上手い選手と怖い選手

あの選手は上手いだけで怖くない、あの選手はなんかわかんないけどなんかやりそう、という言い回しを聞いたことは無いでしょうか?
選手を形容する際、またはどんな選手になりたいか、またはなってほしいか、そんな理想の中で語られる際に多いこの言い回しですが、
必ずしも両立しない「上手い」と「怖い」、具体的に何が違うのでしょうか?
個人的観点から紐解いてサクッと書いていこうと思います。

上手い≠怖い

ボールコントロールが上手い、キックが上手い、ポジショニングが上手いなど、サッカーの上手さを語る上でかなり大雑把に分ければこんな感じでしょうか。
上手いならそれはイコールで相手にしてみれば怖いのでは?というのは絶対的な答えではありません。
極端な例を書くなら、ものすごいリフティング技術をセンターライン近くで行う選手は脅威的でしょうか?
速くて正確なパスをゴールから遠い場所でバックパスでのみ行う選手は警戒すべきでしょうか?
現実に近い例ですと、ものすごくドリブルの上手い選手が、自陣深くまで下がってからドリブルを開始するのは、怖さをあまり感じないのではないでしょうか。
味方がフリーで、その選手にパスをすればスペースを広く展開できるのに、奪われないながらも狭い方に進んでしまう選手は怖くありませんよね。
これは何故なのか、挙げた例に共通するのは「得点の予感がしないこと」です。
サッカーは点を取り合うスポーツ、つまり怖いのは失点です。
自陣ゴールから遠かったり、守備戦術の範疇でしかない相手選手は一部の例外を除いて、ほとんど脅威足りえません。失点の心配が薄いからです。

怖い=?

逆説的に、怖い選手の条件は「得点の予感を相手に強くイメージさせること」です。
ゴール前でも冷静にボールを扱うことができる、決定的なパスを出せたり無理な体勢でも枠内のシュートを打てる、ゴール前にタイミング良くポジションを取るなど、この選手にプレーされると失点するかもしれない、と相手に強く思わせることが怖い選手の条件です。その選手がいることで、味方は試合を有利に運ぶことができます。
ではどうすればそんな選手になれるのでしょうか?
答えは「上手(じょうず)に上手くなること」です。どっちなんだ!?と思うかもしれませんが、上手に、というのが重要です。
たまに小学生のスクールなんかを見る機会があると、ゲームの中で「そこはこうするべきだった」とか「こっちがこんな状況だよー!」とか指導者側が俯瞰視点のみで正解のようなものを言っているのを非常に多く見かけます。
しかしこれは個人的にあまり意味が無いと思っています。何故なら、その時その小学生選手が何を見ていたかを確認していないからです。
スペースがあれば、フリーの味方がいればそこに出すのが正解とは限りません。
実はその子は指導者の思いもよらない、その場の誰をも凌駕するイメージを持っていたかもしれない。実は何も考えられていなかった、ただ焦っていた、その時初めてこういう選択肢もあったなと指導してあげてほしいと思います。
上手に、というのは適材適所で頭を使いながら、試合中を想定して練習に取り組むことが重要だということです。ただ単にパスやシュートやドリブルの練習をしても、その練習が上手くなるだけで試合では別のことを要求されます。局面を想定して積み重ねた練習の先に、ゴールにつながるかもしれないという怖さが産まれるのです。
プロでも偶にがむしゃらにシュートを打っているだけのように見える選手がいますが、あれは日頃から積み重ねた様々な状況を想定したシュート練習が、その怖さを産み出しているわけですね。

※注釈

上記のことは完全に主観的なことです。また、怖い選手になることがイコールで良いことになるわけではありません。それは行き過ぎたエゴになる場合もあるからです。指導者の例も、正解とは限らないと書いていますが、それはつまり正解の場合もあるということです。また、上手い選手もチームには重要です。技術の無い選手ばかりだとそれだけでチームとして怖くなくなることもあります。
単にサッカーはもっと自由なものだということを書きたかっただけですのでご留意願います。

いかがでしたでしょうか。
怖い選手がいるだけで相手の注意は散漫になり、相手を一歩下がらせたり、マークを集めたりできます。サッカーをしている人も指導している人も見ている人も、これでまた知見が広がれば幸いです。

ありがとうございました。


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