子どもの発達障害の診断で揺れる「誰にも言えない気持ち」に心理士が思うこと
Xで流れてきた、子どもが発達障害と診断されて絶望しているママの記事を読んだ。
とにかく読みやすかった。こんなにもストレートに自分の気持ちを表現できる方は、なかなかいない。そしてこれだけ反響があるということは、それほど多くの人の心に刺さる文章だったということだろう。
読んだ人の中には、自身がASDの当事者として読んだ方、ASDのお子さんを持つ保護者として読んだ方など、さまざまな立場の人がいたと思う。読者はそれぞれ自分に重ねて、いろんな思いを抱いたのではないだろうか。
私自身も、二児の母として、心理士として、自分と重ね合わせながら読んだ。
親が抱く「同じ道を歩んでほしい」という願い
私もそうだが、親は無意識に「子どもはどこか自分と同じような道を進んでいくんだろう」と思っている。進んでいってほしいと願う部分もある。自分が母にされて嬉しかったことは子どもにもさせたいし、子どもの頃にできなかったけれどやりたかったことは、子どもにやらせたい。自分と同じくらい、いや自分より幸せな人生を歩んでほしい、そう願う母親がほとんどなのではないだろうか。
「絶望」という言葉の裏にあるもの
だからこそ、我が子が発達障害や知的障害を疑われたとき、「もしかしたら、自分が通ってこなかった人生をこの子は歩むことになるかもしれない」と感じる。将来のことはよくわからないけれど、「もしかしたら自分より不幸になるのではないか」という不安がよぎる。その感情を、彼女は「絶望」という言葉で表現したのではないかと思う。
もちろん、自分には自分の幸せがあって、子どもには子どもの幸せがある。でも、我が子が歩む未来に、自分が想像もしていなかった道が見えてきたとき、動揺してしまうのは自然なことではないだろうか。
その感情は、我が子を愛しているからこそ、幸せになってほしいからこそ出てくる感情なのだと思う。
心理士として思うこと
こんな風に「死にたくなる」と思っている保護者の方は、表立って言わないだけで、実はたくさんいるのではないかと思う。障害受容はかなり難しく、時間がかかる。
受容のプロセスには段階があって、受容する前にまず「否認」や「怒り」が来る。「受容して当たり前」「自分の子どもなんだから」という声も一定数あるようだが、それは当事者にしかわからないことだ。
保護者の思いを置き去りにしていなかったか
心理士として、「お子さんのことを一緒に考えていきましょう」というスタンスでやってきたつもりだが、ときに保護者の方の思いを置き去りにしてしまっていたかもしれないと、反省するところがあった。
誹謗中傷ではなく、発信を
今回、たくさんの誹謗中傷が本人に届いているらしい。しかし同時に、救われた保護者の方もいるのではないだろうか。誹謗中傷があるということは、それほど多くの人の心に何かしら響いたということだと思う。ただ、自分の心の怒りの矛先を、この方に向けるのは違うのではないか。それならば、自分の気持ちをnoteに綴ればいいのだと思う。
私は、この保護者の方には今後も発信を続けていってほしいと思う。同じように苦しんでいる方もいると思うし、少しずつ気持ちだって変化があると思う。これだけたくさんの人に響く文章を書ける方なのだから、その変化も踏まえて、たくさんの人に届けてほしいと思う。
