伝の「失敗」のあたりから広井氏の興味は恋愛ゲームへと移っていく。当時期待されていた「天外魔境Ⅲ」は永く凍結され、ついに発売されたときは期待の次世代機であったPC-FXの最後の打ち上げ花火であったとも言えよう。
当時を振り返って広井氏は「天外に飽きた」と表現した。そしてゲーム「noel」にハマっていたことから恋愛ゲームを作りたいとなり、ハドソンではできないために活動の場をセガに移した。
サクラ大戦の制作へ
作曲家の田中公平さんからは「詞を書け」と言われ、そこから公平さんが壁となる壁打ちが始まった。書いた詞は何度も突き返されたがその経験が大きかった。イカルスの星を書いた際に「作詞家になりましたね」と言われたときは感動した。
発売当日は怖くて熱海に逃げていた。セガの入交社長から「50万本行くよね」と言われたが当時の相場で言えば20~25万本で大ヒットであり、そのくらいを想定していた。重ねて入交社長からは「50万本行ったら何でも言うことを聞くよ」と言われたので「ショウをやりましょう」と話していた。
そんなやり取りの中で迎えた当日に入交社長から電話がかかってきた。「秋葉原に人が並んでいる」と。慌てて秋葉原に見に行った。
歌謡ショウと「共犯関係」
結果としてサクラ大戦は50万本を超え、約束通りに歌謡ショウの制作が決まった。
やるからには本物を見せたいと広井氏は考え、生オーケストラを入れることを決める。また、観劇に関する「マナー」についても苦い顔をしながらこう話した。
「お客様をもっと信じなきゃ。チケットを買って観に来てくださるお客様が喋ったり妨げとなったりすることがありますか。真剣に見てくれるからこそ咄嗟の声が出るものであり、それこそが舞台の良さですよ」
だからサクラのお客様にはどんどん声を出すように伝え、浪曲師の国本武春さんを呼んで声出しの練習もした。その効果もあり、サクラのお客様の声出しが話題となって舞台裏は歌舞伎の関係者などがひっきりなしに訪れては
「あれだけの声を出せる客は歌舞伎にもいない」
「良いお客様を持ちましたね」
と言われるほどになった。
更に広井氏のアイディアは続く。
「コスプレを許可したのも初だったね」
「舞台というものは出演者と客席の共犯関係にあると思う。お客様が乗せていくから舞台上の演者も思っている以上のものが出せる」
「『来年は浴衣がいいね』なんて話したら本当に皆浴衣で来てくれるんだもん。それで『浴衣の着方が分かりません』なんていう質問が来るから『じゃあ浴衣作ろうか』となって、同じものを演者さんも着てね」
そんな歌謡ショウも一年契約であり次が約束されたものではなかった。一作目の歌謡ショウも「一度きり」と思って作ったというが、毎年幕が下りたそのときに「また来年」と決まっていたという。
サクラ大戦での10年間とその後
そんな具合でサクラ大戦と10年向き合ってきたが、ある時ぷつっと切れてしまったと広井氏は言う。とにかくサクラから逃げたかったと。
そして2年間の放蕩生活を送り、いよいよ破産寸前にまで陥った。「人間働かないとダメだよね」と今でこそ笑って話してくれているが、当時の心労と重圧は並大抵ではなかったろう。
破産寸前のときに声をかけてくれたのが台湾の社長であり、5年間台湾で仕事をする。その際に学んだのがチームで働くということ。何でもかんでも自分でやるのではなく、チームを信じて待つことで、結果的により良いものが作れるということを実感した。
その後も海外を転々としながら仕事を続けて今に至っているという。話題には出なかったが、日本に戻ってからも吉本興業の社長に声をかけられて少女歌劇団を立ち上げるなど、やはり広井氏の魅力が人を惹きつけ、声がかかっているのだろう。
監督としての立場
ゲームの作製や音声録音の際などは常に立ち会って判断していると言う。
音響監督が「音が割れてしまったのでもう一度」と言ってもそれが真なれば「そのままで行こう」という判断をする。それぞれの監督はその場しか見えないが、自分はプロデューサーであり全体像が見えているからこそ判断をしなければならない。時に制作陣とぶつかることもあるがそれを越えていかないと良い作品は作れない。
広井氏の話は続く。
「一方で 『野放し声優』という人たちも存在する。千葉茂と高木渉ね。この人たちがブースに入ったら出てこないんだもん。そんなときは絵を変える指示を出す。『口パクを声に合わせよう』と」
この話のときだったか後の質問②のときだったか。
エリカの服装については藤島康介氏と意見の相違があった。「真っ赤なシスターなんて存在しません」という藤島氏に対して広井氏が放った言葉は「ゲームだよ?」ヒロインが黒というのは広井氏の頭の中にはなかったようだ。
それでも納得がいかない様子だったのであれこれと考えて「シスターでも見習いでもなく、シスターになりたい存在…のような」これが落としどころとなったようで今のエリカが誕生した。
3つの質問
あっという間に時間は過ぎて質問タイムへ。
①作品を作る上で「柱」のようなものはありますか?
広井氏「ある。(少し間をおいてから)僕の目の前に小さな自分がいて、その子が喜ぶものを作っている。『スカートをめくってパンツが見える』といった演出は目の前の僕は喜ばない」
前の段の中でも広井氏は「自分の中には常に景色が広がっている。パソコンのディスプレイに顔を突っ込んだような感じ。四六時中そうした映像が広がっているから、一緒にいる人にとっては面白くないよね。一緒に御飯食べてても僕は違う景色を見ているわけだから。だから自分には友達がいない。僕のことを最も分かってくれるのはプロジェクトの人たちだから、僕は常に何かを作り続けて僕を理解してくれる人と一緒にいたい」と話されていた。
②サクラ大戦3は当初大神ではなく大河新次郎が主役と聞いていたが、いつどのような変遷があって今の形になったのか
広井氏「当初は大神ではない主人公で行こうと思っていたが、(脚本の)あかほりさんからは大神続投が良いと言われていた。何度もあかほりさんの脚本を読み返しているうちにやっぱりあかほりさんが正しいと思えてきた。それで「やっぱり大神で」と話したらキレたあかほりさんに台本を投げつけられた」
今日一番の爆笑が起こった瞬間だった。
サクラ大戦3発表のとき、たしか広井氏はマルチ天国で「サクラ3は『舞姫』だよ」と話されていた。それをきっかけに舞姫を読んでエリスなんて可哀想などと思い、エリスに重ねてプレイしていたことを思い出す。
③「広井先生の中に…」
広「先生はやめてよ(笑)」
「改めて、広井さんの中に、今もなお、サクラの続編という想いはありますか」
広「6(シックス)でしょ。ナンバリングの。あるよ。」
真顔で即答する広井氏。6の構想を淡々と、それでいて矢継ぎ早に展開する。レニにとっての辛い話、ブラックマリアなどなど。おそらくどこかで開示していた話のような口ぶりでありつつも、随分と前なのに昨日思いついたかのように鮮明な内容が語られた。「プロットはすでに渡してあるので、声がかかればいつでもやるよ! 昔に作ったものだから今の時代に合わないかもしれないけど。」との心強い言葉も聞けた。
続けて今のセガとの関係についても。
「僕は決してセガと仲違いしたわけではない。じゃなきゃ今日みたいなイベントはできないでしょ。今日だってセガの内海社長を筆頭に当時のサクラのスタッフがひっきりなしに挨拶に来たんだよ。確かに一時サクラのサの字も見たくないときがあって、その当時のインタビュー記事なんかでは皆さんにとって目にしたくない内容が届いてしまったこともあったと思う。でもそれは記者の方の誘導などであって本意ではない」
人の心は変わるもので、時が経つことで話せる内容も変わってくるだろう。
広井氏は以前(2022年、メイドモードのイベントにて)再びサクラに関わるならば、という話に対して「50億ほしい。オープンワールドで太正時代の浅草を再現する」と話していた。当時と比べるとセガとの関係は非常に良好と感じ取られ、ナンバリングタイトルの続編という世界はぜひとも覗いてみたいものである。
これも今回のトークショーのどこかの段で話していたが「『俺を見ろ』と言えるのは最初の一本目だけだよ。一本目が世に出た時点から作品は『お客様のもの』になり、お客様の物語になる。続編を作るならばそれを感じ取らなければならない」と。
やはり広井王子は凄い人だと、僅か45分のトークショーの中で何度も思わされた。30年、いや天外Ⅱの頃からなので34年間信じてついてきて良かったと心から思えるトークショーだった。
補遺 広井王子という衣装
トークの中で広井氏は「広井王子という衣装を纏っている」と表現した。本名の自分はインドアでありオタクであり、24時間映画を見ていられるけれど、それでは仕事にならないから外に出るときは「広井王子」という衣装を纏うのだと。
サクラの舞台のときには掃除人として広井氏は前説をよく担当していた。そのキャラクターはまた少し別人だと言う。そしてその格好で(真宮寺)さくらさんやマリアさんなどをゲストに呼んでトークショーなどもしてみたいね」とも話してくれた。
72歳を迎え、大病を患いながらも悪いところは全て取ったと話す広井氏。広井氏が見る景色をまだまだ私たちにも見せてほしい。
