SNSとAIの時代は文化人を消滅させた?
70を過ぎた母の口からは、たまに文化人と思しき名の人が出てくる
サルトルだのボーボワールだの、三島由紀夫だの草間彌生に横尾忠則と言った人だ
父母は高卒の人だったが、父の本棚にも、サルトルの『嘔吐』だとか、ドストエフスキーの『未成年』などが収まってた
父とそれらについてはなす機会はなかったのだが
見栄で買ったわけでは必ずしもないようだ
それはともかく
SNSができた、リーマンショックあたり以降と
2000年より前とで、全然違うことのひとつは
SNS以降は、「文化人」という幻想がかなり崩れたことではないかと思う
「文化」などは、こむずかしい虚飾でしかないのだから、そんなものが衰退するのは結構!結構!という意見もあるとは思うが
SNS時代は、人々にフラストレーションがたまっていて、しかも、その解決策(?)がかなり短絡的なところへ求められてしまっているような気がする
「文化人」という虚飾は、もう○○砲などのパパラッチ機関と監視社会が相まって、ある幻想を保ちようがない状態とも言える
「文化」という化けの皮(?)が剝がれるのは、一概に歓迎してよいのか何とも言えない
人間から、「文化」という虚飾をとってしまうと
「食」と「性」だけになってしまわないか?
いや、「食」と「性」も人間には重要なのは言うまでもないけど
今日、その「食」は添加物や保存料はさらに増えてるようだし
「性」は相手に恵まれなければ、スマホのような小さい画面で画像や動画を見て自慰するだけという貧弱なものになっている
マンガもエロ画像(動画)もスマホサイズで、これはどう考えても、昭和以下だ
「食」と「性」くらいしかないシンプルな生活も
多分、ブッシュマン文明くらいシンプルな社会構造だと
そんなに問題も起こらないのかもしれないが
テクノロジーの進展がとまらないストレス社会で
貧弱な「食」と「性」のみがあって
「文化」など信じるに足りぬということになればどうなるのだろう
僕も、高額な月額AIサブスクというブースターを手に入れれば
もしかしたら売れるブログが簡単につくれるかもなどとチラっと考えたりする
しかし、AIのおかげ7割の成果物が、果たして「文化(人)」と形容されることはあるのだろうか?
サルトルだとか三島由紀夫だとか、そういう文化人は人々にコンプレックスを与えた
いや、無論、何よりも、サルトルや三島由紀夫がまずコンプレックスに苛まれた人なのは言うまでもないんだけど
コンプレックスがないと、人はジレンマに対し、短絡を起こすかもしれない
極端な例では、自分の観点から「要らなくね?」となった人は「殺してしまえ」(そこまで行かなくとも追い出してしまえ)と最悪なる場合もあるかもしれない
目立ちたい!となったとき、刑法罰確実なやり方を選択する
(文化などがこの殺人を防げたか?という殺人(介護疲れとか)も増えてるのも確かだけど)
そんなものは、まわりくどい虚飾なのだから、ないに越したことはないのだ
という意見もあると思うけど
あらゆる虚飾をはぎ取って、裸になった個人が、今日のような複雑な文明社会に自分の場所をつくれるのだろうか?
「裸」になった個人とは、一歩間違えば、猿とどう違うかわからないとも言える
いや、ブッシュマン文明では、それでも困らないかもしれないけど
パソコンにSNSにAIに管理社会・監視社会に「食」と「性」のみの「裸」の個人が生産的(?)に生存しうるのか?
多分、人類の虚飾は、どちらかといえば、引きはがされていくのだと思う
より「裸」になるのだろうという気がする
身体の痣を公開するというカミングアウトは増えるのだろう
しかし、都市文明下では、たとえば、渋谷とか歌舞伎町では
三島由紀夫とかサルトルとかの複雑から解放されて、より「裸」になった個人は
たとえば、身体を売ったり、座り込んで震えてるしかないのではないか?
渋谷とか東京などの都市文明下で、虚飾ナシの純粋に「裸」の個人が生存を築けるのだろうか?
戦後の焼野原ではない東京(都市文明)で
マッチ売りの少女に近い形でしか生存できないのでは?
(あとがき)
SNSやAIなどのテクノロジーの時代は、そこそこそれで良循環してる人と、そこからはじかれて居場所がない人の差が激しいんでしょうね
「消費」の熱狂から醒めた人の多くは、「生産」に頑張ることもできないというケースも増えてますね
それでも、生き延びようと足掻くもんだとは思いますけど
「裸の唄」こそが次の文化をつくると考えることもできるでしょうけど
「裸の唄」が、今日のような高度な文明に居場所を築けるのかまだよくわからないですね
「そういえば文化人って姿を消してしまったな」ふと思い立ち、このような文を書きました
今日はnoteを書くつもりなかったんですけど
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