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言葉で覚えていた私が、“動画のように”ダンスを記憶できるようになるまで

「右手を出して、左足を出して」──。
ダンスを始めたばかりの頃、私はそんなふうに“言葉”で振付を覚えていました。まるで説明書を読むように、一つ一つの動きを頭で言語化しながら組み立てていく。それはちょっと時間がかかる方法でした。

ところが、ある先生との出会いが、私の記憶のあり方をまるごと変えてしまいました。
その先生は、まずは踊ってみせて「まねして」と言う先生。
言葉で処理していたら追いつかない。だから私は、とにかく目で見て、身体で覚えるしかなかったのです。

そして気づけば──
私は、振り付けをまるで“動画”のように記憶できるようになっていました。

物事を記憶するとき、「写真のように覚える人がいる」とは聞いたことがあったけれど、“動き”ごと、流れごと、身体の感覚ごと記憶するという経験は、自分でも驚きでした。

この記事では、そんな私の記憶の変化と、そこから得た気づきをお話しします。
「覚え方って、こんなふうに変わるんだ」
そんな発見を、誰かと共有できたら嬉しいです。


最初は「言葉」で覚えていた

ダンスを習い始めた頃、私は振付を覚える際、「右手を出して、左足を出して、次は回って──」と、ひとつひとつの動きを頭の中で“言葉”に置き換え、順番に並べて覚えていました。

言葉で説明できるというのは、一見すると分かりやすそうに思えるかもしれません。
でも実際は、動きを言葉に変換する → 覚える → 身体で再現する、というステップを毎回踏まなくてはいけないため、ちょっと時間がかかる作業でした。

レッスン中も、「あれ?次って何だっけ?右手?左手?」と頭の中がいっぱいになり、動きが止まってしまうこともしばしば。当時の私は、「記憶=言葉で整理するもの」だと思い込んでいたのだと思います。だから、振り付けも“言語化”しないと覚えられないと信じて疑いませんでした。でもそのやり方では、スピードについていけないことも、表現が硬くなることも多かったのです。


ある先生との出会い

そんな私の記憶の仕組みを根本から変えてしまったのが、とある先生との出会いでした。その先生は、振り付けを教えるときに、まずは言葉を使わないことが多かったです。
「右手を出して、次に左足でステップして」なんて説明は一切なし。
ただ、先生が見本を見せる。その動きをひたすら“見て”覚えるスタイルでした。

正直、最初はとても戸惑いました。
「え、説明ないの?」「言葉での説明欲しいな」と何度も思いました。
でも先生は、「こうだよ。」とだけ言って、何度も同じ振りを繰り返してくれる。
だから、ただひたすら見て覚えました。

気づけば私は、言葉で整理する暇もないほど、目を凝らし、全身で集中していました。
頭で考えるよりも、ただ「見て、まねる」ことに意識が向いていたのです。

このとき私は、おそらく初めて、「言葉を介さない学び」を体験していたのだと思います。
それは、今までとはまったく違う記憶の入り口でした。


言葉を超えて、動画で記憶するようになった

いつからだったのか、はっきりとは思い出せません。
でも、ある日ふと気づいたのです──
「言葉を使わなくても、振りが頭に入ってくる」と。

以前の私は、振り付けを覚えるとき、頭の中で「右手を出して、次は左足」と逐一言語化していました。
でも今は、先生の動きを見ると、それがまるで“動画”のように自分の中に再生される。
動きの流れが、映像としてそのまま記憶されている感覚。

それは、「写真のように記憶できる人がいる」という話は聞いたことがあったけれど、
止まった一瞬ではなく、“動いているまま”の状態で記憶される不思議な感覚でした。

そしてもうひとつ驚いたのは、その記憶が身体にも残っていること。
頭で覚えたはずなのに、いざ音楽が流れると、身体のほうが先に動き出すのです。
それは、記憶というよりも「染み込んだ感覚」に近いものでした。

何度も繰り返し見て、まねて、全身を使って覚えたからこそ、
言葉ではない「体の記憶」に変わっていたのだと思います。


言葉よりも、身体の中に記憶する力

今思うと、あの「動画のような記憶」は、ただ視覚的に覚えているだけではなかったように思います。
動きのリズム、重心の移動、音楽との一体感──
そういったものも含めて、全身で“感じ取ったまま”を記憶していたのだと感じます。

それまで私は、「記憶する=頭で整理すること」だと信じていました。
でもあの先生の教え方によって、まったく違う扉が開いたのです。
「身体で感じて、身体で覚える」ことのパワーに気づかされた瞬間でした。

言葉で理解しようとするよりも、
「動きを感じる」「空気をつかむ」「リズムにのる」
──そうした感覚が研ぎ澄まされていくことで、自然と記憶の質も変わっていきました。

これはおそらく、理屈ではなく、“没頭”や“集中”といった状態によって起きた変化なのだと思います。
見よう見まねでも、全力でまねる。説明がなくても、必死に食らいつく。
そうした時間の中で、私はいつの間にか「記憶の仕方」そのものが変わっていたのです。

そしてなにより、この変化がもたらしたのは、振り付けを「楽しめるようになった」ことでした。
頭で追いかけるのではなく、身体と音楽が自然に動く。
それは、覚える苦しさから解放される、とても自由で豊かな体験でした。


誰でも変われる。覚え方は進化する

振り返ってみると、私は最初から「動画で記憶できる人」だったわけではありません。
むしろ真逆で、言葉に頼らなければ何も覚えられなかった人間でした。
でも、その先生との出会いをきっかけに、学び方そのものが変わっていったのです。

だから今、もし「私は振り覚えが苦手」と感じている人がいるなら、私は声を大にして伝えたい。
覚え方は変えられる。記憶のスタイルは、経験とともに進化する。

大事なのは、「覚え方を変えよう」と意識することではなく、
ときに“追いつけない”と感じるくらいの環境に飛び込んでみること。
説明がなくても、正解がわからなくても、
目の前の動きに全力で集中して、感じて、まねしてみる。
そんな時間が、知らないうちに“体で覚える回路”を育ててくれるのだと思います。

もちろん、人によって向き不向きや得意不得意はある。
でも、それも含めて「変われる余地がある」ということを、私は体験を通して実感しました。

「私には無理」と感じていた自分が、
今では“動画のように”振りを記憶し、音にのって踊れるようになった。
だからきっと、あなたにもできる。


結び:記憶の形は、変えられる

気づけば私は、振り付けを“映像”で覚えるようになっていました。
それは、言葉を並べるのではなく、
身体で感じて、音にのせて、流れごと心に焼きつけるような覚え方。

ダンスを通じて私は、
「覚える」という行為が、こんなにも自由で、柔らかくて、進化できるものなんだと知りました。

もし今、「どうしても覚えられない」「ついていけない」と感じている人がいたら──
その気持ち、すごくよくわかります。私も同じでした。

でも、ある日ふと変わる瞬間がやってくるかもしれません。
それは、頭ではなく“身体”で覚える力が目覚めたとき。
言葉を超えて、音と動きと感覚がひとつになるとき。

この記事が、そんな変化の可能性を信じるきっかけになったら嬉しいです。

🎀最後までお読み下さり、ありがとうございました。
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