正解のない世界で、私はキャンプをする
湿った薪に火を近づけると、白い煙が立ちのぼった。何度試しても火はつかない。夕方の山は暗くなり、手も冷えてきた。
それでも、なぜか焦ってはいなかった。
「まあ、パンでも食べたらええか」
リュックからパンを取り出し、ひと口かじる。いつもの素朴な甘さに、少し気持ちが落ち着いた。
火がつかなくても、夕食が遅れても、これを食べればひとまず大丈夫。思い通りにならないキャンプの中で、いつものパンが日常を思い出させてくれた。
キャンプの夜は、いつも思い通りにはいかない。
それでも、私はそんな時間が嫌いじゃない。むしろ、帰る頃には少し誇らしい気持ちになっている。
「なんでキャンプが好きなんやろう」
そう考えて、別の疑問に気づいた。
子どもの頃、学校のテストには答えがあった。正解すれば褒められ、点数が高ければ評価された。
私は、それが大人になるための練習だと思っていた。正しい答えを出せれば、大人になっても困らないと思っていた。
でも、大人になってみると違った。
仕事も、お金も、人間関係も、将来のことも、絶対の正解がないものばかりだった。
そんな日々の中で、私はキャンプに行く。
テントを張り、食事を用意し、火を起こす。思い通りにいかないこともあるけれど、必要なのは大きな答えではない。
ご飯を食べ、寝る場所を作り、明日まで過ごせればいい。
夜、星空を見上げる。
普段は自分のことばかり考えているのに、その瞬間だけ、自分が本当にちっぽけに思える。
仕事も、お金も、将来も、全部を今すぐ解決しなくていい。
「なんや、全部を今すぐ解決せんでもええんや」
そう思える。
一人でキャンプをすると、誰かの正解に合わせなくてもいい。焚き火がうまくできなければ、パンを食べればいい。
予定通りにいかなくても、それは失敗ではなく、次に話せる思い出になる。
その場で必要なことを選び、できる範囲でやってみる。そんな小さな判断を重ねるうちに、
「私、一人でも生きていけるかも」
という自信が生まれる。
キャンプから帰っても、問題が解決しているわけではない。それでも、頭の中が少し整理され、
「今はこれでいいか」
と思えるようになる。
そこで、ようやく気づいた。
私はキャンプで、答えを探していたわけではないのかもしれない。
答えが出ないものを、自分の中に置いておく練習をしていたのかもしれない。
大人になるとは、正解を見つけることではなく、正解のない問いを抱えたまま進むことなのかもしれない。
キャンプは、私にとって逃げてもいい場所だ。
日常から離れ、考えることを少し減らす。そしてまた、正解のない日常へ戻っていく。
「なんでキャンプが好きなんやろう」
最初は、ただの素朴な疑問だった。
でも考えていくうちに、私は別の問いに出会った。
「大人になるって、どういうことなんやろう」
その答えは、まだ分からない。
でも、今はそれでいいと思える。
答えが出ないものと一緒に過ごすことも、きっと一つの学びなのだと思う。
だから私は、またキャンプに行く。
火がつかなかったら、いつものパンを食べればいい。
そのときできることをやればいい。
それもきっと、次の私の話になる。

