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【雑感】私は「普通」のオタク

始発・遠征・課金...それでも私の頑張りは小さく見える

オタクののんちゃんです。

私はオタクを全体で平均したら、わりと「普通の部類」なのだと思います。

トップオタの方たちの華々しいSNSを見るたびに
「ああ、私って普通だな、熱量が足りないのかな」と感じてしまうことも多いです。

それでも自分なりにはかなりの無理をして頑張っているつもりで、
体力の限界を感じることも実はそこそこあります。

物販のために始発から並んだり、逆にすぐに帰れない会場のときは終電まで駅に並んだり

連日の遠征のために予定を立てて仕事を休むこともあります。

個人的には自分の生活と時間を可能な限り推しに使っているのが実感です。

SNSで見える「完璧な推し活」に心が揺れる

私の精一杯の頑張りがある一方でSNSを開くともっと「すごいオタク」が目に入ります。

長時間並んでいる現場の写真
特典をコンプリートした報告
全通を思わせる休みなく続く連日の遠征ログ

そんな見える結果の数々を目にするたび、どうしても自分の頑張りが小さく、熱量が足りていないように感じてしまう瞬間があるのは事実です。
自分なりに頑張っているつもりなのに、相対的に自分の頑張りが霞んでしまうような…。

いいねやフォロワー数、コメントの多さといった目に見える数字がいつの間にかオタクとしての「評価」や「正解」のように見えてしまうこともあります。
無意識に彼らと比べてしまうと、どれだけ自分が必死に推しを応援していても、「自分はまだ足りない」という思いにとらわれます。

頑張っている時点で趣味としては少し破綻していますが、推しのために頑張ってしまうのはどのオタクにもあるでしょう。


「普通のオタク」はタイムラインに流れない


実際SNSのタイムラインは、極端な熱量や行動が強調されやすい構造になっています。

毎日何時間も現場に通う人
毎月何十万も課金する人
写真や動画で完璧に記録する人
彼らは確かに存在し、熱意は尊敬に値する。

でもそれはオタク全体の人口から見ればごく一部のトップ層にすぎないはずです。(そう思いたい)
彼ら彼女らの投稿は「いいね」が集まりやすく、SNSのアルゴリズムに乗って繰り返しタイムラインに流れてきます。
その結果、私はつい「これが普通なのか」「これが求められるレベルなのか」と錯覚してしまいます。

SNS上で「普通」に見えるものは、実際には「発信を選んだ一部の極端」であり偏っている。(と思いたい)

多くの「普通のオタク」は静かに自宅で配信を視聴したり、無理のない範囲でグッズを一つ買ったり、表のSNSではなく鍵アカウントで感想をつぶやいたりしているはずです。
あくまで日常の一部でありそれらはタイムラインには決して流れてこないのです。

目立つ方ばかりが視界に入り続けることで、存在しない「理想の平均像」に自分を無理やり合わせようとして疲弊しがちです。

どこかで自分は楽しめてないんじゃないか、損しているんじゃないかと思わされます。


オタクに「正しい平均」は存在しない


そもそも、オタク活動に「正しい平均」や「模範解答」など存在しないはずで。

だってただの「趣味」なのだから。すべて個人の自由です。

静かに情報を追う人もいれば、推しのためにお金を全力で使う人もいる。
グッズは買わず、創作活動を通じて愛を表現する人もいる。
どのオタクも、推しを愛しているという点では何ら変わらないのです。

どちらも等しくオタクであることに変わりはないのに、SNSでは目立つ行動をしているオタクばかりが評価されているように見えてしまいます。
これはオタクとしての評価ではなく「発信者としての評価」にすぎないのに。

自分の愛の形を、他人の活動量やSNSの数字で測る必要は一切ないのです。

オタクはあくまで「趣味」。自分の生活の一部でできる範囲でいい。
私みたいな弱い人間はこれを強く心に刻んでいます。

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