【インタールード閑話 シエルタイムス#052】250617-2
直感・人生経験・デジタルを統合し使いこなす男
Livin' from a prayer.
僕が浜村しゅないだー義和です。
「ダシのない味噌汁──歴史とは、目に見えぬうま味」
大阪・鶴橋のコリアンタウンに、長男とふたりで食事に訪れた。
キムチもチゲも美味かった。現代の韓国文化の勢いを感じる。
だが、添えられていた味噌汁だけが──あまりにも、味気なかった。
具はある。味噌もある。だが、ダシがない。
水に味噌を溶き、菜っ葉と大根を浮かべただけの液体。
そこに、“日本人としての覚醒”で突然理解した。
昆布と鰹節。それは日本が千年かけて育んできた知恵の象徴。
ダシとは、ただの調味料ではない。見えない歴史の味なのだ。
韓国の料理が、韓国の文化が、なぜここまで現代を装飾しようとするのか。
それは「歴史が浅い」からではないか?と、ふと感じた。
大韓民国という国ができたのは1948年。
わずか77年の国家としての歴史。
今年は昭和100年。韓国は昭和に出来た国だよ。
その前は日本の統治下に35年、大韓帝国17年、李氏朝鮮500年。
つまり、現在の「韓国」という単位で見ると、100年に満たない若い国。
だからこそ──K-POP、現代アート、映画、整形技術。
彼らは今を必死に煌びやかにし、未来の歴史を必死に創っている。
これは、敵でも味方でもない。
かつて同じ釜の飯を食べ、同じWW2を戦った「兄弟国家」としての気づきだ。
ダシが足りない味噌汁は、まずい。
だが、それはただ不味いというだけではなく、深み=歴史が足りないということ。
世界最古の国の一つである日本。公式記録で2685年以上。皇紀でね。
喜界カルデラの大噴火前、紀元前7000年前も入れたら、2万年くらいか?
我々がもし、昆布と鰹節に込められた“ダシの精神”を忘れたら──
我々自身が、“味気ない存在”になるのだ。
表面的な装飾ではなく、
深く澄んだ、二千年の知恵が息づく日本の文化
だからこそ、「日本」にはダシがある。
そう思えた、たった一杯の味噌汁体験だった。
調和・中庸・統合
このnote「Livin’ from a prayer=スピーカーにおれはなる。」
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