【追悼】オジー・オズボーンを想う:二人の46年
犬猿の仲だった二人が、ヘヴィメタルを作った
学生時代、二人はそりが合わなかった。
一方はもう一方に対して、学校でずっと強い態度を取っていたのだという。それから半世紀以上が経った2025年、その男はもう一方の葬儀に参列し、涙を流していた。
トニー・アイオミとオジー・オズボーン。
ヘヴィメタルという音楽を作った二人の、46年にわたる関係を辿ってみる。
もうすぐオジーの命日だ。
■1. 「殴り合う仲」から始まった二人
舞台は1960年代、イギリス・バーミンガムの労働者階級の街アストン。
ブラック・サバスのベーシスト、ギーザー・バトラーは後年、こう振り返っている。
オジーは学校時代からアイオミと知り合いで、二人は互いに嫌い合っていた。
アイオミとの折り合いが悪かったため、オジーはバンドを組む相手としてアイオミではなくバトラーの方を選んだのだという。
出典:
『Why Tony Iommi and Ozzy Osbourne initially hated each other』, Far Out Magazine,
https://faroutmagazine.co.uk/tony-iommi-ozzy-osbourne-hated-each-other/
アイオミはその後、バーミンガムのブルースバンドを渡り歩きながらギターの腕を磨いていた。
バンドは次々と変わったが、最終的に「アース」というブルースバンドに落ち着く。
バトラー、ワードとともにこのアースに合流したアイオミは、当初オジーをボーカルに迎えることに乗り気ではなかったという。
学校時代の因縁を考えれば無理もない。
しかし結局、この4人は同じバンドに落ち着くことになる。
殴り合っていた二人が、後にヘヴィ・メタルというジャンルそのものを作り出すことになるとは、当時の誰も想像していなかっただろう。
人生というのは、当人の意図とは無関係に妙な組み合わせを作ってしまうものらしい。
■2. リフを弾く男と、リフを歌う男
音楽の面では、意外にも早い段階から噛み合っていたようだ。
バトラーの証言によれば、オジーは最初、メロディの代わりにその場で思いついた適当な歌詞を乗せるだけの"仮歌"を歌い、そこにバトラーが本歌詞を書き足すという分業で曲が仕上がっていった。
メロディが思いつかないときのオジーは、アイオミの弾くギターリフをそのまま声でなぞって歌っていたとされ、「アイアン・マン」や「ハンド・オブ・ドゥーム」といった曲は、そうやって生まれたという。(出典:前掲Far Out Magazine記事)。
技術的な理論を積み上げるタイプではなかったオジーが、それでもマイクの前に立つと、地の底から響くような説得力を持った声に変わる。
緻密にリフを組み立てるアイオミと、その場の感覚で声を乗せるオジー。
アプローチはまるで違う二人だったが、その違いが故に噛み合っていたのかもしれない。
■3. 1979年、ついに関係は破綻する
1979年4月27日、当時30歳のオジーは、アイオミの意向でバンドから追い出される。
理由はドラッグとアルコールに溺れて使い物にならなくなったことだった。
アイオミは後年、「オジーが最初に去ることになったとは言えるけど、辛かった」と振り返っている。
出典:『Tony Iommi on Firing Ozzy Osbourne: "We Had to Do Something"』, Ultimate Classic Rock,
https://ultimateclassicrock.com/black-sabbath-fire-ozzy-osbourne/
オジー自身はこの解雇に納得しておらず、自伝『I Am Ozzy』で、全員が同じくらいドラッグに溺れていたのに自分だけ切られたのは筋が通らないと綴りつつ、「俺たちは家族みたいなもの、兄弟みたいなものだった」とも書いている。

出典:『Why Did Black Sabbath Fire Ozzy Osbourne in the 1970s?』, Loudwire,
https://loudwire.com/why-black-sabbath-fired-ozzy-osbourne/)
そりの合わない相手として出会い、兄弟のように過ごし、最後は追い出す側と追い出される側に分かれる。
この二人の関係は、最初から一貫して"綺麗な友情"ではなかった。
■4. 解雇直後の明暗
解雇されたオジーは、すぐにギタリストのランディ・ローズと出会い、1980年にソロデビュー作『Blizzard of Ozz』を発表する。

「Crazy Train」を含むこの作品は大ヒットし、オジーは解雇された歌手から一躍ソロスターへと駆け上がった。
一方、残されたブラック・サバスは、後任ボーカルとしてロニー・ジェイムス・ディオを迎え入れる。
ディオ加入後の『Heaven and Hell』(1980年)は評価こそ高かったものの、ディオ自身は数年でバンドを離脱。

次に元ディープ・パープルのイアン・ギランを迎えた『Born Again』(1983年)は迷走の色が濃く、ギラン自身、完成した音源を初めて聴いたときの落胆ぶりを振り返っている。

出典:『Black Sabbath: the story behind the Born Again album』, Louder,
https://www.loudersound.com/features/black-sabbath-born-again-story-behind-album)
もっとも、オジーの快進撃も長くは続かなかった。
1982年、盟友ランディ・ローズが飛行機事故で急逝してしまうからだ。
どちらも、順風満帆とは程遠かった。
■5. 1985年、一日限りの再結成
1985年7月13日、フィラデルフィアのJFKスタジアムで行われたチャリティイベント「ライヴ・エイド」に、オリジナルメンバー4人による一日限りのブラック・サバスが出演する。
オジー離脱から6年、4人が同じステージに立つのはこれが初めてだった。
前日リハーサル中、アイオミは見知らぬ女性たちがスタジオを覗いていることに気づき、誰なのか知らないまま追い出してしまう。
後になって、それが当時『Like a Virgin』で人気絶頂だったマドンナだったと知り、気まずい思いをしたという。
出典:『Tony Iommi Kicked Madonna Out of Black Sabbath Reunion Rehearsal』, Loudwire,
https://loudwire.com/tony-iommi-kicked-madonna-out-black-sabbath-live-aid-rehearsal/)
その夜、4人は3曲だけのリハーサルもそこそこに、旧交を温め合って盛大に飲み明かした。
本番当日、アイオミは「ひどい二日酔いだった」と振り返っている。
それでも「Children of the Grave」「Iron Man」「Paranoid」の3曲、15分ほどのステージは大きな喝采を浴びた。
しかしこの再結成が本格的な形に発展することはなく、アイオミは自身のソロ作のつもりだった作品をサバス名義の『Seventh Star』としてリリースし、オジーは自身のソロキャリアに戻っていく。
再会は、あくまで一日限りのものだった。
■6. 再結成、そして"宿敵"だった時代
オリジナルメンバーによるブラック・サバスは1997年から断続的に再結成ツアーを行うようになる。
しかしこの時期、オジーは自分たちがかつて「宿敵」と呼べるほどの関係だったこと、アイオミのことを心底怖がっていた時期があったことを認めている。
出典:『Ozzy Osbourne admits that he used to be "arch-enemies" with Black Sabbath bandmate Tony Iommi』, Louder,
https://www.loudersound.com/news/ozzy-osbourne-admits-that-he-used-to-be-arch-enemies-with-black-sabbath-bandmate-tony-iommi)
この時期の再結成は、新曲をほとんど生み出さなかった。
1998年のライブアルバムに2曲が追加収録されただけで、本格的なスタジオアルバムの制作には至らないまま、ツアーだけが断続的に続いていった。
仲直りしたように見えて、根本的な溝は埋まっていなかった、というのが実情に近いようだ。
■7. アイオミの癌に気づいたのは、オジーだった
2011年後半、4人は35年ぶりとなるオリジナルメンバーでのスタジオアルバム『13』の制作のため、オジーの自宅に集まって曲作りを進めていた。
この時、アイオミの体重が明らかに落ちていることに気づいたのがオジーだった。
ベーシスト、ギーザー・バトラーは自著の中で、オジーが「アイオミは痩せすぎている、検査を受けるべきだ」と指摘したと明かしている。
出典:『How Ozzy Osbourne Spotted Tony Iommi's Cancer』, Ultimate Classic Rock,
https://ultimateclassicrock.com/black-sabbath-final-years/)
イギリスに戻ったアイオミは、2012年1月、早期のリンパ腫と診断される。
アイオミ自身、化学療法を受けながらも制作を続け、「こんな時こそ何かに集中していたかった」と振り返っている。
一方のオジーはお世辞にも気の利いた反応ができたとは言えず、「それって前に誰かが死んだ病気じゃなかったっけ?」と口を滑らせてしまったという。
アイオミは苦笑しながら「それがオジーなんだよ」と評している。
出典:『Black Sabbath's Tony Iommi Offers Update On His Health: 'I'm Up And Down'』, BLABBERMOUTH.NET,
https://blabbermouth.net/news/black-sabbaths-tony-iommi-offers-update-on-his-health-im-up-and-down
デリカシーのある言葉をかけられる男ではなかった。
それでも、体調の異変に最初に気づいて指摘したのも、同じ男だった。
闘病を経て『13』は完成し、全英・全米ともに1位を獲得、グラミー賞も受賞している。

■8. ビル・ワード不在のまま迎えた終幕
『13』のツアーを経て、バンドは2016年から2017年にかけて「The End」と題した最後のツアーに乗り出す。
ドラマーのビル・ワードは、待遇や契約条件をめぐる対立から、このツアーにも『13』のレコーディングにも参加しなかった。
2017年2月4日、地元バーミンガムでの公演をもって、オリジナルメンバーによるブラック・サバスは正式に幕を下ろす。
長期にわたるツアーを続けられなくなった一因には、アイオミの体調の問題もあったとされる。
癌そのものは寛解に向かっていたものの、長距離の移動には耐えられない状態が続いていた。
全員が揃わないまま、しかも本調子とは言えないメンバーを抱えたまま、バンドは静かに終わりを迎えることになった。
■9. 突然の和解、「Patient Number 9」
ところが数年後、二人は再び歩み寄る。
2022年に発表されたオジーのソロアルバム『Patient Number 9』には、アイオミが「Degradation Rules」と「No Escape From Now」の2曲でギターを弾いて参加している(出典:前掲Louder記事)。

宿敵と呼んでいた相手と、還暦をとうに過ぎてから改めて曲を作る。
人間関係というのは存外、こういう回り道をするものなのかもしれない。
■10. 最後のステージ裏で交わされた一言
2025年7月5日、地元バーミンガムのヴィラ・パークで、ブラック・サバスのオリジナルメンバーとして20年ぶりとなる公演が行われた。
これがオジーにとって生涯最後のステージになる。
美談として終わってもよさそうな一日だが、実際の舞台裏はもう少し人間くさかった。
息子ジャックの証言によれば、サウンドチェック中、体調が万全ではなかったオジーに対し、アイオミは「音程外れてるぞ」とだけ告げた。
オジーはこれにムッとしたという。
出典:『Jack Osbourne says a heated moment during soundcheck before Black Sabbath's farewell show revealed everything about Tony Iommi and Ozzy's relationship』, Guitar World,
https://www.guitarworld.com/artists/bands/jack-osbourne-on-tony-iommi-and-ozzy-osbourne-relationship-black-sabbath)
この日、司会を務めたミュージシャンのビリー・コーガンは、アイオミがオジーのソロでの大成功に、誰よりも驚いていた張本人だったのではないかと指摘している。
1979年に追い出した側の男が、追い出された側の男の後年の活躍を誰より意外に思っていたというのは、なんとも皮肉な話だ。
ジャックはこの関係を「兄と弟」のようだと形容し、あの4万人の観客の中で父にダメ出しできる人間はアイオミしかいなかった、誰にでもそういう相手が必要なんだと振り返っている。
優しい言葉をかけ合う仲ではなく、最後まで正直に指摘し合える仲。
それが、この二人にとっての"兄弟"の意味だったらしい。
■11. 訃報、そして史上最大級の追悼の輪
2025年7月22日、オジーは自宅で亡くなる。
最後のステージからわずか2週間あまりのことだった。
訃報を受け、世界中のミュージシャンから追悼コメントが寄せられた。
そりが合わなかった二人の少年。
学生時代の二人を知る者からすれば、その一人が、もう一人の死を悼んで世界中から取材を受けることになるとは、想像もつかなかったはずだ。
■12. 葬儀に参列したアイオミ
2025年7月31日、オジーはバッキンガムシャーの自宅敷地内にある湖のほとりに埋葬された。
この私的な葬儀には、ブラック・サバスの元メンバーであるアイオミ、ギーザー・バトラー、ビル・ワードの3人がそろって参列している。
出典:『OZZY OSBOURNE Laid To Rest In Grounds Of His U.K. Mansion』, BLABBERMOUTH.NET,
https://blabbermouth.net/news/ozzy-osbourne-laid-to-rest-in-grounds-of-his-u-k-mansion)
かつて宿敵とまで呼ばれた男が、最後は湖のほとりで見送る側に回っていた。
待遇をめぐって長年バンドと距離を置いていたビル・ワードまでもが、この場には揃って姿を見せている。
■13. 46年間、ずっと"良い関係"だったわけではない
ここまで振り返ってみて分かるのは、この二人の関係が一度も安定していなかったということだ。
学校時代の確執、音楽的な相棒関係、1979年の解雇、1985年の一日限りの再結成、1997年からの"宿敵"時代、2012年に発覚した癌、2017年のばらばらな終幕、2022年の和解、そして最後のステージでの小さな苛立ち。
仲直りしては、また少しこじれる。その繰り返しだった。
それでも、最後にアイオミは葬儀に来た。
最後に
そりの合わない二人が出会い、ヘヴィメタルを作り、何度も対立し、それでも最後まで縁が切れなかった。
きれいな友情の物語として語りたい気持ちはあるが、正直、そう単純化するのも違う気がしている。
仲が良かった時期より、気まずかった時期の方が長いような二人だ。
それでも、一方が死んだとき、もう一方は湖のほとりに立っていた。
友情という言葉では足りない気がする。
ただ、離れられなかった、というのが一番近いのかもしれない。■■
