出雲國へタタラ場を見に行く(4)歌舞音曲の神様、美保神社の朝御饌祭と山陰最古の灯台
島根県雲南市に「もののけ姫」に登場するタタラ場のモデルとなった場所があると知り。
一路島根へ行った記録の4回目(2日目)です。
旅程
1日目:出雲縁結び空港〜鉄の歴史博物館〜山内生活伝承館〜菅谷たたら山内〜たたらのいえ〜たたらと刀剣館
2日目:美保神社〜美保関灯台〜古代鉄歌謡館〜須我神社〜須我神社 奥宮〜ホーランエンヤ伝承館〜松江城〜宍道湖
3日目:石見銀山 世界遺産センター〜龍源寺間歩〜石見銀山資料館〜羅漢寺 五百羅漢〜さんべ縄文の森ミュージアム〜三瓶自然館サヒメル〜出雲縁結び空港
歌舞音曲の神様のいるところ
2日目は、朝8:30から行われる美保神社の朝御饌祭を拝観することからはじめる。
昨晩から松江市内に入っていたが、宿から美保神社までは車で約1時間。
朝食バイキングが7時からだったので、少し早めに朝食会場の近くで待機。
コーヒーやパンなどをテイクアウトさせてもらって出発した。
しばらく松江の市街地を走り、美保関町に入ると、海が見えた。
海沿いに曲がりくねった一本道を進むと、船着場とその町を見守るように、美保神社はあった。

朝御饌祭を見逃さないよう、余裕を持って出発したので、余裕を持って到着した。
まだ人の気配はない。
立派な鳥居をくぐって振り返ると、向こうに海を見ている。


足を進めていくと、よく晴れた冬の朝の空気がいっそう澄み切って、時間の流れが違っているようだった。

ここでは毎日、朝は8:30から夕は15:30から、日々のお供えを献上する祭典、朝御饌祭と夕御饌祭が行われている。
神様の朝ごはん
朝御饌祭とは、朝に御饌(神様の召し上がる食べ物の総称)を捧げる祭典。
美保神社では、大祓詞の奏上、祝詞奏上、そして神楽も奏され、自由に拝観できる。

他の祭事によって時間が変わったり、神楽は日によって「巫女舞」の場合と、太鼓・笛のみの場合があるとのことだが、
365日、冬の朝も、雨の朝も、毎日朝夕に執り行われるというのは凄いことだと思う。
そしてなんと美保神社のご祭神は、歌舞音曲(音楽)の神様であるという。
846点の奉納鳴物

ここ美保関は、古くより海上交通の関所として栄えた。
北前船や諸国の船が往来し、風待ちの港であったそう。
ちなみに北前船は、江戸時代から明治時代にかけて大阪と北海道を結ぶ日本海航路(西廻り航路)で活躍した買積廻船のこと。
商品をただ運ぶのではなく、船主が港々で特産品を売買することで大きな利益を上げていた。

「関の明神さんは鳴り物好き、凪と荒れとの知らせある」と、船人の口から口へと広く伝えられると、
海上安全や諸願成就などの祈願の為、さまざまな地域から夥しい数の楽器が奉納された。
この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
こちらの大鼕は、鳥取藩で城下の藩士に登城の時を告げていたものだそう。

他には、日本最古のオルゴールやアコーディオン、島原の乱で戦陣に出されたと伝わる陣太鼓、初代荻江露友が所有していた三味線など名器や珍品も数多く含まれるそうで、
日本の音楽史において貴重な楽器たちがこのように護られ、受け継がれてきたのだな、と日本最古の音色を想像してみた。
少しずつ、人が集まってきたので、朝御饌祭が行われる拝殿の前で待つことにする。
朝御饌祭
神職の方々が拝殿に歩いてこられ、
先ほど見学した大鼕が鳴らされる。
まずは大祓詞奏上、祝詞奏上。
少しですが撮影させてもらったので、声の重なりをぜひ聴いてみてください。
そして神楽奉納。
太鼓と笛、そして巫女舞。

こちらも少しですが、動画でどうぞ。
誰かが見ているから、ではなく、仮に誰も見に来る人がいなくても、
毎日朝と夕方に神様に向かって言葉を捧げること。舞いを舞うこと、太鼓や笛を鳴らすこと。
ここではそうして、目に見えるものだけでなく、形のないものまでも、脈々と受け継がれているのだな、と思った。
宿泊先の宿でも、毎晩民謡ショーが行われている、と前回その様子を紹介した。
神様に捧げる祭典と民謡ショーを並べるのは、不謹慎に思う方もいるかもしれないが、
音楽を作ったり、人前で演奏をしたりする身として、毎日奏じ、舞い、鳴らす人々、毎日唄い、踊り、奏でる人々に、尊敬の念を抱かずにいられない。
そして、古来から人がさまざまな場面で、用途で、音を鳴らしてきたこと。声で、歌で、祈りを捧げてきたこと。救われてきたこと。共に生きてきたことを想った。

神楽奉納のあと、境内末社巡拝が行われて、朝御饌祭は終了となる。
海のほうへ、来た道を戻り、神社を後にした。

山陰最古の灯台へ
美保神社から、車でまた海に沿って坂道を登ること約5分。
広々とした駐車場に着いた。
いよいよ島根半島の東端、地蔵崎の先端にある美保関灯台へ。

ここ地蔵崎付近は、大山隠岐国立公園に含まれている。
島の先端ならではの眺望で、雄大な日本海が広がっていた。
少し坂道を歩いた先に、灯台があった。

明治31年(1898年)にフランス人技師による設計と指導の元、地元の石工であった寺本常太郎さんという方が施工。
当初は、地蔵崎灯台という名前だったが、昭和10年(1935年)に美保関灯台になった。
昭和 37年(1962年)以降は無人化され、今日に至っているとのこと。

国の重要文化財に指定されている他、「世界灯台100選」や「日本の灯台50選」にも選ばれ、Aランクの保存灯台(明治時代に建設された現役の灯台の中で、特に歴史的・文化財的価値が高いものを海上保安庁が選んで、保存処置しているもの)となっている。
海と鉄
少し降りたところに、展望デッキがあった。

美保関事件(昭和2年8月24日に大日本帝国海軍で夜間演習中に起こった艦艇の多重衝突事故)についての記念碑も設置されていた。

沖之御前と地之御前の遥拝所。

海は、漁師が海の恵みをいただいて、持ち帰ってきてくれるだけでなく、
海上交通により日本各地の物資が行き交い、諸外国との貿易も行われる。
戦争となれば、戦艦が海を越えていく。
たたら師たちが作り上げた鉄が、人々の暮らしを向上させ、豊かにした。
と同時に、刀や大砲など、武士たちの戦争の道具にも使われた。
戦艦には約6万〜7万トン程度の剛鉄(鋼)が使われたらしいので、たたら製鉄が行われた時代から、さらなる技術の躍進があったことは言うまでもない。
今日も、日々進化していく技術で、何を作り、どう使うか。
何を残し、何を受け継いでいくのか。
すべて人の手に委ねられている。
次回につづきます
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