見出し画像

湾岸線

さっきまでウトウトしていたらしい。

あたりを見回しても、シートに客の姿は見えない。

乗客は、僕だけだった。

とっくの昔に廃線になった湾岸鉄道の、博物館ものの列車がまた大きく揺れた。そのウグイス色の車体は、あちこちで塗装がはがれ落ちている。単調なリズムを刻みながら、軋んだ音をたてて、列車は走りつづける。思い切って窓を開けると、磯の匂いと一緒に、潮風が一気に吹き込んできた。窓の外を眺めていると、平坦な屋根の連なりの向こうに、白く輝く砂浜が広がっていた。彼方には、どこまでも水平線がつづいている。

ゆっくりとスピードを落として、やがて列車は、小ぢんまりとした駅のホームに滑り込んで止まった。

(桜が浜ー 桜が浜ー)

列車を降りて、僕は大きく伸びをした。海からの風が頬に心地いい。

見上げると、宇宙まで見透かせるほどに澄んだ、雲ひとつない青空が広がっていた。ホームの端で、妖しく陽炎がゆらめいている。どうやらこの駅は無人らしい。駅舎の濃い影の中で、三毛猫がアクビしていた。まるで、わざわざ出迎えてくれた友人のように、じっと座ったまま僕を見ている。

改札を抜けると、ひと筋の砂利道が海の方へと続いていた。蝉しぐれのシャワーを浴びながら、熱い砂利道を踏みしめて歩いていると、すぐに全身から汗が吹き出してきた。道の両脇に生い茂った夏草が、風に吹かれて路肩にモザイクを描く。点在するヒマワリは、何かの道標みたいだ。

クヌギ並木を抜けると、道はなだらかな坂になり、やがて鄙びた村が見えてきた。

漁村だろうか。やけに静かだ。板塀や土蔵の壁に、サビて落ちかけた飲料水や殺虫剤の広告がいくつも見える。電柱が1本も見えない村の中は、自転車の影さえどこにも無かった。真夏の昼の光と影、強烈なコントラストのなかで、蝉の鳴き声だけが静寂を支配していた。

それにしても、なぜ人影が見えないんだろう。野良猫の気配すらないこんなところにいれば、いつしか前世につながる記憶の糸をたどってしまう。ゼンマイの切れた、もう動かない柱時計。人気のない外科医院の傾いた看板。空地の雑草に侵蝕された自動車、くずれかけたお堂の屋根瓦。壊れた床屋のサインポール、錆びついた三輪車、かすれて滲んだ映画のポスター・・・・それら周囲のものすべてが、自分の記憶とつながっているように思える。

いま何時だろうー ふと見ると、腕時計がいつのまにか消えていた。

村の中を当てどなく彷徨ううちに、いつしか僕は、海岸へ出てしまった。また潮の匂いだ。白い光が眼にしみる。陽光のカケラが波間に踊っている。

海だ。青い海だ。あの突堤まで行ってみよう。石段を降り、砂浜を歩きかけて、やっと気づいた。

風が凪いだ。砂が冷たい。この光は、夏の海の輝きじゃない。

それは縁日の夜の、裸電球のまぶしさだった。💡✨

いいなと思ったら応援しよう!