映画『遠い山なみの光』考察・解説──母が嘘で隠した四つの秘密
映画『遠い山なみの光』。カズオ・イシグロの愛読者である私は、初見では「原作に比べればずっとわかりやすいな」と感じました。ところが、散りばめられたモチーフをひとつひとつ辿り直していくうちに、その奥に潜む複雑な構造に気づいていきました。考えれば考えるほど、新しい意味が立ち現れてくる──そんな不思議な映画体験となったのです。その考察をわかりやすくまとめました。以下、ネタバレ全開なのでお気をつけください。
◉嘘の綻び──佐知子のティーカップ
カズオ・イシグロ作品の特徴として必ず挙げられるのが「信頼できない語り手」です。事実を淡々と語っているように見えても、語り手はエゴや弱さから記憶をねじ曲げ、自分に都合よく物語を書き換えてしまうことがあります。
今作でもこの仕掛けが物語の根幹をなしています。年老いた悦子(吉田羊)が娘ニキ(カミラ・アイコ)に三十年前の長崎での出来事を語る──けれどもその語りは「夢」という曖昧な前置きから始まり、最初から信憑性に影を落としています。
やがて物語の終盤、ニキは真相にたどり着きます。悦子(広瀬すず)と佐知子(二階堂ふみ)、景子と万里子(鈴木碧桜)は、それぞれ同一人物でした。そしてニキをその真実へと導いたのは、悦子の語りの端々にある小さな綻びでした。
たとえばティーカップです。悦子はイギリス人ジャーナリストと渡英したのに対し、佐知子はアメリカ兵と渡米したことになっている。二人が同一人物であるという嘘が露見しないための「ズレ」ですが、佐知子は高級ティーカップで紅茶を振る舞います。うどん屋で働くほど困窮していたので、おそらくボーイフレンドからのプレゼントでしょう。紅茶といえばイギリスの象徴。イギリスに住む年老いた悦子も紅茶を飲んでいます。こうした描写が、佐知子の相手がイギリス人であったことを仄めかしています。
このような綻びはいくつもあるのですが、そもそもなぜ悦子は、わざわざ自分を佐知子に、娘を万里子に置き換えたのか。それは人が後ろめたい秘密を「友達の話」にすり替えて語るのと同じです。悦子には、ニキに打ち明けられない四つの重大な秘密がありました。
◉悦子と佐知子──分裂した母
その秘密に迫る前に、まずは「悦子と佐知子とは何者なのか」を確認しておきましょう。二人は一見、正反対です。悦子は嫁の務めを守り、堅実で、子どもに優しい。一方の佐知子は奔放で、気が強く、子どもに厳しい。まるで対照的な二人ですが、実はこれは悦子というひとりの女性の多面性なのです。
時期の違いも大きく作用しています。広瀬すず演じる悦子は妊娠中の悦子であり、二階堂ふみ演じる佐知子は子育て中の悦子です。景子が成長するにつれ、悦子は次第に佐知子のように強く華やかな女性へと変わっていったのでしょう。序盤では地味な服を着ていたのに、次第に明るい色の服をまとうようになり、終盤のフラッシュバックでは佐知子と同じ鮮やかな装いをしている──映画は悦子の変化を視覚的に描いていました。
つまり、掘っ立て小屋での母子二人の暮らしは、二郎(松下洸平)と別れた後の悦子自身の体験です。実際の出来事を時系列に整理するとこのようになります。
・戦時中、長崎で小学校の音楽教師を務める
・1945年、原爆で被爆し、校長の緒方の家に身を寄せる
・戦後、戦地から帰還した二郎と結婚
・1952年、妊娠【広瀬すず演じる悦子】
・1953年、長女・景子を出産。その前後に離婚
・貧しい暮らしの中、景子を育てる
・英国人ジャーナリストと出会い、通訳を務める
・彼とともに、景子を連れて渡英【二階堂ふみ演じる佐知子】
・1958年、次女・ニキを出産
・景子は引きこもり、マンチェスターで自死
・1982年、ニキに求められ、過去を語る【吉田羊演じる悦子】
団地の窓から湿地の掘っ立て小屋を見下ろす悦子にとって、佐知子はスキャンダラスな存在であり、同時に憧れでもありました。夫に仕え、こっそり映画スターの記事を眺めるしかない悦子は、タバコをくゆらせ、米兵と抱き合う佐知子の姿を見て、眩しそうに目を細めます。
二人が初めて交わす会話に、出産前後という時間差が鮮明に表れています。
悦子「はじめまして。この子、そこの橋で喧嘩しとったみたい。大勢の男ん子たち相手によ」
佐知子「あなた、子どもの喧嘩見たことないの?」
佐知子「あなたも母親になれば、いやでもこういうことに慣れるわよ」
悦子は夫との長崎での生活が続くと信じていますが、佐知子は恋人と外国で暮らす未来を計画していました。
悦子「素敵か話やね」
佐知子「素敵か話やね」
悦子「え?」
佐知子「いや、人ごとみたいって思って」
出産前の悦子には、数年後に自分が佐知子のように生きるなど想像もつかなかったのです。
堅実さと奔放さ、優しさと厳しさ──相反する面を抱えながらも、それらはひとつに溶け合い、悦子という人格を形づくっていました。「わたしたちは似てるもの、とっても」と佐知子が言ったように。それでも悦子は自らを二人に分裂させて語らねばならない理由がありました。
◉悦子が抱える四つの秘密
悦子が嘘をついたのは、重大な秘密を隠すためです。しかし、心の奥を見せない自分の態度がニキに強い不信を生んできたことに気づき、少しずつ心の内を明かしていきます。
きっかけは、ピアノ教師ウォーターズ先生との会話でした。景子の近況を尋ねられた悦子は「マンチェスターで暮らしています」と咄嗟に嘘をつきますが、ニキに厳しく咎められます。
ニキ「なんでマンチェスターにいるだなんて嘘ついたの?首をつって自殺したなんて言えないもんね。マンチェスターでひとりで……恥ずかしいもんね」
悦子は思わずニキの頬を打ち、その場を去って墓へ向かいます。ニキとの心の距離があまりに大きくなっていることを痛感したのでしょう。ついに秘密の一部を語る決心をします。
・ひとつめの秘密──被爆体験
緒方(三浦友和)がバイオリンを弾いたことをきっかけに、悦子は原爆投下の日を思い返します。それまでの佐知子や二郎との会話では、悦子が被爆した事実は伏せられていました。
年老いた悦子もまた、ニキにそのことを伝えてこなかったのです。「グリーナムと長崎はぜんぜん別の話よ」と言ったとき、ニキに真意が伝わらなかったのはそのためです。ニキは「核兵器」「女性」といった概念で両者を結びつけますが、悦子にとって、反核デモと自らの被爆体験はまったく別次元のものでした。当初、悦子はその体験を佐知子のものとして語ろうとしましたが、ついに自分の体験として告白するのです。
当時の悦子を最も苛んでいたのは、被爆そのもの以上に「子どもたちを助けられなかった」という罪悪感でした。バイオリンケースから小学校の唱歌の楽譜を見つけた彼女は、こらえきれずに「わたしのせいなんです」と嗚咽します。自分が被爆し、子どもを救えなかったこと──それが悦子のひとつめの秘密でした。
木から落ちた男の子を悦子がきつく叱った理由もここにつながります。男の子が落ちる瞬間は見ていなかったのでしょうが、我が子を信頼する気持ちはあったはずです。彼女を苛立たせたのは、男の子が四度も「ぼくば殺そうとしたと!」と繰り返したからでした。我が子への言葉としても耐えがたいのに、原爆で本当に子どもたちが殺される光景を目にした悦子にとって、それはなおさら許しがたい言葉だったのでしょう。
・ふたつめの秘密──蜘蛛と血の呪い
掘っ立て小屋で、万里子が蜘蛛に近づきます。
万里子「あたしが蜘蛛を食べたら、どうなる?病気になる?」
悦子「どうかな、でも体に良くはなかとじゃなか」
万里子「ほうしゃのうみたいに?」
蜘蛛は、被爆した悦子の血を景子が受け継いでいることの暗示です。蜘蛛を口にしようとする万里子の姿は不気味そのものですが、それは「いつ娘に原爆の影響が現れるかわからない」という母の恐怖の投影でした。悦子にとって景子は、原爆によって自らに刻まれた呪いそのものでもあったのです。
その直後、ニキがおそるおそる蜘蛛に触れ、自分の手を見つめる場面があります。自分も被爆二世だと知ったからこその行動です。
現在では被爆二世への遺伝的影響は否定されています。万里子には被爆の痕としてケロイドが描かれますが、景子やニキに健康被害はないはずです。けれども当時は何もわかっておらず、悦子は娘の体に異常が出ることを強く恐れていました。
さらに、うどん屋の場面で描かれたたように、長崎では差別も現実にありました。悦子は毅然と立ち向かう一方で、心の奥では景子を「不吉な存在」と恐れてもいたのです。その暗い感情こそ、ふたつめの秘密でした。
・みっつめの秘密──猫殺しと微笑
佐知子には二度、渡米の話が持ち上がります。最初は「二、三日のうちにアメリカへ行く」はずでしたが、男の都合で流れてしまいました。二度目──「今夜神戸へ発ち、フランクと落ち合う」と語った夕方は切迫しており、荷造りも終わらぬ中、佐知子と万里子は猫をめぐる口論になります。おそらくは悦子と景子が渡英する時に実際に経験した状況なのでしょう。
悦子「放してやるわけにはいかんと?誰かが飼うかもしれないし」
佐知子「悦子さん。ただの猫なのよ、気にすることはないわ」
この会話は悦子の心の葛藤そのものです。猫を放してやればいいと思いつつ、それでは景子が追いかけて神戸に行けなくなるかもしれない。娘の未練を断ち切らせるため、あえて残酷な選択を下します。
母は木箱に子猫を入れ、川に沈めて殺します。振り返りざまに浮かべた微笑は、罪を自覚しながらもそれを覆い隠そうとする表情だったのかもしれません。猫殺し──これが悦子が語ることのできなかった、みっつめの秘密でした。
それを裏付けるように、三十年後の景子の部屋にはあの木箱が残り、古いアルバムには「猫と遊ぶ景子」の写真が収められていました。
・よっつめの秘密──川向こうの女
「そのおばさん、あたしを家へ連れてくって言ったよ」──川向こうの女とは一体何者なのでしょうか?ある夕暮れ、万里子が姿を消します。
悦子「向こう岸はどがん?そっちへ行っとるかもしれんし」
佐知子「あの子はそっちへは行かないわよ」
悦子「どうしてそう言い切れると?」
後ろめたいことを隠すような佐知子。二人は立入禁止の札を越え、桟橋の舟で万里子を見つけます。川向こうには渡っておらず、ひとまず安堵する二人。しかしその夜、眠る万里子の首に一筋の月明かりが差し、悦子は足に絡みついていた縄に気づきます。首と縄、川向こうで絞殺された三人の幼児、渡英後に首を吊った景子。暗いモチーフが重なり合い、不穏さを増していきます。
万里子が川向こうに行こうとしたのは二度。いずれも渡航が目前に迫った時でした。すなわち、母が娘の存在をもっとも疎ましく思った瞬間です。海外での新しい人生の邪魔になる、と言えば身勝手に聞こえますが、悦子にとって景子は、原爆の呪いそのものでもありました。ニキが投げかけた問い──「ママはいったいなにから自由になりたかったの?」。その答えは「原爆の呪いから」、さらに言えば「我が子から」だったのかもしれません。
こうして恐ろしい結論が浮かび上がります──「川向こうへ行く」とは娘を殺すことの暗喩であり、川向こうの女の正体は悦子自身だったのです。「悦子=佐知子」という構造の奥に、「悦子=佐知子=川向こうの女」という三重の構造が隠れていました。さきほど引用した悦子と佐知子の会話は、母性と殺意がせめぎ合う、悦子の内面を映したものだったのです。
二度目に渡航が差し迫った時、母の殺意は頂点に達します。佐知子の家へ向かう黒づくめの女の影はその象徴でした。
子猫を殺す佐知子を見て走り出す万里子を、悦子は追いかけます。アルバムの写真によって万里子=景子であるという真実が明かされました。桟橋の舟にはその姿が見当たりません。これは、川向こうへ渡ってしまった、すなわち死の予兆です。
悦子は夜空を仰ぎ、飛行機の轟音を聞きます。それは緒方と原爆の日を語った時にも頭に鳴り響いた音でした。「子どもたちを見殺しにした私が、娘まで殺すのか」──そんな思いが悦子を揺さぶったのかもしれません。
再び目を向けた時、木舟には景子の姿がありました。しかし悦子の手にはしっかりと縄が握られ、景子は怯えた目で母を見つめています。娘に殺意を抱き、実行寸前まで至ったこと──それが悦子の最大の秘密でした。
佐知子「その女が振り返って、万里子ににっこり笑ったの。それでその人両腕を持ち上げて、水の中に浸けてたものをこっちに見せたのよ。それが、死んだ赤ん坊でね。その人、自分の赤ん坊を水の中に浸けてたの……。(略)とにかくそのときからなの。万里子がその女のことを頻繁に言うようになったのは」
この描写は、水に沈めて猫を殺し、縄で景子を殺そうとした悦子自身にほかなりません。川向こうの女を繰り返し語る万里子とは、母の心に潜む殺意をかすかに感じ取る景子の姿でした。あまりにも恐ろしい経験をした少女は、反日感情が残る終戦後のイギリスで、部屋に閉じこもるようになり、やがて首を吊って命を絶ちます。
だからこそ年老いた悦子はいまも悪夢に苛まれています。黒衣の影の正体──それは彼女自身でした。
◉赦しによって織り直される記憶
ソファで眠っていた悦子は、いるはずのない猫に導かれ、景子の部屋へ入っていきます。それは、いまだ成仏できぬ景子の魂の化身だったのかもしれません。部屋には景子の写真を見つめるニキの姿があり、彼女はすでに「真実」に辿り着いていました。
悦子「わたしは初めから分かってたのよ。こっちに来ても景子が幸せになれないってことを」
ニキ「そんなことない。そこまで分かったはずないじゃない。ママはお姉ちゃんのためにできる限りのことをしたわ」
「お姉ちゃんの死はママのせいじゃない」という赦しの言葉に、悦子は静かに微笑みます。奏でられるのは、被爆直後に緒方の家で弾いたメンデルスゾーン。贖罪と葬送の思いを込めたのでしょう。景子の葬儀に姿を見せなかったニキと、ようやく弔いの時間を分かち合えたのです。
長崎の市電に並んで座る悦子と景子。景子がふと窓の外を見ると、黒衣の老いた悦子が立っています。娘に殺意を抱いてしまい、その自死を背負い続けてきた母の姿です。見つめ合う二人。年老いた悦子の顔には、深い慈しみと悲しみが浮かんでいました。
三十年間も心に封じ込めてきた過去を語り、ニキから赦しを受けたことで、彼女はようやく自らに言い聞かせられるようになったのでしょう──「私は景子のために、できる限りのことをした」と。ピアノの演奏会のたびにシェパーズパイを作ってあげたように。
◉悦子と二郎の別れ──逃げる夫、向き合う妻
ところで、一見幸せそうに見えた悦子が、なぜ二郎と別れたのか──理由の断片は随所に散りばっています。
緒方「二郎はあんたにやさしかね?」
悦子「ええ」
緒方「なら、幸せなんだね?」
悦子「……これ以上幸せにはなれんくらいに」
このやり取りは壁越しでおこなわれ、悦子の本心が隠されていることが暗示されています。
二郎は会社員として猛烈に働く新世代の男でありながら、家父長的な価値観を手放せない人物でもあります。「結婚したら夫に勉強を禁じられちゃったの」と語る佐知子や、「母親らしく振る舞うって何?今までやってきたいろんなことば、諦めるってこと?」と問う悦子の言葉に、強い閉塞感がにじみます。
戦争で手の指を失い、心にも大きな傷を負った二郎には「逃げ癖」がありました。将棋で劣勢になると席を立ち、父を侮辱した同級生と会うことを避け、誇らしげに自分を戦地に送り出した父とも正面から向き合わない。大切な局面で、彼はいつも対話から逃げてしまうのです。
極めつけがこの一言でした。
悦子「もしわたしが被爆しとったら、結婚しませんでしたか?」
二郎「そがんこと答えてなんになる?馬鹿馬鹿しか」
もともと悦子は結婚に前向きではなく、「あんときは一人で立ってられんかったんです」と語るほど原爆で打ちのめされた時期に、緒方の勧めで二郎と結婚したにすぎません。けれど七年が経ち、「ばってん今は、あんときとは違うとです」と言う彼女は、自らの足で立つ強さを取り戻していました。逃げる二郎に対して、向き合うことを選んだ悦子。おそらく別れは彼女自身の意思による決断だったのでしょう。
◉緒方の敗北と悦子の覚醒
その決断を後押ししたのは、皮肉にも、二人の幸せな結婚生活を願っていた緒方だったのかもしれません。
緒方がかつての教え子・松田重夫(渡辺大知)に会いに行く際、悦子は落ち着いた和服で同行します。それは古い価値観を体現する緒方の側に立とうとする、ささやかな意思表示のようにも見えます。
しかし緒方は、軍国主義教育を担った過去を松田に否定されます。松田の口から出た「1938年4月」という言葉──国家総動員法が公布され、言論が統制されはじめた時代。緒方は国策に逆らう同僚を告発したのでしょう。戦中の「正しい努力」が、敗戦による価値観の大転換によって「重大な過ち」と糾弾される。松田が語る「新しい夜明け」の前に、緒方は完全に敗北したのです。
その姿に悦子は自分を重ねたのでしょう。駅のホームで悦子は緒方にこう語りかけます。
悦子「だから……緒方さんも変わらんば。わたしたちも変わるとです」
緒方「そうだな。オムレツくらい、一人で作れるようにならんといけんな」
石川慶監督はインタビューで「悦子は緒方に初恋に近い感情を抱いたことがある」という解釈の可能性を示唆しています。かつて慕っていた緒方の敗北を目の当たりにし、悦子は覚悟を決めたのでしょう──自分もまた変わらなければならない、と。
◉遠い山なみの光が照らす未来
シャワーを浴びるニキ。妊娠検査薬の結果は描かれませんが、彼女のおなかに新しい命が宿っていたのでしょう。
悦子「チャツネ忘れないでよ」
ニキ「ひとりじゃそんなに食べきれない」
悦子「一緒に食べてくれる人、いないの?」
ニキ「いない…今はいない」
「今はいない」という言葉には、不倫関係に終止符を打ち、新しい未来を歩み出す決意が込められています。
「ママも変わらなきゃ。わたしたちも変わるのよ」──そう言って、ロンドンへと向かうニキの耳に流れるのはNew Orderの『Ceremony』。明るく高揚感のある80年代のUKロックです。
この曲を生んだボーカルのイアン・カーティスは首を吊ってこの世を去り、残された仲間が新たに結成したバンドがNew Orderでした。首を吊って命を絶った姉・景子を見送り、その先を生きていこうとするニキの姿と重なり合います。
もしニキがおなかの子を産んでいれば、現在の2025年には40代の大人になっています。祖母の悦子や母のニキが語った物語を受け継ぎ、自らの人生を紡いでいるでしょう。
タイトル『遠い山なみの光』には、二重の意味があります。ひとつは、年老いた悦子が回想する長崎。遠い稜線のようにおぼろげで、淡い光が差しています。もうひとつは、悦子と佐知子が稲佐山から眺めた長崎。原爆で破壊された街が再び明るい光を取り戻している姿です。
悦子「戦争ではひどか目におうたけど、まだこんがん希望のあるとやもん」
佐知子「そうよ、悦子さん。希望は、希望なら沢山ある」
最後に稲佐山から街を見つめる悦子と佐知子の笑顔が映ります。どれほど辛い過去を背負っても、人は変わり、未来を歩んでいける。この映画は、世代を越えて受け継がれていく「希望の物語」なのです。

