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現実原則と芸術について

現実原則というのは、私たちの魂の3段階くらい下を通底しているのかもしれない。
現実原則というのは、主に物質原則と言い換えても同じかもしれない。

現実原則というのは、たとえば大学受験界における偏差値ヒエラルキーみたいなものに端的に現れるのかもしれない。
そこでの勝利者はしばし官僚になり、私たちに現実原則を押しつける。

しかし、現実原則とは、たとえば、同じある現実的諸成果を得るのに、御三家大名であれば3の労力で、譜代大名であれば12の労力で済むところを、外様大名であれば56の労力が要る不平等の理由を説明できない。
いや、そういう不平等も、結局は現実原則が解決するのだから…
確かに、私たち個人の抱える問題は、来世を考慮に入れなければ、死んだ瞬間に全てが終わってしまうのかもしれない。
救いの少ない外様大名の置かれてる地域には、その救いの少なさを補完する形でキリスト教が布教されたり、終いには、そのあたりを発端に革命が起きた。(補記:誤解を招きそうなので書き加えると、キリスト教の普及が維新を押し進めたのではなく、明治の革命の原動力は国学系の尊皇攘夷という思想になります)


僕個人は、別に政治革命に特別な期待を持ってるわけではとくにない。
明治維新の当事者たちの誰かの言葉に「結局、入れ物が代わったにすぎない」という慨嘆があり、入れ物が代わったのは時代の必然でも、政変のようなものも、結局、そういう慨嘆しか生まない場合もあるということだ。
僕の脳みそは、投票所に行くには、あまりにぐにょぐにょすぎて、ごにょごにょなのである。

物質生活的な改善に、ある程度望みが持てる人生境遇であれば、それでも私たちは、ある程度現実原則に則った生活が可能だろう。
カタログや、ショッピングや、レジャーは楽しいものだ。
ところが、日本では、バブル経済の崩壊を機にカタログやレジャーの楽しみ…いや、そもそもお金が取り上げられた。
90年代くらいは、それでもまだ、100円ショップという慰めがあったりしたが、その後の危機は深刻で、親たちは、中学生や小学生までも塾漬けにして現実原則一色にした。その反動で、遊びといえばゲームとスマホしかないような世界ができてしまった。

こうした現実原則と対峙する形で芸術家の多くは辛酸をなめてるようだ。といっても、現世で辛酸を舐めてるのは、もちろん芸術家だけというわけでは全然ない。

芸術家はなぜ辛酸をなめるのか(もう一度いっときますけど、現世で辛酸を舐めているのは芸術家だけだと思ってるわけではありません)それは、芸術は、現実物質界を素材としながらも、現実原則をこれを超えようとする試みだからではないでしょうか?
いや、超えるというのが不遜であれば、これの外に出ようとする試みとでもいいましょうか…
たとえば、ゴッホの描いた水車小屋の絵は、もしタイムマシンに乗って、その時代のその場所へ行って肉眼で眺めれば、意外とつまらないものかもしれません。
そうすると、絵を描くという行為は、ほんのわずかでしかなかったとしても現実原則を超えようとする試みなのかもしれません。
ジョンレノンはビートルズやソロ活動を通して様々な楽曲を残してくれましたが銃弾に倒れてしまいました。
画家の草間彌生さんは、もう40年以上も精神病院を棲み処としています。
わたしは、どうしてこれらの功績ある人々が不遇に遭い、これといった功績もない、ごくフツーの人々がフランス旅行を満喫し、安穏を享受しているのか理解できませんでした。
でも芸術のこころみがしばし現実原則と対峙する格好になっているとすれば、現実原則的な政治風俗とはマッチングがわるいでしょうから、これの好遇をうけるのは、ごく一部の例外なのかもしれません。
一方の芸術家も現実原則(的な生活)に対して、アリとキリギリスの寓話にでてくるキリギリスに似たような負い目のようなものを、その心のどこかに持ってる場合が多いのかもしれません。
でも、そこで何故、冷ややかな目で見られることの多いキリギリスをわざわざ選んでしまうのかというのは、これは芸術家のカルマとでもいうものでしかないのかもしれません。

(あとがき)前回の記事で、次回は余程のことがない限り、前回の(noteを始めて6ヶ月経ちました)記事の続きを書くとはなしましたが、なにをどうこねくりまわしても上手くまとまらなかったため、違うことを書いてしまいました。これが今日現在わたしが考えていることであります。
キリギリスにはなり切れない弱いわたしの現実原則に対する怨念のようなものがこれを書かせたとでも考えればはなしのつじつまが合うかもしれません。あるいはこのような駄文な解説をつけるべきでは、そもそもないのかもしれません。
今までだいたい月平均4投稿くらいしてきましたが、年末年始は出費増が予想されるため、キリギリスよりはアリにならなければいけない雰囲気濃厚で、多分、年内の投稿はこれが最後になるかもしれません。
はじめてわたしの記事を読まれる方には全然どーでもいいあとがきになってしまいました。
はじめての方も、いつも読んでくださってる方も、御一読ありがとうございました。

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