【第1回】警察はなぜ動かないのか──法と制度から見る不作為の構造(法は、誰のために)
警察不作為や警察の対応不備はなぜ起きるのか。法律・組織・権力構造の観点から、警察が動かない理由と初動対応問題を整理し、個人責任では捉えきれない構造を解説します。
── 助けを求めた声は、なぜ届かなかったのか
はじめに
「警察に相談したのに、何もしてもらえなかった」
そういう言葉を、あなたも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。あるいは、自分自身がそう感じたことがあるかもしれません。
ストーカーの被害を訴えたのに「証拠がない」と言われた。家庭内の暴力を相談したのに「家庭の問題ですから」と返された。何度も通報したのに、動いてもらえないままに最悪の事態が起きた──。
こうした出来事が報道されるたびに、「なぜ警察は動かなかったのか」という問いが社会に広がります。担当した警察官への批判が集まり、謝罪会見が開かれ、そしてやがて次のニュースに流れていく。
でも、それで何かが変わったでしょうか。
この記事では、警察の不作為を「誰か一人の怠慢や悪意」の問題として扱いません。個人を責めることで終わらせることが、問題の本質を見えにくくするからです。
代わりに、法律・制度・組織・心理・データ・社会環境というさまざまな角度から、「なぜそれが起きるのか」を一緒に考えていきます。
この問いは、あなた自身の問いでもあります。
第1章:問題設定と分析枠組み
──「何もしなかった」という行為の重さ
記憶に新しい方もいらっしゃるかもしれませんが、2024年末〜2025年4月、神奈川県川崎市でストーカー相談をしていた女性が元交際相手に殺害された事件が発生しました。
県警に計9回の通報があったにもかかわらず危険性が過小評価され、殺害を防げなかった警察の対応について、2025年9月、神奈川県警は自らの不備を認める検証結果を公表しました。
しかしこの問題は、特定の地域や特定の人に限られた出来事ではありません。同じ構造は以前にも繰り返されており、今この瞬間にも、どこかで誰かが同じ状況に置かれている可能性があります。だからこそ、この問題を社会全体の課題として考えることが、一人ひとりの安全に直結しています。
1-1 「不作為」を構造として定義する
「警察不作為」という言葉は、ニュースで目にすることが増えましたが、その意味は必ずしも一致して使われているわけではありません。
本稿では、警察不作為を「個別の担当者の怠慢や判断ミス」としてではなく、「一定の条件のもとで繰り返し発生する構造的な現象」として定義します。
具体的には、以下のような場面を対象として考えます。
被害の申告・相談を受けたにもかかわらず、適切な保護・捜査に至らなかった
危険の予兆が認識できたにもかかわらず、事前の介入が行われなかった
制度・通達(※)上は対応が求められているにもかかわらず、運用段階で機能しなかった
対象領域は、DV・ストーカーなどの人身安全事案を中心としつつ、交通取締りや組織内部の不適切対応なども比較対象として取り上げます。
(※)通達(つうたつ)
行政機関や組織の上級職が、下級機関や所属職員に対し、職務上の命令、法令の解釈、運用方針などを公式に伝える文書のこと。単なる情報共有(通知)とは異なり、指示や強制力を伴うのが特徴で、社内方針の変更や法令の運用指針として広く使われる。
1-2 一つの事案が照らし出す「社会の問題」
2021年、北海道で起きたストーカー事件。被害者は複数回警察に相談していました。最終的に命を落としたのは、加害者の手によるものでした。この事件は大きく報道されましたが、同様の構造は以前にも繰り返されていました。
「なぜ動かなかったのか」という問いは、個人への問いではなく、システムへの問いです。
一つの事案を詳細に見ることで、そこに共通する構造が浮かび上がります。本稿は、その構造を丁寧に解きほぐすことを目的としています。
1-3 この記事が使う「分析の5つの層」
複雑な問題を整理するために、本稿では以下の5つの層から分析を行います。
制度設計
法律や通達は、誰を想定して作られているか組織構造
組織の評価・文化・リソースが行動をどう規定するか心理・行動
個人の認知・バイアス・感情がどう影響するか情報・データ
何が記録され、何が見えなくなっているか社会・環境
メディア・世論・文化が問題をどう形成するか
このどれか一つだけで問題を語ることは、「部分だけを見て全体を語る」ことになります。
1-4 私たちが警察に何を求め、警察は何を引き受けているのか
日本の警察は、犯罪の捜査・予防にとどまらず、自殺防止、行方不明者の捜索、地域の見守りなど、きわめて幅広い役割を期待されています。「困ったら警察に」という言葉が示すように、社会の「最後の受け皿」として機能することを求められている側面もあります。
一方で、その法的権限は明確に限界が定められており、何でもできるわけではありません。この「社会的期待」と「制度的権限」のあいだのギャップ自体が、不作為問題の根本にある緊張として存在しています。
この章で問い直したいのは、「警察に何かをしてもらえなかった」という経験の背景に、私たちが意識していなかった前提や矛盾がないか、ということです。
第2章:法制度・制度設計上の前提
──「法律はある」、でも届かない理由
「なぜ動かないのか」という正当な怒りを受け止めきれているのか、制度の限界を構造的に紐解いていきます。
2-1 作為義務の法的構造
警察官が「動かなければならない」義務は、どのような条件のもとで生まれるのでしょうか。
判例の積み重ねから見えてくるのは、警察官に「動く義務」が生じるかどうかは、危険の切迫性・予見可能性・行動の有効性・対応しないことの著しい不当性──これらを総合して判断される、ということです。一言で言えば、「明らかに動くべき状況だったか」が問われます。
生命・身体等への具体的かつ切迫した危害が存在する(または予見できる)
警察がその状況を認識し、介入の必要性が認められる
警察権の行使により、被害の回避が可能であった
対応しなかったことが、「それはさすがにおかしい」と社会的に言わざるをえないレベルである(裁量の逸脱)
これらが揃わない場合、「動かなかった」ことは必ずしも法的に違法とは言えない、というのが現行の解釈です(詳しくは8-2で後述)。
問題はここにあります。被害者にとっては「十分に危険だ」と感じている状況が、法的な「作為義務の発生」要件を満たしていないと判断されることがある。このズレが、制度への不信感の根源の一つです。
【補足】
国家賠償法1条は、公務員の「違法な公権力の行使」に対して国の賠償責任を定めています。しかし「不作為」が違法と認定されるハードルは高く、実際の訴訟でも多くの場合、請求が棄却されています。
2-2 「民事不介入」という言葉の重さと誤用
「これは民事の問題ですから」──この言葉を、相談窓口で言われた経験のある人は少なくありません。
「民事不介入」とは、お金の貸し借りや土地の境界争いなど、個人間で解決すべき問題に警察が踏み込まないという考え方です。
それ自体には合理的な理由があります。権力は、使い方を誤れば別の誰かを傷つける。だからこそ「民事には踏み込まない」という原則は意味を持っています。
しかし問題は、「これは民事か、刑事か」の判断が現場に委ねられていることです。その線引きが曖昧なとき、「民事不介入」という言葉は、判断を回避するための盾に変わります。
しかし実態として、この原則は「判断を回避するための言葉」として使われることがあります。
DV(家庭内暴力)は長年「夫婦間の問題」として扱われてきましたが、2001年のDV防止法制定以降は明確に刑事事件として対応が求められています。にもかかわらず、「夫婦の問題だから」という対応が続いた事例は後を絶ちません。
民事不介入の「形式的な適用」と「実態に即した適用」の乖離は、今も現場に根強く残っている問題です。
2-3 「まだ何も起きていない」──事前介入を阻む制度構造
法律は、多くの場合、「すでに起きた被害」に対して動く設計になっています。しかし被害者の視点からすれば、「何かが起きる前に守ってほしい」というのが切実な願いです。
予防的介入の限界は、制度設計上の根本的な課題です。
ストーカー規制法では、つきまとい等の「警告」に加え、公安委員会による「禁止命令等」が可能です。法律は改正を重ねてきました。2016年の改正で警告を経ない「緊急禁止命令」が可能となり、2021年の改正でGPS等を用いた位置情報の無断取得が規制対象になりました。
さらに2024年施行の改正DV防止法では「接近禁止命令」の対象が精神的暴力にも拡大されました。
制度の設計としては、「事前に止める」方向へ確実に進んでいます。にもかかわらず被害が防げない事例が続くのはなぜか。答えの一つは、「どの時点でその権限を使うか」という現場の判断の問題です。
強い道具があっても、いつ使うかを決める人間の判断が変わらなければ、制度は宝の持ち腐れになります。
2-4 この制度は、誰を想定して作られたのか
制度設計における根本的な問いは、「誰を想定してこの制度は作られたか」です。
多くの法律は、「ある程度の情報収集能力・言語能力・行動力を持つ成人」を前提として設計されています。しかし実際の被害者は、そのような前提条件を満たさない人を多く含みます。
精神的・身体的障害のある人
日本語が第一言語でない人
経済的に余裕がなく何度も相談に行けない人
加害者との関係性により孤立させられている人
制度が「想定していなかった人」は、制度の網からこぼれ落ちます。これは担当者の悪意ではなく、設計段階の盲点です。しかし結果として、最も守られるべき人が最も守られないという逆説が生まれます。
「障害者差別解消法」「外国人被害者支援」など個別の対応策は存在しますが、それが警察実務と有機的に連携できているかどうかは別問題で、様々な課題が山積しています。
第3章:行政組織としての警察の構造
──現場の警察官は、何と闘っているのか
警察官の行動は、その個人の意志や判断だけで決まるわけではありません。組織の構造・評価の仕組み・現場の環境が、個人の判断に大きな影響を与えています。この章では、その「環境」の側から問題を見ていきます。
3-1 人手も予算も足りない現実
「人員が足りない」という話は、警察組織に限った問題ではありません。しかし、警察業務の特殊性はその深刻さを増幅させます。
警察庁の統計によれば、110番通報件数は年間約900万件超で推移しており(2024年警察庁統計)、一方で警察官の定員は増加幅が限られています。サイバー犯罪・特殊詐欺など新たな分野への対応が求められるなかで、人員はたえず「引き伸ばされた」状態に置かれています。
地方の警察署では、夜間の当直が数名体制のこともあります。そのなかで複数の案件が同時に入れば、「すべてに全力で対応する」ことは物理的に不可能です。
リソースの制約は、選択を強いる。 その「選択」の結果として、軽視された側の被害者が生まれます。これは個人の問題ではなく、構造の問題です。
3-2 「検挙率」が生み出すインセンティブの歪み
警察組織の評価において長らく重視されてきた指標の一つが、検挙率(犯罪として認知した件数に対する検挙件数の割合)です。
数字で評価される組織は、数字が出やすいものを優先します。それは組織として「合理的」な行動ですが、被害者からすれば理不尽な現実になります。
証明しにくい事案・時間のかかる事案が後回しになるのは、担当者が怠けているからではなく、そういう行動を促す圧力が構造として存在するからです。
「事件化」すれば検挙するか未解決になるかのリスクを負います。「事件化しない」という判断は、組織評価の観点からは「安全な選択」になります。つまり、被害者にとっての不利益が、組織にとっての合理的な判断と一致しうるという逆転が起きています。
また、「認知件数を増やすと検挙率が下がる」という統計的な論理が、現場での「受理・立件の渋り」を生むことも指摘されています。
3-3 「前例どおり」が守るもの──組織文化と責任回避
組織として動く以上、判断には常に「責任」が伴います。前例に従った判断が失敗しても責任は「制度の限界」に帰せられますが、新しい判断をして失敗すれば「個人の判断ミス」として責任を問われます。
この非対称な責任構造が、前例主義・保守的判断を組織文化として固定化させます。
「どうせ言っても変わらない」と被害者が諦める一方で、現場の警察官も「マニュアル通りにやるしかない」という状況に置かれていることがあります。双方が「変えられない」と思っている構造が、不作為を再生産します。
3-4 判断を迫られる現場で、人はどう動くか
警察官は、多くの場合、不完全な情報・時間的制約・感情的に高ぶった当事者が存在する状況での判断を求められます。
行動心理学的には、このような状況では認知負荷(情報処理の限界による判断疲弊)が高まり、人間は「最もリスクが少ない選択」へと引き寄せられます。
その「最もリスクが少ない選択」が、組織評価の観点からは「事件化しない」ことである場合、構造が問題を生み出します。
このように、警察官個人の倫理観や能力の問題ではなく、「そういう判断をせざるを得ない環境」を設計してしまっているという視点は、この問題を本質的に考える上で大変重要です。以降の章でも関わってきます。
第4章:権力構造と監察・統制の限界
──「訴えても無駄だ」と思わせる仕組み
勇気を振り絞って相談の扉を叩いたのに、「無駄だった」と感じる経験は、当事者の心に深い傷を残します。
その怒りや悲しみは、まったく正当なものです。この章では、そうした無力感がなぜ生まれるのかを、権力の構造という視点から整理していきます。
4-1 市民と警察のあいだにある「非対称性」
警察と市民の関係は、対等ではありません。これは批判ではなく、制度の前提です。
警察は、逮捕・捜索・差し押さえという強制的な権力を持っています。市民にはその権力への抗抗手段が限られており、情報へのアクセス・専門的な手続きの知識・交渉力において、「構造的な格差」が存在します。
この非対称性は、被害者が「うまく伝えられなかった」という自己責任感につながることがあります。しかし問題は、「うまく伝えられない立場の人」が最も保護を必要としている、という逆説です。
【補足:もう一つの側面】
警察が「動かない」背景には、「動きすぎること」への制約もあります。権力は必要最小限の範囲で使わなければならない──これは憲法的な原則であり、濫用を防ぐための大切なブレーキです。
「なぜ踏み込んでくれないのか」という怒りと、「なぜそこまで踏み込まれるのか」という恐れ。その両方が同時に存在しているのが、警察権力の難しさです。
4-2 「内部で調べる」ことの限界──監察・苦情制度の構造
日本では、警察への苦情は主に都道府県の公安委員会や各警察本部の監察部門に申し出る仕組みがあります。しかし制度的に、監察は警察組織の内部に置かれており、外部から独立した調査機関ではありません。
イギリスの「独立警察苦情委員会(IOPC)」やアメリカの各地における「市民監察委員会」のような、外部から独立した監視機関の仕組みは、日本には十分に整備されていません。
「自分たちが自分たちを調べる」構造が持つ限界は、警察組織に限らず、あらゆる権力組織に共通する問題です。これは悪意の話ではなく、構造的な監視の失敗です。
4-3 誤りが修正されにくい理由
組織は、自らの誤りを認めることに対して心理的・制度的な抵抗を持ちます。不作為が「問題なかった」と評価されると、それが前例となり、次の不作為を正当化する根拠になります。
また、不作為の多くは「何かをしなかった」という事実であり、文書化・可視化が難しい性質を持っています。「言った」「言わなかった」という水掛け論になりやすく、被害者が証明責任を負う構造が続いています。
制度があり、組織があり、法律がある。それでも、助けを求めた人が守られなかった。
ここまで見てきたのは、「なぜ動かないのか」という問いへの、制度と組織からの答えでした。しかし、もう一つの問いがあります。その構造の中に置かれた人は、いったい何を感じ、何をあきらめてきたのか。
次回は、数字や制度から少し離れて、「助けを求めた側」の経験に耳を傾けます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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