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ドン・キホーテのCM「あるよ」に学ぶ。職場で信頼される人の"最初の一言"

「それは難しいですね」「前例がないので」「ちょっと厳しいかも」。 職場で誰かに何かを相談したとき、返ってくる一言目がこれだと、もうその先を話す気力が少し減る。聞いてもらえなかったわけではない。でも、入口で空気が一段冷える。

最近、あるCMをくり返し見ているうちに、「入口の一言」についてずっと考え込んでしまった。 ドン・キホーテのCMだ。永山瑛太が画面の端で、たった三文字を言う。「あるよ」。 それだけなのに、なぜか見終わったあとに気分がいい。

放送作家を26年やってきた私は、台本や構成ドキュメントに何万行もの言葉を書いてきた。その中で確信していることが一つある。人の心を動かすのは、長い説明ではなく「最初の三文字」だということだ。

「あるよ」のたった三文字が、なぜこんなに気持ちいいのか

ドン・キホーテのCMをご覧になっただろうか。

永山瑛太が演じるのは、ドンキを愛してやまない"ドンキオタク"。相手の女性が「ドンキって変わったものばっかりなんでしょ」と聞くと、実は普通のお肉もお惣菜もあることに驚く。そこに永山瑛太が、絶妙な間で「あるよ」と返す。

このCMは2026年3月後期のCM好感度ランキングで総合1位を獲得した。SNSでも「何回見ても笑う」「"あるよ"が頭から離れない」という声が続いている。

私はこのCMを最初に見たとき、笑う前に「うまいな」と思った。放送作家の職業病だと思う。面白いものに出会うと、なぜ面白いのかを先に考えてしまう。

で、何が「うまい」のか。

商品名を連呼しない。スペックの説明もない。「安い」とも「お得」とも言わない。ただ「あるよ」の三文字で、品揃えの広さを丸ごと伝えている。

けれど私が本当に引っかかったのは、もう少し別の場所だった。

「あるよ」は、肯定なのだ。

相手が「こんなものないよね?」と疑問を投げたとき、否定も説明もせず、いきなり肯定で返している。それも重たくない、軽い肯定。力みがない。だから受け取る側も身構えない。

この「肯定から入る」という動作が、CMの気持ちよさの正体だと私は思っている。

そして、これはCMの中だけの話ではない。

職場で「ない」から始まる会話がどれだけ多いか

少し、自分の職場を思い浮かべてほしい。

誰かがミーティングで新しい提案をする。すると、最初に飛んでくる反応はだいたいこうだ。

「それ、予算的に厳しくないですか」 「うーん、前にも似たようなことやって失敗してるんだよね」 「リソースがないんだよなあ、今」

どれも事実だったりする。予算は本当にないのかもしれないし、似た企画が過去に失敗しているのも嘘ではない。

でも、言われた側の体験はどうか。

一言目に「ない」「難しい」「厳しい」が返ってくると、提案した人間の体の中で何かが少しだけ閉じる。それは心理的なものだ。中身の検討に入る前に、「この場では自分の意見は歓迎されていない」という信号が体に走る。

私はこの現象を、26年間の現場で何百回と見てきた。

放送の現場では、台本や構成案を会議に出すのが仕事だ。そして、出した案が検討される場で、最初の一声がどちらに転ぶかで、その後の会議の温度がまるで変わる。

たとえば若手の作家が「こういう流れはどうですか」と案を出す。

ベテランのプロデューサーが「それ、前もやったよ」と返すと、若手は次の案を出す気力がしぼむ。仮にその「前もやった」が正しい指摘だとしても、だ。

一方で、ある現場で一緒に仕事をしたプロデューサーは、どんな案が出ても最初の一声が必ず同じだった。

「あるね、それ」

あるね。たった三文字。否定していない。かといって採用を約束しているわけでもない。ただ「その発想が存在すること」を認めている。それだけで、次の一言が出やすくなる。

ドン・キホーテのCMの「あるよ」を見たとき、私がすぐに思い出したのはこのプロデューサーのことだった。

「肯定から入る」は、同意とは違う

ここで一つ、整理しておきたいことがある。

「肯定から入る」というのは、何でもかんでも「いいね!」と言うことではない。

全部に賛成する人間は、信頼されない。それは職場でもテレビの現場でも同じだ。何を言っても「いいですね!」と返してくる人がいると、だんだん「この人は中身を聞いていないのでは」と不安になる。

「あるよ」がやっていることは、もっと手前の作業だ。

相手の言葉を受け取った、という信号を、否定より先に出す。それだけ。

具体的にはこういうことだ。

部下が「この業務、もう少し手順を変えたほうがいいと思うんですが」と言ったとする。

パターン1:「うーん、今のやり方でずっとやってきてるからなあ」 パターン2:「あるよね、そういう違和感。具体的にはどの手順?」

パターン2は「あなたが違和感を持ったこと自体は受け取りました」と伝えている。その上で、具体的な中身に入ろうとしている。もし検討の結果、手順を変えないことになったとしても、部下が「聞いてもらえた」と感じるかどうかの差は大きい。

これは「肯定してから否定する」というずるいテクニックの話ではない。順番の話だ。

受け取る→中身に入る→判断する。

この順番を守るだけで、職場の会話は驚くほど変わる。私はそう実感している。

放送作家は「最初の三文字」に命をかけている

もう少し、私の仕事の話をさせてほしい。

放送作家の仕事は、台本や構成ドキュメントを書いて提案することだ。その中には、出演者が話す冒頭の一言目も含まれる。

たとえば、トーク番組の冒頭。司会者が最初に何を言うか。

「今日のゲストは〇〇さんです」と始めるのか、「いやー、今日はすごい人が来ましたよ」と始めるのか。あるいは「実は昨日、今日のゲストについてちょっと調べたんですけどね」と始めるのか。

たったこれだけのことで、その後の30分のトークの温度がまるで変わる。

冒頭の一声で「この場は安全ですよ」「今から楽しいことが始まりますよ」という空気を作れるかどうか。それが、その後のすべてを決める。

これは会議でも面談でも同じだと私は思っている。

管理職が1on1の冒頭に「最近どう?」と軽く聞くのと、いきなり「先週の数字の件なんだけど」と入るのとでは、部下が出す情報の量がまったく違う。

「最近どう?」は、中身のない質問だ。でも、あれは質問として機能しているのではない。「今から始まる時間は、あなたの話を聞く時間です」という宣言として機能している。

ドン・キホーテのCMの「あるよ」も、実は同じ仕組みだ。

商品情報としての意味は薄い。「あるよ」だけでは何があるのか分からない。でも、あの三文字が入ることで、CMの空気が「説明されるもの」から「会話の中で自然に出てくるもの」に切り替わっている。

つまり、「あるよ」は情報ではなく、空気の操作なのだ。

「あるよ」を分解する──CMの三段階を職場に置き換える

永山瑛太の「あるよ」が気持ちいい理由を、放送作家的にもう少し分解してみたい。

あのCMの流れはこうなっている。

第一段階:相手が「ドンキって変わったものばっかりでしょ」と先入観を投げる。 第二段階:実際の商品(普通のお肉)を見て、相手が「え、普通のものもあるじゃん!」と驚く。 第三段階:永山瑛太が「あるよ」と、すでに知っていたことを軽く返す。

この三段階の気持ちよさはどこにあるか。

第一段階で「疑問・先入観」がある。 第二段階で「発見」がある。 第三段階で「肯定」がある。

つまり、人が何かを受け入れるとき、「疑う→自分で発見する→誰かに肯定される」という順番が快感につながるということだ。

これを、そのまま職場の場面に置き換えてみる。

たとえば、新しいツールの導入を提案する場面。

上司:「うちのチームにそういうのって合うの?」(疑問・先入観) あなた:「実は先週、試しに一件だけ使ってみたんです。処理時間が半分になりました」(発見を渡す) 上司:「へえ……」 あなた:「合いますよ、うちのチームに」(肯定を返す)

最後の「合いますよ」が、CMの「あるよ」と同じ位置にある。

相手が自分で「あ、いいかも」と思った瞬間に、すかさず軽い肯定を返す。重い説明ではなく。長い資料の前に。「あるよ」「合うよ」「できるよ」。

この三文字で、場の温度が一段上がる。

否定から入る人が失っているもの

逆の例も書いておきたい。

私の現場経験の中で、特に印象に残っている失敗がある。

あるトーク番組の構成会議だった。若手の作家が「冒頭で司会者が観客に質問を投げる形にしたい」と提案した。

そのとき私は、反射的にこう返してしまった。

「それ、前にやったことあるけど、あんまり跳ねなかったんだよね」

事実だった。以前やったときに盛り上がらなかったのは本当のことだ。だから否定しているつもりはなかった。経験に基づく「データ」を共有しているつもりだった。

でも、その若手はそれ以降、その会議でほとんど発言しなくなった。

あとで別の先輩から「あの一言、きつかったと思うよ」と言われて、ようやく気づいた。私は中身を否定したのではない。「発言すること自体」を否定してしまったのだ。

事実を伝えることと、入口を閉じることは、まったく別のことだ。

もし同じ状況で「あるね、その方向。前に一回試して苦戦したんだけど、今回だったらどう変えたい?」と返していたら、あの若手は次の案を出せたと思う。

「あるね」の三文字は、「あなたの意見はこの場に存在していい」と伝えている。内容の採否は、そのあとに別途やればいい。

この順番を間違えるだけで、会議室から意見が消えていく。私はそれを、自分の失敗として覚えている。

チャットの時代に「あるよ」はもっと重要になる

ここまで主に対面の場面を書いてきたが、もう一つ触れておきたいことがある。

テキストコミュニケーションだ。

SlackやTeams、LINEやメール。今の職場では、文字だけのやりとりが一日の大半を占めている人も多い。

そして文字のやりとりは、対面以上に「入口の一言」で印象が決まる。

なぜかというと、文字には声のトーンがない。表情も見えない。だから「それは厳しいですね」と書かれたとき、相手が困った顔をしているのか、怒っているのか、ただ事実を述べているのかが分からない。分からないから、受け取る側は一番ネガティブな解釈に流れやすい。

私も、仕事のやりとりでこの問題にぶつかったことが何度もある。

台本の修正依頼をメールで出すとき、「ここが分かりにくいので直してほしい」と書くと、書き手としては単なるフィードバックのつもりなのに、受け取る側は「ダメ出しされた」と受け取ることがある。

だから私は最近、テキストでのやりとりでは冒頭に必ず「受け取りの一言」を入れるようにしている。

「読みました」でもいい。「ありがとうございます」でもいい。もっと軽く「お、来た」でもいい。

本題に入る前に、「あなたのメッセージを私は受け取りましたよ」という一行を挟む。

これは、ドン・キホーテのCMの「あるよ」と同じ仕組みだ。中身の検討は二行目以降でやる。一行目は「受け取った」という合図に使う。

テキストの一行目が否定で始まると、そこから先の内容をどれだけ丁寧に書いても、相手の体は最初の否定に引っ張られる。逆に、一行目が肯定──たとえ形式的な肯定でも──で始まると、二行目以降の厳しいフィードバックすら「建設的な助言」として受け取られやすくなる。

たった一行。その一行が、テキストコミュニケーションの空気を変える。

なぜ「あるよ」は軽いのか──重い肯定との違い

もう一つ、このCMから学べることがある。

「あるよ」の力は、軽さにある。

もし永山瑛太が画面の中で「はい、ございます。ドン・キホーテでは生鮮食品からブランド品まで幅広く取り揃えております」と返していたら、あのCMは誰の記憶にも残らない。

「あるよ」は、説明を放棄している。だからこそ強い。

これを職場に置き換えると、肯定にも「軽い肯定」と「重い肯定」がある、ということだ。

重い肯定とはこういうものだ。

「いい提案ですね。私もかねてよりその方向性については検討の必要性を感じておりまして、御社の知見を踏まえた上で今後の方策を議論できれば幸いです」

これは肯定しているが、聞いている側は疲れる。肯定のあとに肯定が続くと、逆に「この人は何が言いたいんだろう」という不信感が生まれる。

軽い肯定は違う。

「いいじゃん」「それ、ありだな」「あるよね、その悩み」。

三文字から五文字。一息で言える長さ。相手が構える前に、すっと入る。

ドン・キホーテのCMの「あるよ」が心地いいのは、相手に考える隙を与えずに肯定が届くからだ。考える前に受け取ってしまう。だから防御が働かない。だから気持ちいい。

この「軽さ」を職場で使える人は意外と少ない。

管理職やベテランほど、肯定するにも理由をつけたがる。「ここが良くて、ここがこうだから、この方向は検討に値する」と。悪いことではない。でも、それは二言目以降でやればいい。

一言目は、軽く。三文字で。

「あるね」「いいね」「面白い」「わかる」。

その三文字が、次の一言を引き出す呼び水になる。

私が現場で実際に使っている「あるよ」的フレーズ

最後に、実際に私が仕事の現場で使っている「軽い肯定」のバリエーションを書いておきたい。

どれも、意識して使い始めてから、会議の空気が変わったと実感しているものだ。

一つ目は、「あるね」。

会議で若手が案を出してきたとき、中身の検討に入る前に、まず「あるね」と返す。案の存在を認める。それだけ。

二つ目は、「聞かせて」。

「ちょっと思いついたことがあるんですが」と切り出された瞬間に返す一言。「聞かせて」は、肯定であると同時に、相手に話す権利を渡す合図になる。

三つ目は、「おー」。

これは厳密には言葉ですらない。ただの反応音だ。でも、相手の発言直後に「おー」が入るだけで、「この場は反応してもらえる場だ」と相手が感じる。これがあるかないかで、その後の発言量が変わる。

四つ目は、「それ、持っていけるかも」。

提案の中身にまだ粗さがあるとき、全否定せずに「可能性がある」と伝える言い方。「持っていける」は確約ではないが、否定でもない。この曖昧さが、相手に「もう少し詰めてみよう」という気持ちを作る。

五つ目は、「続けて」。

これは特にオンライン会議で使う。画面越しだと、話し手は「自分の話が聞かれているか」が分かりにくい。だから途中で止まってしまうことがある。そのとき「続けて」と声をかけるだけで、相手は安心して次の言葉を出せる。

どれも三文字から五文字。一息で言える長さ。これだけで、会議の温度が変わる。

「あるよ」は技術であって、性格ではない

ここまで読んで、「自分はそういう肯定的なタイプじゃないから」と思った人がいるかもしれない。

私自身、性格は特に明るいほうではない。放送作家として26年やってきたが、人見知りの時期も長かった。

でも、「あるよ」は性格の話ではない。技術の話だ。

台本の一行目に何を書くか。構成案の冒頭をどこから始めるか。それと同じで、会話の入口に何を置くかは、訓練と選択の問題であって、持って生まれた気質の問題ではない。

ドン・キホーテのCMで永山瑛太が見せる「あるよ」は、台本に書かれた一言だ。あの絶妙な間合いも、力の抜けた声のトーンも、あの俳優の演技力があってこそ成り立っている。つまり、あれは「技術」として仕立てられたものだ。

同じように、私たちが職場で使う「あるよ」的な一言も、技術として身につけることができる。

明日の会議で、誰かが意見を言ったあと、最初の一声を変えてみてほしい。

「うーん」の代わりに「あるね」。 「難しいかな」の代わりに「面白い」。 「前にも……」の代わりに「聞かせて」。

三文字で、場の空気が変わる。

ドン・キホーテのCMは、商品を一つも説明せずに、たった三文字で「この店には何でもある」と伝えきった。

あなたの一言目も、同じだけの力を持っている。

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