見出し画像

🟪『オキシトシンの沈黙』シリーズ  第6章|乳母という身体──差し出す覚悟と信頼の記憶

【全8章】
← 前の記事|第5章『もう一度、語らせるには』
→ 次の記事|第7章『ケアの“出口”を設計するということ』


— 痛みとホルモンと信頼のプロセス —

乳母文化について語るとき、忘れてはならないのが、「母乳を“出す”こと」だけでなく、「出すまでに耐えた痛み」や「生活上の制約」までも引き受けていたという事実である。
赤ちゃんの吸啜反射──あの小さな口が乳首に吸い付く力は、ときに針で刺すような痛みをともなう。出産経験のある多くの女性が、「授乳初期は1週間以上痛かった」と語る。
その痛みに耐えられず、母乳育児を断念する人も少なくない。
けれど、出産していない女性が、誰かの赤ちゃんのためにその痛みに耐え、身体を差し出していた事実。
そこには単なる義務や制度ではない、「役割と信頼に支えられた身体の覚悟」があったのではないか。


母乳の分泌には、プロラクチンとオキシトシンという2つのホルモンが関与している。

  • プロラクチンが母乳を“つくる”

  • オキシトシンが母乳を“出す”

出産後の女性はホルモンの自然な働きで母乳が出るが、出産をしていない女性には、その準備すら整っていない。
さらに、授乳期間中は排卵が抑制され、生理が止まることもある。 これは、「誰かに命を与える役割を担っている間、自分の命を産むプロセスは“いったん休止”する」身体のメカニズムとも言える。
乳母にとってそれは、自分の出産・結婚・家族形成を一時的に保留するという選択でもあった。


「わたしでよければ、育てます」──その言葉の背景には、 ホルモンだけでは説明できない、人間の身体と信頼の深層があった
この章では、その「差し出された身体」が通ってきた痛み・犠牲・誇りのすべてを、静かにもう一度見つめ直したかった。
そしてこの構造を知ることこそ、今の私たちが「育てる関係性」をもう一度呼び起こすための、大切な鍵になるのではないかと思う。


1. 差し出す身体に託された信頼とは?

乳母として誰かの子を育てる──そこには“命を預ける”という、極めて重い信頼が存在していた。
血縁でもない、出産した母親でもない女性に、なぜそのような役割を託せたのか?
その背景には、「共同体内の役割分担」として乳母という存在が根付いていたことがある。

たとえば、武家社会や商家では、乳母は単なる使用人ではなく、「家の一員」として迎えられる存在だった。
家族同然に暮らし、母親に代わって子の情緒面を支える──
それは“機能的なケア”というより、“代替的な親の位置”に近かった。
また、子どもの養育だけでなく、人格形成にも影響を与えると考えられていたため、 「どんな乳母をつけるか」は、その子の将来に関わる重大事項だった。

2. 乳母は“職業”だったのか?

乳母の中には、明確に「職業」として従事していた人も多い。
とくに上流階級では、乳母には報酬が支払われ、住居が提供され、生活の保障があった。
場合によっては、子どもが成人するまで屋敷に住み込み、家の管理や教育にも関わることがあった。
つまり乳母というのは、

  • 身体的なケアの担い手であり、

  • 教育的・情緒的な役割の実行者であり、

  • 家内の信頼関係の維持者でもあった。

それは単なる「一時的な奉仕」ではなく、長期的な信頼の契約関係でもあったと考えられる。

3. “育て上げた”という誇りと実績

乳母たちにとって、育てた子どもが立派に成長することは、 単なる「仕事の成果」ではなく、誇りと社会的信用の積み重ねだった。
「○○家の子を育てた人」として、次の奉公先や縁談にも影響を与えるほど、 その経験は“履歴”として蓄積されていった。
また、子ども本人が成人後も乳母を慕い、 「第二の母」として長く付き合いが続いたという記録も多く残っている。
つまり乳母とは、「血縁を超えて命を託された関係性」において、 **唯一無二の立場を築いた“記憶に残る存在”**でもあったのだ。


4. 美談と支配のはざまで

育てた実績が称えられ、家の一員として敬意を払われた乳母たち。
彼女たちの存在は「第二の母」として語り継がれ、いまもなお美談として記憶されている。

──だが、そこで一度、立ち止まってみたい。

「育む身体を、必要なときに借りてくる」という発想そのものが、
一部の階級にだけ許された“特権的な制度”ではなかったか。

“差し出された身体”は、果たして本当に「尊重されていた」のか。
それとも、「感謝」という名のフィクションでラッピングされた、
支配と利用の構造だったのか。

  • 長期間の住み込み

  • 排卵抑制やホルモン変化という身体的代償

  • 結婚・出産の機会の先送り

  • 親元に帰れない期間の孤立

こうした側面を“誇り”だけで語ってしまえば、
乳母たちの“自己決定の少なさ”“ケア提供の片務性”が、見落とされてしまう。

信頼とは、対等な関係性の中でこそ成立するもの。
だがこの制度の中では、
「差し出す身体」はしばしば、“代わりがきく資源”として扱われていたのではないか。

信頼と搾取。
そのちがいは、語り方ひとつで反転する。

だからこそ、今わたしたちは
この“差し出す文化”の記憶に、美談と批評の両面から光を当てる必要があるのではないか。

こうした背景を知ることで、出産を経ていない女性が、なぜその身体を差し出すことができたのか。 その根底にある「文脈と信頼と社会構造」を、もう一度見直してみることができる。
それは同時に、現代における“新たな信頼の回路”を探るためのヒントにもなるのではないだろうか。


5. 実母と乳母、その“育てる”構造の違い

ここでひとつ、現代の視点から問い直してみたい。
「乳母」と「実母」──どちらも“子どもを育てる”という点では同じだが、
その関係性の構造には、本質的な違いがあったのではないか?

乳母は「差し出す関係性」のなかで育て、子どもの成長とともに潔く手を離す。
“いま、この命を守りたい”というピュアな動機と、役割の期間限定性が支えとなっていた。

一方、実母は──
出産のプロセスを経て生まれる圧倒的な身体的つながりと、
「責任」という名のもとに植え付けられた“所有の感覚”が、
ときにその後の関係性を複雑に変質させる。

たとえば:

  • 「老後はよろしくね」という介護への期待

  • 「これだけ育てたんだから」という見返りの要求

  • 子どもの人生選択に対する過干渉

これらはすべて、“育てたこと”に根差した、感情的な重力の現れともいえる。

もちろん、乳母とて「無欲の聖人」ではないし、
実母とて「依存的な所有者」ではない。

でも、ここで強調したいのは、構造的なちがいや。
乳母には「手放す」という前提があり、
実母には「ずっとつながる」という幻想が育ちやすい──という、
文化的・制度的に仕掛けられた“関係性の設計”のちがい

この“育てる”という行為が終わったとき、
関係性をどう着地させ、どう次の段階へ移行するか。
それは現代のケアにも深くつながる問いやと思う。

そしてこの“差し出す関係性”を終えるとき、乳母たちは何を支えに、
どんな“出口”を設計していたのか──。

次章では、ケアを終えるということ、その「手放し」と「次の関係性」をどう描くかについて、考えていきたい。


✨もし、ふと心に何か灯ったら──
この下の「スキ♡」や「サポート」ボタンから、
小さな応援をいただけるとうれしいです🌿

無理なく、気が向いたタイミングで、どうぞ。


いいなと思ったら応援しよう!

断酒☆ヒロコ よろしければ応援お願いします! いただいたチップはnote発信の活動費に使わせていただきます!