「あらすじ感想文」はスマホが生んだのか
※本文の大半があらすじになる読書感想文は、スマホどころか黒電話の時代から存在する。「今どきの子はスマホのせいで感想文が書けない」という言説に、筋金入りのあらすじ感想文書きだった人間として物申す記事です。
義務教育を終えて何年経つのかとっくに数えるのもやめているわけだが、それでも夏休みが近いこの時期になると、Xなんかでは夏休みの課題などが俄然話題にのぼったりする。
私は読書感想文を書くのが心から苦手な子だった。
まず何を書けばいいのかわからない。登場人物が何をして、私はどんな感銘を受けたか。自分の感受性にどういう影響をあたえ、これから自分の人生にどう生かしていくか。そういった重苦しい決意を、年端も行かない少年少女にたかだか400字詰め原稿用紙2枚に納めろというのだ。今考えても中々無茶を仰るものである。
当然、「俺、バカだから何書いてんのかよくわかんねーけどよ、この本はおもしれーと思うぜ!」と億泰みたいなピュアな読解しかできないようなやつは、そんなこと言われたって困る以外の感情はない。このため「ハーヴェストが血管にアルコール注入してるのを見て、中学生の発想はこわいなと思いました」などと内容がまるでない、いわゆるあらすじ感想文が爆誕するのである。もうまさしく私はこれ系の感想を書く小学生だったし、中学生だったし、高校生だった。多分今読書感想文を書いても全然これ系だと思う。おかんに聞いてみたところ、おかんもこれ系で兄に怒られたことがあるらしい。恐るべし血筋である。
このように筋金入りのあらすじ感想書きだったもので、こういうことをやるやつは本当に珍しくないと長年思っていた。実際、どこかの年では「あらすじにしないこと。あらすじは感想文ではない」という趣旨の注意書きで、わざわざあらすじを名指しして案内してきた担任もいた。そこまで言うからには政治的に正しい読書感想文の書き方を案内せえよ、と今の私なら思うのだが、当時の私はひかえめな性格だったのでそんなことは言えなかった。この時の私はどのように課題を乗り切ったのかはさっぱり覚えていない。今だったら読んだ本を踏み台にして自分語りを原稿用紙2枚分してもいいんだというゴミみたいな発想で担任の先生を困惑させられるのだが、たぶんそうはしてないと思う。
で、なぜそんなことを言い出したのか、という話になってくる。PREP法に真正面から喧嘩を売ることだが、ここからがようやく本題だ。ある日Xでとんでもねえ言説を見つけた。
は?
もう上から読んでも下から読んでも意味不明である。長文すぎて読むのがだるい人向けに要約すると、「今どきの子供に読書感想文が書けない子が増えている。理由はスマホや動画、最新のゲームなどを常に与えられているからである。一方、本を物凄く読み込んでいるような子は物凄くよく書ける。例外はない。今どきのコンテンツにばかり偏ってる子の想像力は映像頼みであることに危機を感じる。脳の発達のピークは中学3年生くらいまで。親御さんは与えるものをよく考え、良質の体験をさせ、よりよい教育をしましょう」
(※上記は原文の引用ではなく、私が読んだ内容の要旨である)
その時の私の表情は完全に某クソゲーハンターの方のそれと相違なかったと言って良い。
もう、アボカドバナナ。言ってること滅茶苦茶でとにかく……。
そもそも前述したとおり、スマホどころかプッシュホンの頃、もっと言えば黒電話の時代からこの「あらすじ読書感想文」が存在していたのは明白だ。当時の教員が名指しでやり玉にあげる程度にはありがちの型であり、n=1案件と言うにはかなり厳しい。少なくとも悪い例としてはマイナーとはあまり言えないと思う。ましてや現代コンテンツと決め打ちできる根拠は言えていない。
このため私も「こういうの書くのが苦手な子は昔からいくらでもいた」という趣旨の返信をすることになる。統計は取っていないから数が増えてるか減っているかまでは言えないが、それでも現代的なコンテンツが子供の表現力低下に影響を与えていると断言するのはさすがに厳しい。動画を見たらバカになる、ゲームをやったらバカになる、テレビを見たらバカになる、漫画を読んだらバカになる、小説を読んだらバカになる……。私には、完全にこの系譜の決めつけに見える。実際リプ欄にも「読むのは好きだけど書くのはちょっと……」という意見も散見された。
で、帰ってきた返信を要約すると「読書感想文の教育的価値」を長々と説くものだった。
おまえが先に決めつけとるやないかい!!!!とツッコミを入れたい気持ちに襲われた。リプするのも泥沼なので、かわりにこの記事を書いているわけだが、私は「子供が読書感想文を書けない理由はスマホではない。少なくとも決めつけられない」と言っただけで、読書感想文論など語っていないのである。っていうかごめん私バカすぎてこの文章マジで意味わかんねえ。
謎に咎められた。カリキュラムとしてやるには時間が足りないとか言ってるけど、こいつはどこ目線でなにを言っているのか全く謎で、少なくとも読書感想文というジャンルに重きを置いているのはよくわかるが、議論としては成立していない。もっと率直に言えばいわゆる「論点ずらし」というやつだ。
念のため言っとくが、私はスマホや動画が子供の文章力に一切影響しないと証明できるわけではないし、する義理もない。そんなことは最初から論点ではないのである。「あらすじ感想文を書く子は、幼少期からスマホや最新ゲームを与えられた子に例外なく偏っている」と先に断定したやつが、その根拠を出せという話をしているのだ。それを言い張るなら、まず「あらすじ感想文を書く子が昔より増えている」ことを示し、次にスマホとの相関を示し、さらに読書量でも家庭環境でも学校の指導でも本人の性格でもなく、スマホが主犯だと言える材料を出す必要がある。読書感想文の教育的価値をいくら熱弁したところで、その代わりにはならない。
私は読書感想文にはそもそもそんなに重きを置いていない。読書感想文で得られる効能は、文章執筆経験と、読書体験の記録と、先生のご機嫌の取り方ぐらいなものである。ぶっちゃけ優れた感想文が書けたところでコンクールで入賞できればいい方で、あとブログネタとして感想文が使えるくらいか。とにかくそれ自体で売れるものが書けたり、優れた論文が書けるわけではない。無意味とまでは言わないし評論レビューまで広げることはできるにしても、読書感想文が書けないことが、すなわち子供の表現力そのものが低いことを意味するわけではない。そもそも表現というのはしたい人がするものだ。読書感想文や小論文を書くことを強要された子供時代だったが、その頃に授業で書かされた文章が今の糧になってるかというと、正直かなり微妙なところである。
逆に言うと学校の感想文ごときで悪文しか書けなくても、文章は書けば書いただけ書けるようになれる。読書感想文はそんなに重くないとは言ったが、経験値には少なからずなってくれる。夏休みに文章を課せられている子や、そんな子を持っている親御さんなんかは、表現力がどうとか気負わずに気楽に課題図書に向き合ったらいいのではないかなと思う。
テーマに沿ってさえいれば読書感想文なんて何を書いてもいい。ただ、書いていて楽しいことを書くべきだ。いや、楽しくなくてもいい。登場人物を一人絞り、「こいつのこういうところが気にくわなかった。自分はこうはなりたくない」なんて批判的な内容も立派な感想文だ。先生はたぶんいい顔をしないとは思うが。
いずれにしても、それが本来あるべき読書感想文であり、文章表現だと思う。
昔読書感想文が苦手だった子どもの自分にかける言葉としては、ひとまずそんなところだ。
