「旅行は好きなほうがいい」と思い込んでいた
私は旅行があまり得意ではない。
子供の頃から体力がなくてすぐに疲れてしまうからというのが一番の理由。
見るものも人と一緒だと自分がたいして行きたくない地域や場所にいかねばならず、暑い寒いや登山やロングドライブなど、したくないものに縛られることが嫌だからだ。
でも長い間、自分は「旅が好き」と思い込んでいた。
そうじゃないなどと思ったことは一度もなかった。
「旅行は得意じゃない」と自覚したのはまあまあ歳を重ねてからだった。
自分の中に「旅行が好きな人の方がなんとなくイケている」という偏見があった。知的好奇心があるなぁ、自分を探しているのだな、英語もペラペラなのかも、そして旅はみんな好きであるという情報ばかりが目に入った。
今思えば元気いっぱいに旅をする人の方がマジョリティだったのだなと思っている。
大人になって1人で単独旅行するのが趣味となった。
バイクを転がして好きなところに出かけた。
車を手にしてからはキャンプ道具を積んで1人キャンプ(その頃は1人キャンプをしている女子は見たことがなかった)を楽しんだりもした。
ますます「旅が好きな自分」が加速していく。
大人になったら自由な旅ができると思っていた
状況が変わったのは結婚をしてからである。
子供の頃は親の言うところへ、そこが好きでも嫌いでもついていかなければならず、その旅先が好きじゃないと感じてもそれは言えないと心に秘めた時間が多かった。
そして子供ながらに言えないことは思い込むのも良くないと思い、そうじゃないよと自分に言い聞かせた。
ここは嫌いな場所じゃないよ、だって他の子達は楽しそうにしているよ。これは楽しい旅なのだからずっと楽しそうにしていた方が良い、などと。
今思えば親の顔色を伺うことの多い子供だったのだなと思う。
大人になってからは堂々と自分の好きな旅ができる!
でもどうしたことか、理想の旅行になるはずの大人の自由な旅だというのに「したくない時間に縛られる時間」はなくならないことに気付いた。
子供が生まれてからは旅のスタイルが一変する。
まず子供が周りの大人たちに、できるだけ迷惑をかけないようにしなければならない。
ある時は赤ちゃんを連れての帰省で飛行機でまるまる2時間ぐずられ、ずっと立って抱っこせよと泣かれ、帰省先で2日間、熱で倒れたことがある。
また子供が少し大きくなったら自我が出てきて面白くないことがあればひっくり返って主張する。それを阻止するためのあれこれを持ち歩き荷物はいっぱい。旅だと言いながら修行かな?と思うこと数知れず。
これは子育てのせいで時が経てば良くなっていくのだと思ったが全然良くなっていかない。子が大きくなってからも状況は変わらず少年団だ部活だと忙しくなっていった。自分の好きな事ができる時間などほんのすこーし。これは親あるあるかな。
子供の他に、家族には夫がいる。夫は旅行好きで、アレもこれも詰め込みたいタイプ。しかも見るものも博物館や教会など私が興味のある分野とは違う。しっかり下調べをした上で計画が綿密に組まれているスケジュールでその通りに旅を進めれば素晴らしい旅になるというふうでゴールが明確だ。
夫とは何度か独身時代に旅行に行った。もちろん楽しくはあった、しかしどの旅も帰ってから疲労困憊で「なんか違う感」は感じていた。そして海外旅行の時にそれがハッキリとした。
旅という名のトライアスロン
私は旅が好きな女。そして6泊のイタリア旅行は素敵なものになった。
だけど私が思ってたものとは違いそれは体力勝負のトライアスロンの時間であった。
一体いくつの教会をまわり、いくつの遺跡を巡るのだろう。もうどこがなんの遺跡だなんて覚えちゃいないのよ。
あとから思い出しても記憶にないほど。
私が覚えているのは、あそこで食べたピザの味と、長いこと待っても来なかったバスのことと、ヘトヘトになったバチカンの細い急階段と、疲れすぎて眠れなかったホテルでの夜のこと。そこだけはハッキリ覚えている。
だから要するに「旅」が好きなわけじゃないのだね。
「旅」という大きな括りで好きと語れるほど好きじゃないと言った方がよいね。
「アレをしたい」分だけ「コレはしたくない」が多い。
だから「旅」と名のつくアクティビティには誘われても容易に乗らないなど私なりに気をつけるようにしている。
では、私にとって旅とはなんだろうと考えていた。
私にとって旅とは
日常でする好きな事、やりたい事、刺激的な時間などを別の場所でやること、なのではないかなというのが今の結論。
例えば私は、日常で朝早くから車を5時間走らせて観光地を回り、食事に1時間並び、プールに入って、夜はクラブへ行く、なんてことはしない。
私の日常といえば、一つこれを見たいなと思うものを1時間くらい見てランチを食べ、美容室で髪を整えてからカフェに入り甘いものを食べて帰る。
それだけでも十分忙しいくらいだ。
しっかり心が満たされて疲れて良い一日になる。多分これ以上は私にとってトゥーマッチなのだ。
つまり、自分の体力や心が追いつかないまま美しいものを見たり、楽しいことを詰め込んでも自分の中に染み込んでいかないのだね。
そして大勢がコレはした方が良いと認定されたものでも、たいして自分には沁みていかないものがたくさんあることも知る。これは感性の問題だと思うけれど私には人と同じ感性が育っていないのだと思う。これは別の問題だけれど50を過ぎてその感性を磨けよと言われてもそれはこちらが磨きたいときに磨くので、という返事になりそうだ。
教会を見て感動する人もいる。
絶景を何ヶ所も巡りたい人もいる。
朝から晩まで観光したい人もいる。
でも自分には、自分の速度で見た一つのものの方が残る。
それは感性が足りないんじゃなくて、ようやく「何に反応する人間なのか」が分かってきた、という話なのではないかなと思う。
自分の声を聞けるようになった
歳を重ねるごとに日々が楽になっていく。
それは自分の中の声が大きくなっていくからだと思う。
自分で何も思っていなかったことでも、それはあまり好きじゃないと思うよ、やらなくても良いことだよ、それって本当にしたい事なの?と気づかせてくれる声も育っている。
逆にやりたくなかったことでも、やってみたら?それは本当に嫌いなことなの?やっても良いんだよ!という声もある。
そうだ、私は何かよくわからない思い込みで自分を隠している時間が長かったんだ。だから本当の自分が出てきているだけなんだよね。
「私がしたい旅」を選ぶ
台湾旅行に行く予定だったけれど、空港で飛行機のキャンセルがわかり家族4人途方に暮れた。そこから急遽名古屋へ行くことになり、結果、良い5日間を過ごせた。
みんなが協力して一つのことを成し遂げたという感じも良かった。でも私個人としてはまだまだゆっくりの旅が良い。何もやる事がなくてただ散歩するだけの時間もあればなお良かった。
お金があったら、時間があったら何をする?という問いが好きだ。
そしていつもたどり着く答えは、私は日常で本当にやりたい事を毎日やっているな、ということ。
だから日常でやろうと思っている事を違う場所でやる事、それが私の旅なんだと思う。
だからこれからも「私がしたい旅」を選んでいこうと思う。
旅 女子編に続く
