ありがとうは難のあとに咲く
毎日あるものほど、
私たちは見えなくなります。
水が出ること。
電気がつくこと。
「おはよう」と言ってくれる人がいること。
それは、なくなって初めて気付くものなのかもしれません。
「ありがとう」は、
特別な出来事のためだけの言葉ではなく、
あたり前だと思っていた日常を、
もう一度見つめ直したときに生まれる言葉。
今日はそんな、
心の奥に静かに灯がともる物語です。
ありがとうは、難のあとに咲く
「また水が出ない。」
朝六時。
蛇口をひねっても、何も音がしない。
昨日の台風で、この地区は断水になっていた。
仕方なく、近所の給水車へ向かう。
長い列。
重たいポリタンク。
照り返す夏の日差し。
たった一杯の水が、こんなにも重いなんて。
家へ戻り、コップに少しだけ水を注ぐ。
誰も何も言わない。
家族全員が、
その透明な一杯を見つめていた。
「飲んでいい?」
幼い娘が、小さな声で聞く。
母は笑ってうなずいた。
娘は両手でコップを持ち、
ひと口だけ飲んだ。
「おいしい。」
ただ、それだけ。
いつもなら、
ジュースじゃないと嫌だと言う子だった。
その一言で、
部屋の空気が静かに変わった。
翌日。
ようやく水道が復旧した。
蛇口をひねる。
勢いよく流れ出る水。
昨日まで聞こえなかった音が、
今日は音楽みたいに響いた。
母は何も言わず、
流れる水に手を当てた。
冷たい。
ただ、それだけで胸がいっぱいになる。
その日から数週間。
また忙しい毎日が始まった。
蛇口をひねれば水が出る。
スイッチを押せば電気がつく。
スマホを開けば誰かとつながる。
その便利さは、
少しずつ景色になっていった。
ある夜。
娘が学校の宿題で、
「ありがとうを書きましょう」と言われた。
鉛筆を止めて聞く。
「お母さん、『ありがとう』って何?」
母は少し考えたあと、
静かに蛇口をひねった。
透明な水が流れる。
「この音、聞こえる?」
娘は首をかしげる。
「うん。」
「お母さんね。
この音が聞こえなかった日があるの。」
それだけ言って、
また蛇口を閉めた。
娘は何も言わなかった。
翌朝。
学校へ行く前に、
娘は一人で洗面所へ向かった。
蛇口をひねる。
流れる水を見つめる。
そして、小さく笑ってつぶやいた。
「今日もいてくれて、ありがとう。」
誰に教わったわけでもない。
難があったから、
見えなかったものが見えた。
失いかけたから、
そこにいたことに気付けた。
"ありがとう"は、
特別な奇跡に向ける言葉じゃない。
ずっとそばにいてくれたものを、
もう一度見つけたときに、
心の中で静かに咲く花なのかもしれない。
