一生お金に振り回されない生き方 - 「お金」の真実を知って自由になる
2ハウスの「月」というと、「お金」が課題になる。
という見方もある。
月は、心の状態を表すと言われ、それが2ハウス(お金・所有などを表す)にあるため、月が満ち欠けするように影響を受けるというわけだ。
占星術的に言わなくて、「お金」というのは、なかなか厄介なものだ。
「争い」の原因になってしまったり、何かをする目的も「お金」そのものになってしまうことがある。
私が会社でよく言ってしまうのは、「予算」=「目的」ではないということ。
だって、「〇百万円」みたいな「数字」を追うことに、何の感情も動かない。お金は何かを行った「結果」でしかないと思っているからだ。
「結果」にばかり目を奪われると、肝心の「何をやるか|提供するか」には全然頭がまわらないということが起きている気がする。
小さな困りごとは、「お金」にならないと黙殺される。
お金になる困りごとは何か?なんて、考えるのは、目的と結果がごちゃごちゃになってしまっているせい。
だと、私は思っている。
資本主義社会だし、お金がないと困るという現実はあるのだけれど、やっぱりそれだけでは、幸せな社会は訪れないと思う。
お金のために「やりたくないことをやる(巷を騒がせている「闇バイト」なんてその典型なのではないか)」と、本人だけでなく、そうじゃない人も不幸にしてしまう。
「お金」が命より大事だという考えがあるとすると、とっても怖く、そして悲しい気持ちになってしまう。
ちょっと前置きが長くなったけれど、そんなことを思っていたら、
「もしもこの世界からお金がなくなったら 一生お金に振り回されなくなる人生の生き方」(雑栗わかる著)
という本が目にとまったので、購読してみました。
著者の「雑栗 わかる」さん(ざっくり わかるw)は、
youtuber。オンラインサロンオーナー。講演家。会社で研修事業を担当されていた経験を活かし、複雑な世の中の仕組みをシンプルにわかりやすく解説する活動をしているとのこと。
歴史、哲学、宗教、政治、経済、心理学、スピリチュアルなど、幅広い視野から世界を捉えた解説をしており、チャンネル登録数は7万人を超えている。
著者のことを知らずに、本を読んだのですが、「お金」の歴史や管理通貨制度(金本位制ではない、不換紙幣発行の仕組み)などは、偏りなくわかりやすく解説されていて好感が持てました。
これは、政治家の「大西つねき」さんの主張とも一緒ですね。
お金は、かつて「物々交換」を行っていた我々の先祖が、
価値の安定や保存、交換ができるように金や銀(石器時代だと丸に切り出した大きな岩)を使いだした。
というのが、私たちの認識ですが。
わかるさんは、これって違うのでは?と主張しています。
なぜなら、肉と魚を交換するといった「物々交換」って、受容と供給が完全にマッチしないと起こりえない。
昔の人たちは、常に「交換」みたいな考え方をしていたの?
(貰ったら、必ず返さないといけないという考え方って、もっていたの?)
と考えています。
たしかに、肉が余っている人が、魚が欲しくて、魚をもらったら肉をあげます。となっていたら、他の「きのこ」を持っている人とは交換しません。
みたいな「ネット」も「スーパー」もない時代に、そんなマッチングをしていたら、物々交換なんて成立しません。
そこには、分かち合いがあったんじゃないの?というのがしっくりきます。
(自然と共に生活していて、所有という概念もなかっただろうに、現代人みたいに損得なんかそれほど考えていなかったという考え方には、納得感があります。)
では、お金の起源は?というと、「シュメール文明」(メソポタミア文明の前身)から生まれたという説があります。
紀元前3500年前に、都市国家を形成したこの文明では、
「信用(クレジット)取引)がそれに存在していて、
粘土板に、その決済情報を記録していた。さらにハンコという文化もあったようです。
銀1シェケル=大麦1ブッシュル=大麦60フォート
大麦1クォートが1食分に相当し、1日2回食事をするので、大麦60フォートは、一か月分の大麦に相当していた。そしてそれは銀で計算すると銀1シュケルということになります。
という、基準が設定されていたようです。

農民は、「大麦」を生産する。商人は、「モノを仕入れて売る」。官僚や聖職者は、政ごとや祭事を執り行う。
それぞれの人たちが、何かを取引する際には、「銀」「大麦」が使われていました。
ただ、その場で交換するわけではなく、粘土板に記録させていた。
そして、その「粘土板」を交換しあうことで取引が行われた。
(必要なときは、銀や大麦に変える)
現代の私たちのように信用(クレジット)取引があった。
つまり
お金とは、誰かに対しての借り(何かをもらった。お世話になった。)を、具体的な数字や尺度を使って記録し、返済義務を生じさせるもの。
ということがわかります。
借りをつくったら、返す必要がある。(返すもの=負債・お金)という考え方ですね。
自然発生的な物々交換で生まれたのではなく、社会構造的に作られたというのが、お金の正体ということが書かれています。
信頼関係や感謝の気持ちといった目に見えないものは、「粘土板=負債・お金」にかわっていく。
わたしたちが、「優しさ」とか「善意」に、違和感をもってしまうわけですね。(無料だと裏があるのではないか?みたいな)
これまで共有・共同体で分かちあっていたものが、「一人ひとりの所有物」に分断されていきます。
わかりやすいところでいうと、「家・土地」ですね。
これまで、誰の持ち物でもなかったのに・・・
「所有」という概念が強くなり、争いや環境破壊をもたらしてしまうのは、ニュースなどを見ていればわかるとおりです。
そして、お金が発生する仕組みについても書かれています。
これがわかると、「お金」に価値があるのではなく、「お金」と交換できるものの方に価値があることがわかります。
世界の基軸通貨といえば、「米ドル」です。
1971年に金本位制度(金と引き換えにお金を発行)が停止され、
いまは、金などの保証がなくても、お金を発行できるようになりました。
それも、デジタルなので、紙幣を刷るコストも一切必要もなくです。

アメリカの中央銀行は、FRBといいますが、日本の日銀と異なるのは、
日銀は、日本政府が株式を保有するいわゆる日本の子会社なのですが、FRBは、アメリカ政府から独立した民間銀行の集まりであるということ。
FRBは、アメリカ政府に、ドルを貸し付けています。そして、貸し付けに対して利子の返済を求めることができる立場にあります。
お金をコストなしで、無限に生み出せ、かつ、利子を得ることができる。
資本主義社会のトップオブトップに君臨するというわけですね。
誰か(政府・会社・個人)が借金をすることで、銀行からお金が発行(生み出される)されます。
そして、そこには、利子がついています。
ノーリスクで生み出したお金に対して、利子を含めて返す必要が生まれる。
濡れ手に粟とは、まさにこのことです。
企業が成長を求められるのも、銀行や銀行や企業に出資している投資機関や投資家から、お金を借りているからです。
住宅ローンを組むと、利子を付けて返さなければならないのも、銀行からお金を借りているからです。
ただ、そのお金は、ほとんど、ただ同然で生み出されます。(誰かが借金した段階で、通帳に印字され、お金と利子が世の中に生まれます。)
さて、「お金」とはなんでしょうか。
分かち合いや共有という信頼関係といった目に見えないものを
可視化し、分断や所有を強め、争いの種になった。
そして、発行する権利を有するものから、ただ同然で、無限に作り出され、
借りを作ったものに対し、利子をつけて返済させることができる。
企業や個人は、その利子を返すために、さらなる価値(借りたもの以上の価値)を生み出すことを強いられている。
一方で、可視化されるからこそ、傍受できる価値もある。
個人では作れない。欲しいものを「お金」(という紙)で簡単に手に入れることもできる。
私たちは、もう少し、お金についてきちんと理解する必要があるようだ。
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