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悟りのような自殺 上野駅

上野
いいところだ
大きな公園、動物園、美術館、博物館がある
この近くに住みたいと思う人も多いだろう
今日は動物園に行ってみた
目の前に猿山がある
空をじっと眺める猿が一匹いた
彼はなにを考えているのだろう
なにも考えていないのかもしれない
分からないことは分からない
そんなことはたくさんある
あまり気にしなくてもいい
気にし過ぎると頭がおかしくなるから


悟りのような自殺と書いてあるが、そもそも悟りとはなんだろう
悟りというと、人類最終奥義みたいに思う人もいるかもしれないが、もちろんそんなものはこの世にはない
目からビームが出る人間もいないし、未来を完璧に予知できる人間もいない
そんな奴がいたらもはやそいつは人間ではない
一年中、一日中、幸せな奴はいるか?
もしそんな奴がいたら、そいつは薬物中毒者か宗教気狂いに違いないだろう

では悟りとはなにか
昨今では認知科学から説明されることが多い
悟りとは、すべてが幻だと理解すること
そんな言葉を聞いたことがある人もいるだろう
単なる人間の人間による認識論のようなものだ
人間の脳の認識が人間の限界
この世界に意味などなく、人間の脳が事象に対して意味を付与している
価値などは存在しない ただ在るだけ
人間はただ生きて、ただ死ぬだけ
そこに意味なんてものはなかった
人間が勝手に物語を作るだけ
そこらへんにいるハエと同じだ
ただ生きて、いずれ死ぬだけ
すべては幻だった


はたしてそんなことを理解してなにか得することがあるのだろうか

ブッダは悟りを開いた後、悟りを民衆に説くことに対して思い悩んだ
悟りを理解できる人間はいるか、理解したとしてその人は満足するだろうか
この哲学的認識論、脳科学的認識論、認知科学
こんなものが、悟りなんてものが現実世界でなんの役に立つのだろうか

ブッダの前にいる民衆は食べ物に飢えていた、病気に苦しんでいた、死を怖れていた
悟りを開いたとて、腹は満たされず、病は治らず、ただいずれ死ぬのみ

現代でもそうだ
我々は認識の変容など望まない
なにを欲するか
金が欲しい、健康な体が欲しい、美しい顔が欲しい、賞賛が欲しい
悟りがなにを満たすだろうか
大谷翔平のような男になれば自殺したいなんて思わないだろう
芦田愛菜のような女になれば自殺したいなんて思わないだろう
悟りが君のなにを満たすだろう

どうやらすべてをあきらめる時が来たようだ
満たすことをあきらめる そして、生きることあきらめる
人間性をあきらめる 人間であることをあきらめる
そんな自殺
あきらめることは悪くない
あきらめることはしょうがない
ある程度がんばり、努力した者があきらめて自殺する
それは正しいことではないか?
この自殺を否定する者はなんて傲慢な人間なのだろう

悟りはあきらめを深くしてくれる
もうがんばらなくてもいい 
もうなにも求めなくてもいい
もう無理に生きなくてもいい
生まれたからには死ななくてはならない
ある意識はいつか消失しなければならない
諸行無常か
自殺をしないにしても、いずれ死ぬ覚悟が必要になる
生きるべきか死ぬべきか それが問題だ
死ぬ時気づくだろう 生きることも死ぬこともそれほど変わらないことだと
この世界は幻だった
意識の発生があるかないか

この道、歩く先に、悟りのような自殺が待っている







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