すこしだけ、遠回り。
いつからでしょう。
目的地まで、
できるだけ早く着くことばかり考えるようになったのは。
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いつもの角を曲がらなかった
仕事帰り。
駅を出て、
いつもの道を歩いていました。
毎日のように通っている道なので、
ほとんど何も考えなくても家まで帰れます。
コンビニの前を通って、
信号を渡って、
いつもの角を曲がる。
その日も、
そのつもりでした。
でも、
なぜか一本手前で曲がりました。
特に理由はありません。
何か用事があったわけでも、
行ってみたい場所があったわけでもありません。
ただ、
今日は少し、まっすぐ帰りたくないな。
そう思っただけでした。
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大人になると、「最短」が増える
考えてみると、
普段の私は、
ずいぶん「最短」に囲まれています。
知らない場所へ行くときは、
地図アプリを開く。
電車に乗るときは、
乗換案内を見る。
何か分からないことがあれば、
すぐに検索する。
買い物へ行くときも、
必要なものを先に考えて、
なるべく一度で済ませたい。
仕事なら、
もっとそうです。
どうすれば早く終わるか。
どうすれば手間を減らせるか。
どうすれば同じことを繰り返さなくて済むか。
効率よくすることは、
もちろん悪いことではありません。
私だって、
わざわざ毎朝遠回りして会社へ行こうとは思いません。
でも、
いつの間にか、
目的地へ早く着くことが、上手になりすぎた気がします。
子どもの頃は、
帰り道なんて、
もっと適当でした。
気になる道があれば入ってみる。
友達と話していたら、
いつの間にか遠くまで来ている。
意味もなく、
いつもと違う道から帰る。
それを、
「時間を無駄にした」
なんて考えた記憶は、
あまりありません。
いつから私は、
寄り道する前に、
「何分余計にかかるだろう」
なんて考えるようになったのでしょう。
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知らない帰り道
一本違う道へ入っただけなのに、
思っていたより景色が変わりました。
小さなパン屋がありました。
ずいぶん古そうな自動販売機がありました。
家の前に、
たくさんの植木鉢を並べている人がいました。
どこかの家から、
夕飯の匂いがしました。
犬を散歩している人とすれ違いました。
どれも、
大したものではありません。
写真を撮るほどでもない。
誰かに、
「今日こんなものを見たよ」
と話すほどでもない。
でも、
いつもの道を歩いていたら、たぶん見なかったものばかりでした。
遠回りというのは、
目的地へ着くためだけに考えれば、
無駄なのかもしれません。
でも、
目的地へ着くことだけが、
一日の全部ではない。
そんな当たり前のことを、
歩きながら少し考えていました。
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小さな公園
しばらく歩くと、
小さな公園がありました。
何度も近くを通っているはずなのに、
そこに公園があることすら知りませんでした。
少し歩き疲れたので、
ベンチに座りました。
夕方の公園には、
ほとんど人がいませんでした。
遠くから車の音が聞こえて、
ときどき風が吹く。
それくらいです。
何をするでもなく、
しばらく座っていました。
こういう時間も、
ずいぶん久しぶりな気がしました。
何かを待っているわけでもない。
スマホを見るわけでもない。
ただ、
座っている。
時間にすれば、
ほんの数分だったと思います。
それなのに、
ずいぶん長く休んだような気がしました。
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青いキーホルダー
ポケットから、
鍵を取り出しました。
そのとき、
一緒に何かが指に触れました。
小さな青いガラスのキーホルダー。
もう何年使っているのか、
正確には覚えていません。
表面は傷だらけ。
金具も、
少し頼りなくなっています。
特別高価なものではありません。
それでも、
光に透かしてみると、
まだ少し青い。
長く使っているものって、
不思議です。
気に入っているから使い続けているのか。
ただ、
替えるきっかけがなかっただけなのか。
自分でも、
よく分からなくなることがあります。
新しいものに替えようかな、
と思ったこともあります。
でも、
結局そのまま。
毎日、
鍵と一緒にポケットへ入れていました。
その日も、
しばらく手の中で眺めていました。
何を考えていたのかは、
今となっては、
よく分かりません。
ただ、
夕方の光に透かした青だけは、
妙に覚えています。
鍵をポケットに入れて、
私はベンチから立ち上がりました。
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遠回りの終点
公園を出て、
また歩き始めました。
しばらくすると、
見覚えのある道に出ました。
「あ、ここにつながっているんだ」
少しだけ、
うれしくなりました。
知らない道を歩いていたつもりが、
結局、
いつもの帰り道へ戻ってきた。
遠回りした時間は、
たぶん十数分。
何か大きな発見があったわけではありません。
人生が変わったわけでもありません。
明日から、
毎日違う道を歩こうとも思いません。
でも、
最短ではなかったけれど、
無駄だったとも思いませんでした。
それくらいで、
遠回りをする理由としては、
十分なのかもしれません。
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家に着いて
家に着きました。
玄関の前で、
ポケットから鍵を出します。
そのとき、
少しだけ違和感がありました。
軽い。
見ると、
鍵はあります。
でも、
青いキーホルダーがありませんでした。
「あれ?」
声に出していました。
どこかで、
落としたのでしょうか。
今日歩いた道を、
頭の中で戻ってみます。
小さなパン屋。
古い自動販売機。
植木鉢。
夕飯の匂い。
そして、
あの公園。
なぜか、
ベンチだけが、
妙にはっきり浮かびました。
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戻ろうと思えば、戻れた
まだ、
それほど遅い時間ではありませんでした。
歩いた道も覚えています。
戻ろうと思えば、
戻れます。
長く使っていたものです。
普通なら、
探しに戻るのかもしれません。
私も、
少し考えました。
靴を履いたまま、
玄関に立っていました。
でも。
結局、
私は戻りませんでした。
理由を聞かれると、
うまく説明できません。
もう古かったから。
金具も弱くなっていたから。
新しいものに替えようと思っていたから。
理由なら、
いくつか考えられます。
でも、
どれもしっくりきません。
ただ、
あのベンチを思い出したとき、
戻らなくてもいいような気がしました。
それだけです。
私は靴を脱ぎました。
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遠回りで見つけるもの
いつもの道を歩いていたら、
今日見たもののほとんどを、
私は知らないままだったと思います。
小さなパン屋も。
古い自動販売機も。
あの公園も。
別に、
知らなくても困りません。
明日になれば、
またいつもの道から帰るかもしれません。
でも、
たまには、
最短じゃない道を歩いてもいい。
何かを得るためではなく、
ただ、
少し遠回りする。
それだけで、
普段なら見えなかったものが、
見えることがあります。
知らない店。
知らない道。
知らなかった景色。
持っていたものを、
どこかに置いてくることもある。
……。
私はそのまま、
玄関のドアを閉めました。
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