初山別の美談

「村から店が消えた」は本当だったのか

北海道の日本海側にある、人口1200人ほどだった初山別村。

この村にある一軒のセイコーマートについて、ネットではときどきこんな話を見かける。

「村から店がなくなった」

「村民が買い物難民になった」

「そこで村長がセコマに直談判した」

「人口1200人ほどの村に、奇跡のコンビニができた」

実際、「買い物難民を救った奇跡のコンビニ」として紹介している記事もある。

いい話だと思う。

私も、そういう話だと思っていた。

ところが少し調べてみると、どうも話はそれほど単純ではなかった。

「村唯一の商店」ではなかった

特に気になったのが、後年書かれたネット記事である。

その記事は当初、

「村で唯一の商店が閉店」

と書いていた。

ところが後日、訂正が入っている。

正しくは、

「村の中心部にあった商店が閉店」

だったという。

これは、かなり意味が違う。

「村で唯一の店がなくなった」

のであれば、村内から店そのものが消えたという話になる。

しかし、

「村の中心部から店がなくなった」

のであれば、別の地区には店があったことになる。

そして実際、初山別村には別の地区にも買い物のできる場所があった。

セコマより前からAコープがあった

初山別村の豊岬地区には、「Aコープ初山別」がある。

セイコーマート初山別店が開店したのは2014年12月だが、Aコープはそれ以前から地域に根ざした店舗として営業していた。

さらに当時の報道をたどると、村内には食品を扱う個人商店も残っていた。

つまり、

「村からすべての店が消えた」

わけではなかった。

問題になったのは、村役場などがある中心部の初山別地区で、住民が日常的に利用していた主要な商店が2014年に閉店したことだった。

中心部に住み、特に車を自由に使えない高齢者などにとっては深刻な問題だっただろう。

数キロ先に店があったとしても、歩いて買い物に行ける距離ではない。

だから村長がセイコーマートに出店を要請した。

ここまでなら、話はよく分かる。

「買い物に困った」と「村に店がなかった」は違う

ここで区別したいことがある。

「住民が買い物に困っていた」

ことと、

「村に店が一軒もなかった」

ことは同じではない。

中心部の商店がなくなり、高齢者などが買い物に困る。

だから中心部に新しい店が必要になる。

これは十分に理解できる。

しかし、それがいつの間にか、

「村から店が消えた」

「村全体が買い物難民になった」

「そこへセコマがやってきて村を救った」

となると、少し話が変わってくる。

実際には別地区にAコープがあり、ほかの商店もあった。

それらの店はどこへ行ったのだろう。

セコマの功績を否定する話ではない

誤解のないように書いておきたい。

私は、セイコーマートの出店を批判したいわけではない。

コンビニのなかった初山別村にセコマが出店したことは事実である。

中心部の買い物環境が大きく改善したことも間違いないだろう。

人口1200人ほどの地域で店舗を維持すること自体、大変なことだと思う。

物流網を工夫し、人口の少ない地域にも店舗を展開するセコマの企業努力も評価されるべきだと思う。

だから、

「初山別村にセコマができて便利になった」

という話には何の違和感もない。

私が引っかかるのは、その前である。

村有地300坪、年間3万円

もう一つ、あまり美談の中では語られない話がある。

村はセコマの出店にあたり、国道沿いの村有地約300坪を年間3万円という条件で提供したと報じられている。

月にすると2500円である。

過疎地の買い物環境を維持するための政策だと考えれば、こうした行政支援には十分な理由がある。

しかし一方で、その村にはすでにAコープや小さな商店があった。

そう考えると、別の見方もできる。

行政が住民の買い物環境を守るために大手コンビニを誘致した。

同時に、

既存の地域商業が存在するところへ、行政が特定の大手企業を非常に有利な条件で後押しした

とも言える。

どちらが正しいという単純な話ではない。

だからこそ、その両方を見る必要があると思う。

美談になると、途中が消える

地域の話は、ときどき分かりやすい物語になる。

店がなくなった。

住民が困った。

村長が動いた。

企業が応えた。

コンビニができた。

村が救われた。

確かに、この方が記事としては分かりやすい。

SNSでも広がりやすい。

しかし、その途中に、

「別の地区には何があったのか」

「既存の商店はどうだったのか」

「Aコープはどうだったのか」

「なぜ行政は特定企業に破格の条件で土地を貸したのか」

という話が抜け落ちていく。

そして何度も引用されているうちに、

「中心部の主要な商店が閉店した」

という話が、

「村で唯一の商店が閉店した」

になり、

さらに、

「村から店がすべて消えた」

という話になっていく。

実際、「村で唯一の商店」と書いた記事が、後になって「村の中心部にあった商店」へ訂正されている。

たった「中心部」という言葉の違い。

でも、意味は大きく違う。

「いい話」ほど、一度調べてみる

地方創生の記事には、分かりやすい成功物語が多い。

もちろん、本当に成功した取り組みもたくさんある。

しかし、

「何もない地域に誰かがやってきて救った」

という物語は特に分かりやすい。

だから広がる。

その一方で、もともとそこで商売をしていた人、暮らしていた人、地域を支えていた小さな店の存在は見えにくくなる。

初山別村のセコマも同じなのかもしれない。

セコマが村の買い物環境を大きく改善したことが嘘なのではない。

村長が動いたことが嘘なのでもない。

人口の少ない地域へ出店したセコマの努力が嘘なのでもない。

私が疑問に思うのは、そこではない。

「セコマが来るまで、村には何もなかった」

という物語の方である。

いい話を聞いたときほど、

「本当にそうだったの?」

と、一度調べてみる。

すると、きれいな美談の陰に隠れていた、もう少し複雑な地域の姿が見えてくることがある。


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