善い人生・良い人生・酔い人生~2026年5月の日記
5月*日
通算81回目の家族理解ワークショップを、浅草で開催した。
講師は81回連続参加の団士郎さん。今日も初参加の方が4名いらっしゃって、おなじみさんばかりにならないことが嬉しい。

81回も聞いていると、初耳なことは多くないが、聞くタイミングで受け取る意味が私の中で変わってくることは、よくある。何回聞いても飽きない音楽や、何回読んでも飽きない本があるように、何回聞いても飽きないハナシもある。「飽きない」と表現してしまったけれど、別の言い方をすれば、「辿り着けていない」感じ。士郎さんの話は、私の中で折々に「意味変」が起こる。それが「生きる」に良く作用しているように感じる。
「学ぶ」とは、そういうことなのだと気付くのに、私は随分と時間がかかった。「継続は力なり」という言葉は、学びの本質を示す言葉だと思う。
とある調査機関のレポートを見ていると「何歳まで働きたいか?」という問いへの回答の経年変化が出ていた。それによると、2026年の結果は62.5歳。10年以上、この辺りをウロウロしていた。
音楽でも本でも、ゴルフでも酒でも、阪神タイガースでも、「続けたい」と思うものがある人生はいい。それが「仕事」であり、かつ、その仕事が社会から求められ続ける状況にあれば、この上なく幸せではないかと、私は思う。
5月*日
長女中2のメガネをつくった。
視力は遺伝の要素が強いとされる。中2まで粘った長女も、貼れてメガネファミリーの一員となった。
小学校時代から眼鏡だった私は、高校1年生の時にコンタクトレンズになった。親が「まだ早い」と許してくれず、考えた挙句、学校帰りに「石山コンタクト」に勝手に行き、検眼して処方してもらい「次回お支払い」の紙を母親に渡すという暴挙に出た。
支払い額が「6万円」となっていて、その請求額を見たときに自身の「暴挙」に気付いたが、後には引けず、母にしこたま怒られ、父にしこたま呆れられてコンタクトレンズデビューを果たした。
「よく見える」ことは嬉しくて仕方なかったが、40歳を過ぎた頃に、そんなに見える必要もないと考えが変わり、コンタクトレンズを捨てて、眼鏡再デビューを果たした。
たぶん、見えないから見えるものがあって、それが何かを上手くは言えないけれど、世界はぼんやり見えるくらいがちょうどいいと、歳を重ねて思うようになったのかもしれない。
5月*日
「プラダを着た悪魔2」を観た。
久しぶりにミランダに会いたくて、とても楽しみにしていた。1が公開されたとき、ミランダ(メリル・ストリープ)の、端的に指示を出し「That’s all」――「あとはあなたが考えることよ」という感じで部屋から退室を促す――に憧れた。
「RUNWAY」とは程遠い大阪の地方誌の編集部で丁稚をした私だが、「先輩の言うことは絶対」「24時間働け」など共鳴するところが多く、親近感を感じる一方で、唯一ぜんぜん違うのが、編集長だった。我が愛すべき編集長は、とにかく話が長かった。永久に「That’s all」が来なかった。
肝心の映画の出来は、私にはイマイチだった。映画の中では、「RUNWAY」編集部も、インターネットの波に勝てず、這う這うの体で運営されていた。生き残りに必死だった。分かっていることをわざわざ見せ続けられることに、面白さを感じなかった。クライマックスは、ミランダが、自分でコートをコート掛けにかけようとしてドジるシーン。目を覆った。

5月*日
会社からすぐなのに行ったことがなかった大日本印刷(DNP)が主宰する「本と活字館」に出掛けた。
活字から写植になり、DTPが生まれてデジタルフォントに。書体なんて、時代遅れかと思いきや、スマホで「読む」流れができた結果、フォント市場は広がっているとも聞く。
51歳の私が出版社で丁稚していたころの最初の仕事は、誌面デザイナーに言われて「写植」を探すことだった。まだ版下が健在だった頃で、下版間際になると、写植屋に打ち直してもらう時間も勿体ないから、「団、新ゴの9ptの『に』探してこい!3分で!」とか言われて、倉庫にある過去号の版下から指示された文字を探して切り取って持って行く、という作業をひたすらしていた。おかげで倉庫のどこら辺に何のフォントを使った号があるかが大体把握できてきて、でも把握すればするほど、その役割から逃げられないという、もんどりうつような状況を過ごしていた。
でも、ほどなくパソコン画面上ですべてが完結できるようになり、あんなにあった版下を廃棄することになって、汎用性のないスキルとはこういうことだな、とその時身を持って知った。
この写真は活字棚から金属活字を探すゲームで、活字時代も、同じようなこと必死にやっている同胞がいたんだなと懐かしくなった。

こちらのおみくじは「明朝体おみくじ」という企画で、書いてある内容は大吉で全員同じで、さてどの明朝体のおみくじが当たるでしょう? というマニアックなもの。

5月*日
京都の北部にある西舞鶴という町で「アトリエ・オール」という小さな雑貨店を営んでいる。店名には舞鶴の皆さんの日々の暮らしを少しだけお手伝いする「オール」のような役割を担いたい、という気持ちを込めた。

舞鶴生まれ、舞鶴育ちの店長・南部が「パトロールしてくれる人が増えてきました!」と喜んでいる。私は、この「パトロール」という表現が特別に気に入っている。
「パトロール」に来る人たちの動機は様々だけれど、買いたいものがあって、それを目指して来られる方は少ない。もちろん、お店の商品を見に来られる方もいるが、南部と話をすることを楽しみに来られる方もいれば、車での帰宅途中、気分転換に立ち寄られる方もいる。買い物がメインではない方も、毎回ではないけれど、応援の気持ちで何かを買ってくださったりする。
タイパとコスパの最強を目指す生き方には、パトロールは採用されにくい。目指すべき場所に一直線。そんな人々の暮らしには、そもそも雑貨がそぐわないのかもしれない。
私のパトロール先は、いつの時代も本屋だ。パトロール先の書棚構成をある程度知っていることが大切で、変わらぬラインナップの中に登場する新刊や、店主こだわりのコーナーなんかを眺めながら過ごす時間に、たまらなく癒された。私はサウナに入らないので分からないのだけれど、整うとは、多分こういうことなんじゃないかと思う。
だから大型すぎる書店は書棚を見切れず消化不良になるし、ベストセラーしか置いていない駅ナカ書店などでは、いまひとつ整わない。店主の選書が程よく味わえる書店が、私にとって、良いパトロール先。パトロール先がある人生は、いいなと思う。
5月*日
義理の母は80歳。「グリーンスナップ」というお花のSNSにはまっている。
そんな母が、「遊さん、いいね! がたくさんもらえる方法を教えましょうか」と話しかけてきた。この日記のハートが20程度に留まっていることを見て心配になったのだろうか。
曰く、
「まず、長い文章はダメ。書きたい気持ちをおさえて、花言葉に近いくらい、短く端的に、余韻を届けるの」。「それからね、投稿は2日に1回。毎日投稿したい気持ちをおさえて、これがいい、という1枚を届けること」。
その効果か、グリーンスナップ上で彼女はインフルエンサーであり、常時400を超えるいいね!がついている。80歳にして、なんとおさえの効いた人生なのだろうか。
読み返すと、今月も私の日記は3,000文字を超えていた。うーむ、私には無理だ。
