発達障害のよりみちが思う、自分のトゲが痛くても生きる、コミュニケーション術。
スキルとコミュニケーション。
この二つ、どちらが大切だと思いますか?
「両方大事」と言ってしまえばそれまでですが、あえてその二つを構造として捉えるなら、私は「スキルは『筆』であり、コミュニケーションは『筆の届け方』である」と考えていました。
いくら誰も見たことがない素晴らしい筆(スキル)を開発しても、それを運ぶトラックや並べるお店(コミュニケーション)がなければ、誰の元にも届きません。存在しないのと同じになってしまう。
だから
「ゼロをイチにするのはスキル、イチを100にするのはコミュニケーション」。
と思う絵本作家のよりみちです。
でもさ
「やっぱり、コミュニケーションって圧倒的に一番難しい」
スキルと、心の距離
スキルというものは、一部の特殊な才能を除けば、時間をかけて経験を積むことでカバーできる面がたくさんあります。努力のベクトルが比較的見えやすいのです。
一方で、コミュニケーションはそう簡単ではありません。
私は子どもの頃、ふと振り返ると周りに誰もいない、ということがよくありました。気がつくと、自分ひとりだけがそこにポツンと残されている。
単純に「話し上手・聞き上手」といった会話テクニックの問題ではなかった。
発達障害ゆえの「察する遅さ」、いわば「初動の弱さ」が原因だったのです。周囲が言葉にしないサインをキャッチできず、一歩遅れてしまう。
例えば、クラスで友人グループが微妙に新しいメンバーを避け始めたとき、多くの子は「あ、何か起きてるな」と感じ取る。でも私は、その「空気の変化」が見えない。見えないから、昨日と同じに話しかけてしまう。すると「あいつ、本当にわからないんだ」とますます避けられる。
この「ワンテンポ遅れた反応」が積み重なると、やがて人は去っていく。
もしあの時、お互いを繋ぐ本当の意味でのコミュニケーションが存在していたら、私の不器用さも「減らず口」などと片付けられずに済んだのかもしれない、と思うのです。
「空気という名のルール」
たとえば、高校受験を思い返してみて。
多くの人が当たり前のように受験をし、進路を決めていく。でも、ある時私が「誰に指示されて受験を決めたんですか?」と問いかけると、みんなキョトンとした顔をします。
それもそのはず。ほとんどの人は、明確な指示書をもらって動いているわけではない。「場の空気」を読み、周囲の気配を察しながら、その人なりの試行錯誤で自分の進路を選択していくから。
世の中のルールの多くは、この「空気という名のコミュニケーション」で動いている。
そして恐ろしいことに、誰も「おいおい、君はコミュニケーションが少し変だよ」なんて教えてはくれない。空気は「読むもの」であって「教わるもの」ではないという暗黙の前提なのかな?
いや、本屋で見てください。コミュニケーションの本がたくさんあります。つまり、あなたもわかっている。周りの人も知っている。
コミュニケーションって難しい。だから生きづらいって。
それってつまり、発達障害だからとかではない。今だからそう思う。
しかし、過去の私—察することが苦手で、感覚が変にするどすぎて包装紙なしに発言していた私は、理由もわからないまま躓き、人生の失敗を重ねていきました。
うつになり、破産し、大切な父が亡くなった。
すべてを失ったとき、私の周りには誰も残っておらず、コミュニケーションそのものが存在しませんでした。「自分には最初から縁のないものだったんだ。しょうがない」と、半ば諦めていました。
どん底から、手を差し伸べられる
しかし、運命とは皮肉で、そして時に思いがけない幸運をもたらします。
どん底にいた私に手を差し伸べてくれたのは、福祉の人たちでした。そこで初めて、誰も教えてくれなかった「コミュニケーション」というものを丁寧に教わりました。それが人と向き合うための「アサーティブコミュニケーション」だ。
さらにキャリアコンサルタントの学習を通じて、や「システマチックアプローチ」といった対話の構造を学びました。
概念として、技術として、コミュニケーションを体系的に理解したときです。
目の前を漂っていた「空気のにおい」が、ガラリと変わった。
「技術」の真の役割
でも、ここで気づいたことがある。
学んだ技術は、「相手を操作する方法」ではなく、「自分のトゲを減らし、相手を傷つけない方法」だったんです。
私は発達障害特性のせいで、無意識に「ヤマアラシ」になっていた。トゲを持ったまま、相手に近づこうとしていた。だから人が去っていった。
転び、倒れ、泥臭く学ぶ中で気づいた。
「誠実さ」だけでは、その気持ちは相手に届かない。届けるための「コミュニケーションのスキル」が必要だ、と。
つまり、学術的に学ぶことで、ヤマアラシのような私の体のトゲは、すこし、痛くなくなったんです。
「ゼロをイチにするのはスキル、イチを100にするのはコミュニケーション」—あの冒頭の言葉は、本当は違っていた。
正確には、こうです。
「コミュニケーション(誠実さ)」は、「なぜ、あなたが筆を握り続けるのか」という理由。
「スキル(技術)」は、「その気持ちを、相手が受け取れる形に変換する方法」。
この両方があって、初めて「長期的な関係」が生まれる。
関係の再構築
今までの「空気」が、ガラリと変わりました。
今まで自分を置き去りにしていた「見えないルール」や「人の気配」が、少しずつ意味を持った景色として見え始めたのです。
すると、筆の届け方をおぼえた大人は、気が付くと—
Xが1.4万フォロワー。 noteで1300フォロワー。
そして、はじめての商業出版『発達障害のよりみちが、それでも生きる理由』が140部にいった。自伝なのに。
でも、ここで重要な誤解を解きたい。
140部が売れたのは、「コミュニケーション学習の成果」ではなく、「よりみちというパーソナリティへの信頼」です。
なぜなら、その1.4万人、1300人は、最初からよりみちのことを知っていた。誠実さを感じていた。
何度も転び、何度も失敗し、それでも「ご縁に感謝して、生きよう」と選択し続ける—その姿勢を見ていた。
技術ではなく、「痛みながらも、感謝して生き続ける誠実さ」が、人を惹きつけたんです。
「今でも、痛い」ということ
そして、もう一つ。重要なことを言わせてください。
今でも、私はヤマアラシです。
トゲが自分に刺さることがある。痛い。
前は、その痛みで終わりでした。「消えたい」と思って、そこから動けなかった。
でも、今は違う。
痛いのは変わりません。でも、その痛みを感じながら、「ご縁に感謝して、生きよう」と決める。
それが「よりみちすること」です。
完璧になることじゃない。トゲを全部削ることじゃない。
トゲがあっても、その場で泣いたままにならずに、起き上がる。
その「起き上がる勇気」が、実は最高のコミュニケーションなんだと思う。
あなたへ
ここまで読んでくれた、あなたへ。
もし今、コミュニケーションで泣いているなら、安心してください。
こんなにも、転んで、痛がったよりみちも生きています。
だから、痛くても構いません。
そっと、その痛みを見たら、セルフケアでボールペンで—感情というペンキをぶつまけてほしい。
「今、痛い」と。
その排熱した先に
伝える。
「自分はこう思っている」と
それは
Xに、noteに、友人に。
それが、排熱した先の水と呼ぶ。
だからこそ
排熱を繰り返していく。
そして、絞り出す水。
その水は
ご縁を呼ぶ。 それが「よりみち」になる。
転んだ分、強くなるんじゃない。 転んだ分、優しくなるんだ。
その優しさが、人を惹きつける。
なぜなら、完璧な人ではなく、痛みを感じている人だから。 その痛みの中で「消えたい」から「生きよう」に何度も何度も切り替える選択をしている人だから。 その選択が「自分勝手」ではなく「ご縁への感謝」から生まれているから。
だから、よりみちする
コミュニケーションが難しいのは、あなただけではありません。
むしろ、「難しい」と感じることができる感覚が、あなたの誠実さの証だと思う。
だから、私はよりみちします。
あなたも、安心して。
トゲを持ったまま、痛みを感じたまま、それでも生きる。
その過程こそが、本当のコミュニケーションのみちだから。
そして、いかにAIが進化しても、人と人のやりとりは消えない。
あなたが無人島生活してない限り。
この社会というコミュニケーションの渦の中で生きる上で。
だから、安心してください。
痛くても、続けていい。
トゲを持ったままでも、大丈夫。
私も、そうして生きている。
明日も明後日も。
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誰かの心がふっと軽くなって、 自分だけの価値に気づける場所を、 これから少しずつ、広げていきます。
あなたと一緒に色を重ねられる日を、楽しみにしています。
このnoteで、よりみちの仕方が迷ったらこの記事を。
