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女神の歴史: 魔女狩り

女神崇拝は「ウィッチクラフトWitchcraft(自然魔女術)」とも呼ばれ、自然のサイクルと力、叡智から教えを得ています。
超自然的な行為を行うことができるウィッチWitch(魔女)の語源は、古英語のウィッチェWicce(賢い)に由来し、本来のウィッチは「賢い女性」、ウィッチクラフトは「賢者の技能」という意味です。

キリスト教の出現は、女神へのアクセスを強力に破壊するものでした。女神は、最初は新しい宗教に同化されましたが、その後徐々に排斥され悪魔とされました。
12世紀にローマ・カトリック教会が統制を強化するための手段として異端審門を始めると、ウィッチクラフトは異端行為と見なされたのです。

ヨーロッパで1300年代に始まり1600年代まで続いた魔女狩りでは、ヒーラーやハーバリスト、助産師など、民間療法を行った女性たちは「魔女」とみなされ、拷問や火あぶりなどの方法で処刑されました。

魔女と名指しされた人の多くは、「メディスンウーマン」と呼ばれていました。人々の生活に大きな影響を与えていた教会は、彼女たちが行う民間療法に効果があることを脅威に感じていました。特に教会は、生みの苦しみはイヴに下された正当な女性の罪と考えたり、中絶を禁止していたので、出産を楽にする薬を作ったり、中絶を手助けすることは有害だったのです。

家父長制により、医学は高貴な生まれの男性にしか教えられないエリート科学となったため、地域の人々の健康管理をしていたメディスンウーマンは、成長しつつある医学界にとっても有害でした。そのため、彼らは、魔女をターゲットにした中傷と弾圧の大キャンペーンを行ったのです。

『ライズ・シスター・ライズ』(レベッカ・キャンベル著/末木かおり訳 ナチュラルスピリット社)には、以下のように書かれています。

「1496年、ドイツのカトリック聖職者ハインリヒ・クラーマーの著書『魔女の槌』が出版されると、その本は魔女裁判のすべての裁判官の傍らに置かれました。この時代、被告人は神聖なテストとして水責め椅子に座らされ、町の川に沈められました。そして、もし沈んだらその人は無実で、実は魔女ではなかったと証明されました(なぜなら、もう死んでいるからです)。生き残っていた場合は、魔女であることが確定し、火の洗礼を受け、人々が見守る中で火あぶりにされました。」

「ヨーロッパとアメリカ大陸の一部の村の人々は、罪を犯した「魔女(異教徒)」が目の前で焼かれるのを見ることを強制されたため、村全体が恐怖に支配されました。女性のセクシャリティは悪魔的であると見なされ、たくさんの女性が拷問され、燃える鉄のスツールに無理やり座らされたのです。」

「異端とされて不当な裁判を受け、耐えがたい死を迎えることを恐れたので、他の人を守ったり、テロ行為に対して声を上げたりすることは不可能でした。魔女狩りで何人の人が殺されたのか、はっきりした数字はわかりませんが、推定では数万から数百万に及ぶとされています。英国BBC放送は最近、スコットランドのアバディーンにある教会の地下から、牛を癒したなどの罪で死刑を宣告された900人の魔女の遺体が発見されたと報道しました。」

「被告人には公正な裁判は行われず、ほとんどの人がまったく裁判を受けることができなかったと考えられています。モニカ・シェオとバーバラ・モーの著書『偉大なる宇宙の母』によれば、当時、魔術の罪で死刑になった人のパーセントは、女性だったと信じられています。」

「この時代の歴史の中で最も悲惨なことの一つは、魔女狩りの共犯者を名乗るまで拷問されたため、女性同士が敵対するようになったことです。このことは、現在の女性の間に深い不信感を抱かせる原因になっていると思います。」


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