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❽🤖AIと『神倉神社』⛩を歩く

神武を救った剣、その先に出雲がいた

和歌山県新宮市。
熊野速玉大社からほど近い神倉山。

急な石段を登った先に現れるのが、巨大なゴトビキ岩だ。

岩を見上げたときには、ただ「すごい場所だな」と思った。

まさか後になって、私が長いこと追い続けているアジスキタカヒコネと、この場所が一本の糸でつながるとは思ってもいなかった。

👧「この神倉神社って、そもそも何の神社なの?」

🤖「とても古い信仰地です。
現在の神倉神社は熊野速玉大社の摂社で、御祭神は高倉下命と天照大神
熊野速玉大社によれば、神倉山は熊野の神々が最初に降臨した場所と伝えられています。その後、神々を現在の熊野速玉大社の場所へ遷したため、神倉山が『元宮』、新しい社地が『新宮』と呼ばれるようになったとされています」

👧「つまり私は、知らないうちに熊野信仰の原点ともいえる場所に立っていたことになるのね」

高倉下とは何者なのか?

ここから話は、古事記の神武東征へ飛ぶ。神武一行が熊野へ入ったとき、一行は危機に陥る。そのとき現れたのが、高倉下。

そして高倉下が神武に差し出したものが、一本の剣だった。

布都御魂(ふつのみたま)。

つまり高倉下は「神武を救った剣を持ってきた人物」として記紀に登場する。古事記にも記された伝承である。

ところが…。
『出雲王国とヤマト政権』を読み返していて、私は思わぬところで高倉下の名前を見つけた。
掲載されていた「出雲王家と親族関係図」そこには、こう書かれている。

饒速日(彦火明)+高照姫(大国主命の娘)
その子が、五十猛(大年彦・香語山)

そして五十猛+大屋姫
その二人の間に、高倉下。

私はここで手が止まった。

👧「待って……大屋姫って誰?」

🤖「この本の伝える系譜では、アジスキタカヒコネにつながる女性です。ですが、古事記・日本書紀とは異なる「出雲口伝」として紹介している系譜となります」

👧「アジスキタカヒコネ?!」

また、アジスキタカヒコネなの?
不思議だった。
私はアジスキタカヒコネを追って出雲へ行った。
そこから奥出雲、そして三澤神社へ行った。鉄を追った。褐鉄鉱を追った。
そしてずっと以前に訪れていた熊野の神倉神社まで調べ直したら、その御祭神・高倉下の先に、またアジスキタカヒコネが現れた。

その系譜をたどってみると…。

「高倉下はアジスキタカヒコネの孫だった」

だが、歴史的事実として断定することはできない。
これは出雲口伝として紹介される系譜だからだ。

でも私は思う。なぜ、この人物なのだろう。

「剣」が渡された。
私が特に気になったのはここだった。

アジスキタカヒコネを追っていると、何度もに行き着く。そして神倉神社の高倉下もまた、神武に「剣」を渡す人物だった。

しかも普通の剣ではない。「布都御魂」
神武の軍勢が熊野で動けなくなったとき、その危機を救った神剣である。

出雲口伝をそのまま史実とはできない。

しかし仮に、
アジスキタカヒコネ→大屋姫→高倉下
という伝承に何らかの古い記憶が残っているのだとしたら、高倉下が神武に渡したものが「剣」であったことは、急に違った意味を帯びてくる。

出雲の鉄の技術を持つ勢力が、後のヤマト勢力に鉄剣を渡した。
そんな歴史の記憶が神話になったのではないか。

これは、あくまで私の想像である。
けれど、そう考えた瞬間、あの巨大なゴトビキ岩が違って見えてきた。

👧「だったら神武を助けたのは、出雲系だったことにならない?」

🤖「出雲口伝の系譜を採用するなら、そう読む余地はあります。少なくとも面白いのは、記紀そのものでも神武がすべて自力でヤマトへ到達したわけではないことです。
熊野では高倉下から神剣を受け取り、その後には八咫烏の導きを受ける。つまり神武東征には、”土地を知る者・神宝を持つ者からの協力”が必要だった構造が残っています」

私はそこで、もう一度考えてしまった。

国譲りとは、本当に、出雲が消えて、ヤマトになったという単純な話だったのだろうか。国を譲っても、血と技術は消えなかった?

この系図が描いている世界は、記紀とはかなり違う。出雲王国が滅び、まったく別のヤマト王朝に置き換わったのではない。
婚姻によって、大国主命(出雲) 高照姫→ 五十猛→高倉下
そして別の線では、
大国主命(出雲)アジスキタカヒコネ→ 大屋姫→高倉下
二つの血統が高倉下のところで再び交わる。

さらに五十猛の別系統から、海村雲〔初代大君〕へつながる系譜まで、この本には描かれている。
これも驚きだが…今度にしよう。

つまり「国譲り」の後も、
人は残った。血も残った。技術も残った。祭祀も残った。

そういう歴史だったのではないか。
そんな読み方ができてしまう。

神倉神社へ行ったとき、私はまだこの系図を知らなかった。

ただ、あの急な石段を登り、目の前に現れた巨大なゴトビキ岩を見たとき、なぜか私は出雲を思い出していた。

出雲でも、私は何度も巨大な岩を見てきた。

神社の奥にある岩。
山の中にひっそりと残された岩。
まるでそこだけ時間が止まっているような巨石。

神倉神社のゴトビキ岩を見上げたとき、その姿が出雲で見た岩と重なった。

もちろん、形がまったく同じということではない。

けれど、私には同じようなものに感じられた。
「岩と出雲には、何か関係があるのではないか」
そのときから、そんな思いが心のどこかに残っていた。

もちろん、この系譜が歴史的事実として証明されたわけではない。
巨大な岩があるから出雲と熊野がつながっている、と証明できるわけでもない。
それでも私には、妙に引っかかる。

私が神社を歩いていると、ときどき、こんなことが起こる。
その場所に立ったときには、意味が分からない。

ただ、「何か似ている」「なぜか気になる」
という感覚だけが残る。

そして何年か経って、まったく別の資料を読んでいると、突然、あのとき見た風景につながる名前が現れる。

「ああ、あのとき感じたのは、これだったのだろうか」

そう思う瞬間がある。
だから、神社を歩くことは面白い。

神倉神社。

あの日、私は熊野の巨大なゴトビキ岩を見上げながら、すでに出雲を感じていた。
けれど、その理由は分からなかった。

そして今、高倉下の系譜を知って、もう一度あの岩を思い出している。
もしかすると私は、出雲から続く何かの痕跡を、知らず知らずのうちに歩いていたのかもしれない。


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