真似するために、見に行くわけじゃない.

先日、大分までFリーグの試合を観に行った。
画面越しではなく、実際に会場へ行って試合を見る。
選手がどこに立っているのか。
ボールがないところで何をしているのか。
守備側が動いた瞬間に、攻撃側は何を見ているのか。
ベンチからどんな声が飛んでいるのか。
試合そのものはもちろん面白い。
でも、指導者として見ていると、どうしても別のことを考えてしまう。
「なぜ、このプレーができるんだろう?」
そしてもう一つ。
「これを自分たちの選手にそのままやらせても、たぶんできないだろうな」
と思う。
同じ練習をしても、同じものにはならない
トップレベルの試合を見ていると、「この動きは使えそうだ」「このトレーニングをやってみよう」と思うことがある。
実際、昔はそうやって見ていたことも多かった。
でも、最近は少し見方が変わってきた。
完成されたプレーだけを見るのではなく、
「この選手たちは、ここまで来るために何を積み上げてきたんだろう」
と考えるようになった。
トップ選手と小学生では、当然ながら技術も違う。
認知できる情報量も違えば、判断のスピードも違う。身体能力も、経験してきたゲームの数も違う。
だから、トップチームがやっていることを、そのまま自分たちのトレーニングに持って帰っても、うまくいかないことが多い。
むしろ大事なのは、そのプレーの一つ前に何が必要なのかを考えることだと思う。
相手を見ることなのか。
身体の向きなのか。
立つ場所なのか。
味方との距離なのか。
それとも、まず「なぜそこに動くのか」を理解することなのか。
一つずつ戻っていく。

由布岳を見ながら考えた
帰りに由布岳の近くを通った。
山頂は雲に隠れていた。
全部は見えない。
でも、下から続いている稜線を見れば、その先に山頂があることは分かる。
なんとなく、育成も同じなのかもしれないと思った。
僕らがFリーグで見ているのは、ある意味では「山頂に近いところ」なのかもしれない。
そこだけを切り取って、
「これをやろう」
と言っても、簡単には登れない。
その選手が今どこにいるのか。
何歳なのか。
何ができて、何がまだ分からないのか。
そこを見ながら、登る道を考える。
小学3年生には小学3年生の道がある。
6年生には6年生の道がある。
同じ年代でも、選手によって理解していることは違う。
だから、こちらも変えなければならない。
言葉を変える。
人数を変える。
コートの広さを変える。
ルールを一つ加える。
逆に、余計なものを一つ取り除く。
そうすると、それまで全くうまくいかなかったトレーニングが、突然動き始めることがある。
僕は、その瞬間が結構好きだ。
指導者が「答え」を持ち帰るのではなく
トップレベルの試合を観に行く価値は、練習メニューを一つ増やすことではないと思う。
「これをやればうまくなる」という答えを持ち帰ることでもない。
むしろ、
「なぜ?」をたくさん持って帰ること。
なぜ、そこに立ったのか。
なぜ、その瞬間に動いたのか。
なぜ、パスを出さなかったのか。
なぜ、守備はそこまで下がったのか。
それを自分なりに分解して、いつもの体育館に持ち帰る。
そして、目の前にいる子どもたちに合わせて、もう一度組み立て直す。
うまくいかなければ、また変える。
それでもダメなら、さらに一つ前まで戻る。
面倒な作業かもしれない。
でも、そこが指導の面白さなんだと思う。
また日常へ
大分まで行って、トップレベルのフットサルを見る。
帰ってきたら、またいつもの子どもたちとのトレーニングが始まる。
見てきたものを、そのままコピーすることはできない。
でも、
あのプレーが生まれるまでに、何が必要なのか。
それを考えることはできる。
そして、目の前の選手の年齢、技術、理解度に合わせて、少しずつ形を変えて渡していく。
たぶん僕にとって「試合を見に行く」ということは、答えを探しに行くことではない。
次のトレーニングで考えるための材料を増やしに行くことなんだと思う。
また分からなくなったら、見に行けばいい。
そしてまた考える。
その繰り返しを、これからも楽しみたい。
Hasta luego.

