答えを書けば、正解なの?SNSは答えをだすことが正解じゃない!?
SNSを見ていると、
「それは、こうすればいいですよ」
「私なら、こうします」
「そもそも、その考え方が間違っています」
そんなコメントを見かけることがあります。
たしかに、言っていることは正しい。
むしろ、役に立つことを言っているのかもしれない。
でも――
なぜか、読んでいてモヤッとする。
そんなこと、ありませんか?
もしかすると、それは「答え」の問題ではなく、
「関係性」の問題なのかもしれません。
相手がまだ自分のことを知らない。
こちらも相手のことを、ほとんど知らない。
そんな関係なのに、いきなり専門家のように答えを出してしまう。
本人は親切のつもりでも、
相手からすれば、
「いや、答えを求めてないんだけど……」
なのかもしれません。
SNSの投稿には、
「解決してほしい問い」と、
「ただ誰かに受け止めてほしい問い」があります。
その違いに気づかないまま、
すべての問いに「正解」を返そうとする。
そこに、人間関係の小さな落とし穴があります。
もしかしたら私たちは、
「正しいことを言う」ことに慣れすぎて、
「相手の言葉を受け取る」ことを忘れているのかもしれません。
今日は、そんなSNSの「投稿トラップ」について、
ある女性二人の何気ない会話から考えてみます。
答えを書けば、正解なの?
「ねぇ、聞いてよ」
朝のカフェで、真由がスマホをテーブルに置いた。
向かいに座っていた美香が、コーヒーをひと口飲む。
「どうしたの?」
「昨日、ある人の投稿を読んでたんだけどね。コメント欄がすごくて」
「すごいって?」
「なんていうか……みんな、先生みたいなの」
美香が笑った。
「先生?」
「うん。投稿した人がちょっと悩みを書いてるだけなのに、『それはこうしたほうがいいですよ』『私ならこうします』『そもそも考え方が間違っています』って」
「あるある」
「しかも、その人と仲がいいわけでもないのに」
真由はスマホを指でスクロールしながら続けた。
「なんで、そんなに上から言えるんだろうって思っちゃって」
美香は少し考えてから、
「そういえば、夏休みの宿題で残りやすいものって何だと思う?」
「読書感想文?」
「正解」
「やっぱり?」
「この前、読書感想文についての投稿を見たの。そこに『子どもの感想文って、すごく上から目線で書いてることがある』って話があって」
「子どもが?」
「そう。『この本はこういうところがダメだと思いました』とか、『作者はこうするべきです』とか」
真由が吹き出した。
「小学生が評論家みたいになるの?」
「そうなの。もちろん、自由な感想だから悪いわけじゃない。でもね、ちょっと面白いなと思って」
「何が?」
「SNSでも、同じことが起きてる気がするの」
真由の手が止まった。
「……ああ」
「投稿した人は、ただ自分の気持ちを書いただけなのに、コメントする側が勝手に『問題』に変えちゃうの」
「問題に?」
「うん」
美香はカップを置いた。
「たとえば、『最近、仕事がうまくいかなくて悩んでます』って投稿があったとするでしょ」
「うん」
「そこに『まずは朝5時に起きましょう』『仕事の優先順位を見直しましょう』『私の場合はこうしました』って、解決策を並べる」
「……いるね」
「でも、その人は『解決してください』なんて一言も言ってない」
「たしかに」
「ただ、『ちょっと聞いてほしい』だったのかもしれない」
真由はスマホの画面を見つめた。
「そう考えると、答えてるのにズレてるんだ」
「そうなの」
「でもさ、悩みを書いてあったら、答えてあげたくならない?」
「なるなる」
美香も笑った。
「私も昔はそうだった」
「昔は?」
「投稿を見たら、すぐに『こうすればいいのに』って思ってた」
「今は?」
「まず、『この人は何を求めてるんだろう?』って考えるようになった」
真由は少し黙った。
「それ、大事だね」
「SNSって、質問箱じゃないからね」
「うん」
「『どうすればいいですか?』って明確に聞かれているなら、答えればいい。でも、『今日はこんなことがあった』とか、『こんなことで悩んでる』っていう投稿まで、全部『質問』として受け取る必要はない」
「なるほど」
真由はコーヒーを飲んだ。
「じゃあ、コメントって何なんだろう?」
美香は少し笑って、
「私は、会話の入口だと思ってる」
「会話の入口?」
「そう。答えを出す場所じゃなくて、『私はあなたの話をちゃんと受け取りました』って伝える場所」
真由は、
「ああ……」
と、小さく声を漏らした。
「それなら、『大変だったね』でもいいし、『それ、私も似た経験ある』でもいい」
「うん」
「『そういう気持ちになること、あるよね』でもいい」
「うん」
「場合によっては、答えないほうがいいことだってある」
真由は目を丸くした。
「答えないほうがいい?」
「だって、人間関係って『正しい答え』だけでできてないから」
その言葉に、真由は少し考え込んだ。
「……そうか」
「むしろ、関係性ができてないときほど、答えを急がないほうがいいんじゃないかな」
「どういうこと?」
「相手からすると、『あなた誰?』って状態かもしれないでしょ」
「確かに」
「そんな状態で、いきなり専門家みたいに語られたら……」
真由が笑った。
「そりゃ、ちょっとウザいかも」
「でしょ?」
「しかも本人は、親切のつもりなんだろうね」
「そこが難しいところなのよ」
美香は苦笑した。
「悪意がないから、自分でも気づきにくい」
「なるほど……」
「テレビとかニュースとかを見てると、誰かの発言に対して、専門家がすぐ解説するじゃない?」
「うん」
「だから私たちも、何か問いがあったら『答える人』になろうとする癖がついてるのかもしれない」
「有識者コメントみたいな?」
「そうそう」
二人は顔を見合わせて笑った。
「SNSのコメント欄に、突然、第三者の有識者が現れる」
「しかも本人は頼んでないのに」
「いるいる」
笑ったあと、真由はスマホを伏せた。
「でも……これって、結構怖いね」
「何が?」
「自分では親切にしてるつもりなのに、相手との距離を遠ざけてる可能性があるってこと」
美香は静かに頷いた。
「そうなのよ」
「しかも、一回ならまだしも、毎回やったら……」
「『この人と話すと疲れる』になっちゃう」
「怖っ」
真由が苦笑する。
「じゃあ、コメントするときに何を考えればいいんだろう?」
美香は少し考えてから言った。
「『この人は何を聞いているんだろう?』じゃなくて」
「うん」
「『この人は、今どんな気持ちでこれを書いたんだろう?』って考える」
真由は黙って頷いた。
「質問の答えを探すんじゃなくて、投稿した人の気持ちを探す……」
「そう」
「それなら、同じ『悩み』でもコメントが変わるね」
「全然変わると思う」
「解決策じゃなくて、共感だったり、経験だったり、ただ受け止めるだけだったり」
「そういうこと」
しばらく二人の間に、静かな時間が流れた。
やがて真由がスマホを手に取った。
「ねぇ」
「なに?」
「じゃあ、SNSって『答え合わせ』じゃないんだね」
美香が笑った。
「うん」
「人と人が出会う場所だから……」
「うん」
「問題に正解するより、相手との距離を間違えないことのほうが大切なのかもしれない」
美香は頷いた。
「それ、今日の読書感想文に書いたら?」
「また上から目線になるじゃん」
二人は声を上げて笑った。
窓の外では、夏の朝が少しずつ動き始めていた。
その日から真由は、SNSでコメントを書く前に、一度だけ立ち止まるようになった。
「この人は、答えが欲しいのかな?」
それとも、
「ただ、誰かに受け取ってほしいのかな?」
その違いを考えるだけで、コメントの言葉が少し変わった。
そして不思議なことに。
答えを減らしたほうが、会話が続くことが増えた。
正しいことを言うよりも。
相手の言葉を受け取る。
その小さな違いが、
「正解を言える人」ではなく、
「また話したくなる人」をつくっていくのかもしれない。
今日の気付き
「答える」より先に、「受け取る」
SNSで誰かが悩みを書いていると、
「こうすればいい」
「それは間違っている」
「私の経験ではこうだった」
つい、答えたくなる。
でも、その投稿は本当に
「答えをください」という意味だったのでしょうか?
もしかしたら、
「今日はちょっと聞いてほしい」
「誰かに気持ちを分かってほしい」
「同じ経験をした人と話したい」
ただ、それだけだったのかもしれません。
だからコメントするときは、
「何を答えよう?」ではなく、
「この人は、どんな気持ちでこの投稿を書いたんだろう?」
と、一度考えてみる。
それだけで、言葉の選び方は変わります。
関係性ができていない相手に、
いきなり正論を届けても、
「正しい人」にはなれても、
「話したい人」にはなれない。
人間関係は、正解を積み重ねてできるものではなく、
「ちゃんと受け取ってもらえた」
という小さな安心の積み重ねで
できていくものなのかもしれません。
そして、これはSNSだけの話ではありません。
家族にも。
職場にも。
友人にも。
誰かが悩みを話したとき、
すぐに解決しようとする前に、
「そうだったんだね」
と受け取ってみる。
答えを出さないことも、
立派なコミュニケーション。
問題に答えることが、
いつも人間関係の正解とは限らない。
今日から少しだけ、
「正しいコメント」より
「また話したくなるコメント」を
意識してみませんか?

