【陰間茶屋始末】第十五話:『夢の跡、衣の芯』
宮川町の路地は、朝からどこか湿った空気が漂っている。
裏口から入ってきたお京が、薪を下ろしながら苦笑いを浮かべた。
「陽向ねぇさん、聞いたえ? また一人、馴染みの顔が消えたわ」
かつて界隈で飛ぶ鳥を落す勢いだった若い陰間が、お上の取締りを逃れるために頭を丸め、洛北の寺へ入ったという。
「……仏門、ですか。それはまた、急なご利益ですな」
陽向は熾火を突きながら、静かに応える。
「ほんまよ。けどな、噂じゃその子、寺に入ってもやることは同じやて。経を詠むより、若い僧や檀家の旦那を『供養』する方が忙しいらしいわ。お上も、頭の皮一枚剥いだくらいで中身まで変わると思ってはるんやから、おめでたい話やね。……まぁ、せいぜい新しい場所でええ夢みたらええんよ」
「夢」――それは、お上に禁じられた遊びや、日の当たらない場所での情事を指す隠語だ。奉行所に呼び出されても、「夢の話です」と言えばそれ以上は追及できない。
「……皆さん、ええ夢みはるんやなぁ」
陽向はふっと口角を上げた。
お京が立ち去った後、夜の店に一人の男が訪れた。
かつて陰間茶屋に通い詰めていた中堅の役人だが、今は「贅沢禁止」の旗振りをさせられている男だ。
「……陽向。外はもう、何もかもが灰色だ。面白い芝居も、美しい着物も、すべてが『夢』の中に消えてしまった」
男は、お上が推奨する地味な綿の着物を着て、溜息をつく。
供された小鍋を前にして、男は一瞬だけ箸を止めた。
「……泥鰌か」
かすかに、諦めたような色が声に滲む。
「……こんなもんで、腹を満たせ言う時代か」
陽向は何も言わず、静かに火加減を整えた。
「三日三晩、真水で泳がせて泥を吐かせましたわ。……土の中に潜って、泥を食べて生きる魚やけど、こうして手間をかけてやれば、身体の芯を温める滋味に変わります」
陽向は静かに、熾火を整える。
「旦那。お上がどれほど夢を禁じても、人は眠れば夢を見ます。……そして、この泥鰌のように、泥の中に潜ってでも、泥を吐き出しながらでも、しぶとう生き抜くのが、京の人間ですわ」
男は泥鰌を口にし、その熱さと雑味のない旨味に目を見開く。
「……表地は地味でも、この芯の熱さは隠せんか」
「ええ。着物の裏地に贅沢を隠すように、心の中にだけは、お上に奪われへん『夢』を飼うときよし。……たとえ頭を丸めても、指先が覚えた芸や、舌が覚えた味までは、お上も削り取れはしませんさかい」
陽向は、火に新しい薪を一本くべた。
真っ直ぐに燃え上がる火は、お上の目には「ただの煮炊きの火」に見えるだろう。
だがその火が、誰かの凍えた「夢」を温め続けていることを、お上は決して知ることはない。
「……ご馳走さん。少しだけ、目が覚めた気がするよ」
男が店を出る時、陽向は暖簾の陰から小さく声をかけた。
「……お気をつけて。今夜も、ええ夢をご用意しときますさかい」
独り言は、薪が爆ぜる音に溶け、路地裏の深い闇へと消えていった。
