見出し画像

「昭和末期のショートホープ」


 水たまりをお気に入りの長靴で踏んで歩いていた。小学校からの帰り道、集団下校なんてまだない昭和の終わり頃の話だ。びっちゃびっちゃばっしゃばっしゃとやっていたら、みすぼらしい野良犬がハッハハッハと息を切らせながらこちらを見ているのに気がついた。同時にたった今踏み散らかした水たまりが黄色いことにも気がついた。当時は野良犬がそこらを歩いていた。
「お前の小便か?」当時はまだ野良犬に言葉が通じていた。
「せやで。犬の小便踏んで楽しいんか」
 私は楽しくはなかった。お気に入りの長靴が小便色に染まった気がした。野良犬は雑種だった。当時はまだラブラドール・レトリーバーもトイ・プードルもドーベルマンもチワワもティーカップ・マンモスもいなかった。

「待てやガキ!」逃げる素振りもない野良犬に向かって私は叫んだ。相手はガキではなく犬なのに。相手が人ではなかったからこそ、テレビで見たような汚い言葉を浴びせることが出来たのだろう。野良犬は雨を避けて屋根のあるバス停に入り込んでいた。
「ガキはお前やろが」野良犬は煙草を吸い始めた。ショートホープだった。昭和の終わり頃にはマルボロメンソールも電子たばこもなかった。灰皿が置かれているのにも関わらず、野良犬は煙草の灰を地面に落とした。

「そんな堂々としてたら、保健所に連れてかれるんとちゃうん」当時も今も野良犬は保健所に連れていかれる運命だ。あとやっぱり多分この頃にもドーベルマンはいたと思う。
「保健所ならさっき燃やしてきた」と見え見えの嘘を野良犬はついた。次のバス停の横に堂々と立っている保健所が見えた。
「嘘つきの野良犬なんてもう犬とは呼べない。野良嘘だ」当時の私の言っていることは、今の私にも理解できない。
「燃やしたのは嘘だ。捕まっていたマンモスを逃がした」
「また嘘を」
 しかしズシンズシンと雑な舗装の道路を歩くマンモスが見えた。雨はやみかけていた。濡れたマンモスの毛皮は薄汚くて、大きさ以外は野良犬と大差なく思えた。マンモスが野良犬の小便でできた水たまりを踏むと、小便は辺りに飛び散って水たまりは消滅した。

「汚いな」
「マンモスが足元の水たまりの中身が雨か小便か、なんてことを気にするかよ」野良犬は哲学者のようなことを言う。昭和の終わり頃の野良犬は大体哲学者だった。
 マンモスは長い鼻の先をバス停に伸ばしてきた。野良犬はその鼻先にショー卜ホープを差し込もうとしたが、マンモスに弾き飛ばされた。当時の煙草の値段は今よりずっと安かったから、野良犬は怒らなかった。

 野良犬はマンモスの背に飛び乗ったが、煙草と同じような扱いをされて弾き飛ばされた。それから二頭並んで堂々と道路を歩いていった。マンモスの歩幅に追い付くために、野良犬は時々駆けていた。

 野良犬がバス停に置いていったショートホープの箱にはまだたくさん煙草が残っていた。私が手を伸ばすより先に、いつの間にかバス停に入り込んでいた野良人が拾って吸い始めていた。雑種らしかった。
「野良犬臭くないですか」
「ガキは帰って宿題しながら『パタリロ!』でも見てろ」
 私はそうした。テレビ画面の中では現実と違って美形のバンコランと美形のマライヒがいちゃついていた。バンコランの吸う煙草はショートホープではなかった。

(了)

 今週のシロクマ文芸部「水たまり」に参加しました。


いいなと思ったら応援しよう!

泥辺五郎 入院費用にあてさせていただきます。