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雨の日の女


高崎では8ミリ博覧会が形を変え、上映会形式のものとなる。主に若手の自主制作映画を撮っている監督を招聘して作品を上映していた。まだ8mmを撮っているころの山本政志(『KUMAKUSU』はどうなったんだ?)や、『初国知所之天皇』(LSDでぶっとんでいる)の原将人、現在も淡々と廃墟を撮り続けている関根博之(彼の初期作品、『キャベツたくさん食べなさい』の瑞々しさ!)、『風たちの午後』というか、いまは『三月のライオン』で有名な矢崎仁司、その他。
このころからすでに主宰者モギさんのゲストに対するきめ細かな対応は相当なもので、映画関係者に高崎にモギありの声が高まっていったようだ。
我らが上映集団は上映会と平行して音楽とのジョイントの頻度が増す。
前橋に現在もある老舗のライブハウス、『ガーシャ』でOMEGA POITやその他のグループとのイベントなどを行う。
30歳になる。このまま、この調子で人生を続けていていいものか迷う。
こんなことを思ったのはこの時だけだったなぁ。あとはなし崩し。
フレッド・フリス来日公演の前橋でのギグをOMEGA POINT、齋藤数馬氏が仕切る。その関連で前も書いたようにOMEGAとのコラボで映像を担当。
さらに前橋ガーシャでサボテンが初ライブ。ただしこの時は観ていない。
日本の音楽も混沌としてはいたが、いろいろ面白いバンドが出始めた時期である。

またこの年は、偉大な二本の映画を目にすることとなる。
『イレイザーヘッド』と『ブレードランナー』である。
この二本の映画はいままで最も多く回数を観た映画としてタルコフスキーの『ノスタルジア』とともに記憶される。
この年は『魔術としての映像』というメインタイトルのもと、半年で三回の上映会をまず行った。第一回は「メリエス、そしてダダ、シュルレアリスム」としてメリエスの短編3本、ルネ・クレールの『幕間』、そしてアルトーが脚本を書いたデュラックの『貝殻と僧侶』、マン・レイの『ひとで』。
二回目はコクトーをメインとしたセレクション、そしてラストがケネス・アンガーの作品だったと思う。
会場はその当時、町で一番大きな本屋さんの三階にあったギャラリーだった。
このギャラリーはいいスペースだったのだが、大きな天窓があり、それを黒いビニールで覆わなくてはならず、設営に時間がかるのが難点だった。
またなぜかロードレーサータイプの自転車を購入。軽井沢やら八ヶ岳まで車で持ち込み、乗り回していた。バブリーである。
わざわざ渋谷パルコにあった自転車屋さんまで行って購入したのだった。
この自転車は現在でも事務所に置いてある。

隣町にあった、メビウス童話館という喫茶店が閉店となり、そこのご主人が我が町にレストランを開いた。
ガストロノームという名の店で、西洋骨董と画商も営んでいたご主人だけあって、店内にはダリやコクトーのエッチングが飾られ、様々な国の料理が彼流にアレンジされて出されていた。
特に美味しかったのが牛タンのシチューで、シナモンが効いたソースが絶品だった。また、もともとは喫茶店を経営していたため珈琲が美味いのも嬉しかった。
このご主人の友人にはもと呼屋さんで、こちらは本格的な骨董屋さんもいた。もと呼屋さんだけあって、ミュージシャンがらみの商品も多く、ビリー・ジョエルのバックだとか、クラプトンのサインとかもあった。
我らがJAZZ喫茶、そうえんは駅の反対側に移り、2スクリーンの映画館に併設される格好となっていた。タウン誌の主催で高田渡、中川五郎、南正人などを呼んでコンサートなどが開かれる。そしてこの年、南正人氏はカンナビスで捕まる。彼に近かった東京方面のとある知り合い等は青くなり、一応、下着を用意したりする。
タウン誌の主催で町はずれの山の中腹にあるフィールドアスレチック場跡地で野外イヴェントが企画される。
ナガシマは野外ライヴのブッキングと映画上映を依頼される。
ブッキングについては不案内なため、OMEGA齋藤氏に依頼。突然段ボール、グンジョーガクレヨン、バサラ(OMEGAの別ユニット)、月琴を弾く男の人のグループ等が出演。
グンジョーガクレヨンのヴォーカルというかヴォイスの園田氏の白塗り、女物の着物にぐじゃぐじゃヘアーでのブトーに客が引きまくる。
バサラはこの時、女性ボーカルが入った3人編成で一番演劇ぽかったころ。戸川純の『玉姫様』が一部で絶賛されていた時期で、このボーカルの子も玉姫を名乗っていた。
映画は、ブニュエルの『アンダルシアの犬』と『黄金時代』の豪華2本立てを上映。
昼間のシンポジウムの目玉は加藤登紀子のダンナで当時自然食とかをやっていた、藤本敏夫氏だった。

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